チェチェン報道

益岡 賢
2004年9月22日


2004年9月18日、東京は文京区民センターで、緊急報告会「チェチェンで何が起こっているのか」を聞いてきた。

チェチェンで何が起こっているのか? これについては、同名の本そして日々のニュースを伝えるチェチェン総合情報にお任せするとして、当日配布された資料にあった、チェチェン、そしてベスランの「学校人質事件」をめぐる報道を見て、少し思った/思い出したことがあるので、書き留めておこうと思う。


伝聞推定から断定へ:チェチェンとファルージャ

まず、朝日新聞9月4日付「チェチェンにアラブの影」という黒帯に白ヌキ見出しのふるった記事。カイロ発貫洞欣寛記者によるもの。 中見出し・子見出しは「テロの『主戦場』に? イスラム勢力流入」というもの。集会資料にもコメントされているように、非論理性において際だっている。たとえば、

ロシアの学校占拠事件で射殺された実行犯のうち、少なくとも10人がアラブ人だったとされる。以前から指摘されてきた、アフガンからチェチェンへのアラブ人イスラム主義グループの流入が、改めて確認されたことになる。

第一文の文末は、間接情報であることを示す「される」となっているにもかかわらず、第二文では「確認された」となっている。伝聞がいつの間にか「確認された」ことになっている。しかも、「改めて」だから、以前にも確認されていたことを示唆しているが、私は寡聞にして、それらが「確認された」との情報を耳にしていない。

もう一つ。「される」という伝聞からいつのまにかの「確認」断言への論理の飛躍(というか崩壊)に目をつぶるとしても、「アラブ人だった」ことが「アラブ人イスラム主義グループ」にいつの間にか変わっている。「アラブ人」=「アラブ人イスラム主義グループ」?

さらに、「アフガンからチェチェンへの」流入経路を示す情報は何一つ与えられていない。

お気に入りのアルカイダとチェチェンとを結ぶ経路は、次のようなものが証拠らしい。

02年3月、アルカイダとチェチェン武装勢力の関係の原点ともいえるヨルダン出身のハッターブ野戦司令官が、ロシア連邦保安局によってチェチェンで暗殺された。アフガンでビンラディン氏と出会い、アルカイダ入りした人物とされる。

文の順序は異なるが、第一文の「関係の原点ともいえる」という著者の判断は、単に「アルカイダ入りした人物と『される』」という伝聞に基づいているだけであることがわかる。

事実関係がどうであるかは別にして、こうした伝聞推定と断定との恣意的なすり替えに基づく議論は、ゴミである(小学校の作文のときも、そう習ってきたように)。

どのくらい論理が飛躍しているか、というと、このくらい:

お肉屋のソーセージ泥棒で捕獲された実行犬のうち、少なくとも10匹がレトリーバだったとされる。以前から指摘されてきた、魚屋から米屋へのレトリーバの盲導犬の流入が、改めて確認されたことになる。

「アラブ人」は「アラブ人イスラム主義グループ」と等価ではなく(ここには定義上後者は前者の部分集合であるという関係はある)、「イスラム主義グループ」は「実行犯」と等価ではない(こちらは関係は不明で記事中でも関係を具体的に示す証拠は何一つない)。同様に、「レトリーバ」は「レトリーバ盲導犬」と等価ではなく(定義上後者は前者の部分集合)、「レトリーバの盲導犬」は「実行犬」と等価ではない(こちらの関係は不明)。

つまり、貫洞氏の文章もレトリーバの文章も、同じレベルで論理の破綻をきたしている。もし、貫洞氏の文章がレトリーバの文章ほど奇妙でないように思える読者がいるとすると、その理由は簡単。「アラブ人」=「イスラム主義グループ」=「テロリスト」といったプロパガンダによる無根拠の同一視がかなり影響しているからであろう。

実際のところは、妥当な証拠の欠如と「される」という無根拠伝聞をいつのまにか断定に置き換えることにおいて際だっている貫洞氏のこの記事自体が、まさに、何の根拠もなしに、「アラブ人」と「アラブ人イスラム主義グループ」と「実行犯」とを並置して、読者に刷り込もうとするプロパガンダ以外の何物でもない。

[注:記事をめぐるこの分析は、仮にベスランの事件にアルカイダと関係するアラブ人「イスラム主義グループ」が参加していたことが事実であるとわかったとしても、成立する。それは、たまたま、お肉屋のソーセージ泥棒実行犬が、レトリバーの盲導犬であることがわかるのと同様、記事の論理的正当性とは何の関係もない]

米軍によるファルージャ空襲が続いている。この1週間で、女性や子どもを含む50人以上が殺されている。こちらはあまり報道されていないが、報道では、米軍が「アルカイダと関係するとされるザルカウィ氏および/あるいはその仲間たちの隠れ家を襲撃した」といった文言が繰り返されている。殺された女性や子どもについての言及は、通常ほとんどなしに。一方で、実際に米軍が爆撃し殺した人々がザルカウィ氏と関係しているかどうか、ザルカウィ氏がアルカイダと関係しているかどうかについての証拠は示されずに。

貫洞氏の記事ほどあからさまではないものの、ファルージャ空襲をめぐるこうした報道は、暗に、「ファルージャの人々」=「ファルージャのザルカウィ派」=「アルカイダと同類」という図式を何の根拠もなく(しかも誤って)前提としている。貫洞氏の記事と同様に、人殺しを放置し正当化する、悪辣なプロパガンダ。

[注:仮に米軍の占領が不法でなく(不法だが)、ザルカウィ氏がテロリストで、ファルージャに隠れ家を持っていたとしても、警察が対処すべき問題であり、ミサイルで攻撃するのは犯罪である。]


一体いつ、誰が、交渉を模索したのか? チェチェン・ベネスエラ・イラク

今度は読売新聞8月26日付モスクワ発五十嵐弘一記者。「露、最悪のタイミング」という見出しのこの記事は、ロシアの旅客機連続墜落事件を扱ったもので、これら事件が、ロシアにとって「最悪のタイミング」なのは、和平「交渉模索の最中」だったからであり、「対チェチェン『政治的解決』停滞」が危惧されるからであると述べている。

一体いつ、ロシアが交渉を模索したのか? 資料のコメントにもあるように、「この5年間チェチェン大統領マスハドフがロシア側に交渉を申し入れているのに、プーチン政権が拒否」してきたのではなかったか?

似たような、虚偽(あるいは政治主体の虚偽発表)に基づく解説報道を、最近見たことがある。ベネスエラで8月15日に行われた住民投票でウーゴ・チャベス大統領派が圧勝を収めた際の朝日新聞記事は、「国内の安定は、大統領が反対派と積極的に対話するかにかかっている」と述べていた。

事実関係を知っている人々にとっては、愕然とするような論のすり替えである。事実は、チャベス大統領はそれまでも繰り返し反対派に対話を呼びかけていたのであり、対話を拒否していたのは反対派である。石油施設のサボタージュといった破壊行為に出たのも反対派であり、チャベス政権はその際反対派を排除したが、その前にはやはり対話を呼びかけていた。

もう一つ、似た例。事実関係を検討するならば、米国はイラクが査察に協力しないよう仕向けてきた。また、第一次イラク戦争の際も、対話・交渉を拒否し、武力行使を急ぐ行動を採ってきた。この度も、単に何の理由もなく、何の根拠もなく大量破壊兵器だ民主主義だ自由だと騒ぎ立てて、対話も交渉もなしに侵略を強行した。

小泉純一郎氏のお言葉:

日本としては、今まで国際協調の下に平和的解決を目指し、独自の外交努力を続けてまいりました。私は先程のブッシュ大統領の演説を聞きまして、大変苦渋に満ちた決断だったのではないかと。今までブッシュ大統領も国際協調を得ることができるように様々な努力を行ってきたと思います。そういう中でのやむを得ない決断だったと思い、私(総理)は、米国の方針を支持します。

ニセの情報を安保理の前で振りかざすこと、侵略の正当化のために嘘に嘘を重ねることは、国際協調を得るための努力とは言わないはずである[これについては、戦争をテロを巡る40の嘘 (1)(2)(3)(4)を参照]。

ふと考えてみると、もっと身近にこんな例はある。家庭内暴力の犠牲者が、行政に、警察に、家庭内暴力の調停を行うべき公的機関に相談に行ったときに、「相手とよく話し合って」と諭されるケースはいまでも少なくないと言う。

相手と話し合って? 相手が話し合うのを受け入れないから、相談に来たのではなかったか? 相手は話し合いを上手くできず暴力を振るうのではなかったか? そもそもだから相談に来たのではなかったか?


来るべきイカサマ報道:いくつかの類型

「チェチェン問題」(実際にはロシアによる侵攻と膨大な人権侵害が問題の根本にあるから、「ロシア問題」)そしてそれをめぐる報道を見ていくと、過去の例から、今後あり得るイカサマ報道のいくつかが見えてくる(むろん「あり得る」であって、そんなイカサマ報道は無い方がよい)。

1. テロをしようがしまいが、チェチェン人はテロリストだ

1999年7月30日、朝日新聞のジャカルタ特派員翁長忠男記者は、次のような見出しの記事を書いている:

フレテリン、山岳部でテロ

独立派の武装組織「東ティモール独立革命戦線」は山岳部を拠点に、国軍兵士の誘拐や国軍施設へのテロを繰り返してきた

フレテリン、すなわち東ティモール独立革命戦線という政党と、東チモール民族解放軍ファリンティルとの区別もついていないということはさておいて、このとき、ファリンティルは国連合意に従って武装活動を停止していた一方、インドネシア軍と警察は手先の準軍組織を使って自ら不法占領している東ティモールで民間人へのテロ行為を繰り返していた。もう一点。国際法的に、不法占領へのレジスタンスは認められている。従って、不法占領を行なっているインドネシア国軍を相手にした武装闘争は、「テロ」ではない(実際にはそれさえもファリンティルは控えていたわけだが)。

それにもかかわらず、不法占領者で民間人の殺害と誘拐・拷問・強姦を繰り返してきたインドネシア国軍側の視点から、翁長記者は、このようなイカサマ報道を平然としていたわけである。

チェチェン抵抗勢力には、当時の東ティモール抵抗勢力と異なり、たとえばFBIのテロ規定に合致するようなテロ行為を行なっているグループがいるようだ。

それとは別に、私たちが囲まれている情報における問題は、現在の報道の様子から外挿するならば、仮にチェチェン抵抗勢力がテロ行為を全く止めたとしても、一部の新聞は、無根拠に「チェチェン側はテロ」と言い続けるのではないかと予想される、という点にある。

2. チェチェン「内戦」

インドネシアは、東ティモール人の中でほんのわずかなインドネシア派に加え、西ティモールから金で雇い入れた人々、東ティモールで家族を殺すなどと脅して強制的に編入した人々をまとめて準軍組織を作った。インドネシア軍・警察の手先として殺害や放火、拷問、強姦などを行う部隊。残虐行為をさせるためにドラッグまで準軍組織兵士に与えていたことがわかっている。

何のために? 東ティモールをめぐる問題の争点が、インドネシアによる不法侵略と不法占領そしてそのもとでの膨大な人権侵害にあるのではなく、東ティモールの併合派と独立派の対立であってインドネシアはその仲介にあたる第三者だ、という嘘の見せかけを作るため。

国連決議を見れば、国際法に照らせば、東ティモールでの人権侵害についてのカトリック教会等のメッセージに耳をすませば、独立派と併合派の対立などというシナリオが全くの虚像であったことは明らかだった。それにもかかわらず、少なからぬ大手メディアは、1999年、インドネシア軍・警察とその手先の準軍組織により繰り返し行われた民間人虐殺を、「独立派と併合派の衝突」と伝えてきた。

ロシアがチェチェン人の「親ロシア派」を使って、戦闘のチェチェン化を図るならば、東ティモールで見られたと同じ様な報道が、現れるかもしれない。

3. チェチェンは独り立ちしてやってはいけない

東ティモールをめぐって、したり顔で繰り返された言葉です。何も考えずに報道の言葉を賢しげに繰り返し、自分はものを考えているといった顔で、繰り返された言葉。

第一。「独り立ちしてやっていける」というのはいかなる概念か? 完全な自給自足? たとえば、日本は「独り立ち」してやっていけるのか? 食料自給率だけから見ても、それが無理なことはわかる。

では、「独り立ちしてやっていける」というのはどういうことか? 単年度で貿易赤字にならないこと? 対外累積債務を抱えないこと? 共時的に見れば、諸国間収支はゼロ・サム・ゲームになっているから、黒字国があれば必ず赤字国もある。また、対外債務国と債権国の関係が固定化していることもよく知られている。では、チェチェンを独り立ちしてやっていけないとこの意味で言う人は、累積債務を抱え対外赤字から抜け出せない国は債権国と併合すべきだ、と言うのだろうか? そんな主張は聞いたことがない。

第二。インドネシアは「独り立ちしてやっていける」のか? 32年間政権の座を維持した独裁者スハルトが巨額の資金を横領し、巨額の対外債務を援助国の税金投入で何とかしのぎ、人々はGAPの奴隷的工場で排便のためにトイレに行くことも許されずに過酷な労働を強いられるインドネシアは、「独り立ち」しているのか? 東ティモールが借款を要したとしても、インドネシアほど(一人あたりでみても)巨額の借金を要することはない。

少なくとも「独り立ちしてやっていけない」としたり顔で言う人々から、「独り立ちしてやっていく」という言葉の意味するところについての論理的な説明を聞いたことはない。実際、「独り立ちしてやっていけない」というのは、単に独立させたくない側の無内容で遂行的な発言に過ぎない。

そういえば、イラクについても、少し違うが似たような言い訳を耳にすることがある。「占領軍が撤退したらイラクは解体するだろう」。しかし、占領軍がいる限り、そもそも主権国家としての「イラク」は存在していない。傀儡政権がイラクの公共資産略奪を米国のために/とともに進めるだけである。

いつか、チェチェンの独立を国際社会の多くが受け入れるときが来るだろう。そのときにも、「独り立ちしてやっていけるのか」というしたり顔の無=論評が現れる可能性は高い。

 益岡賢 2004年9月22日

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