WTO  
WTOシリーズ5 「チェンマイ・セミナーはトロイの馬」
2000年3月
Walden Bello Focus on Global South代表
フィリピン大学教授
北沢洋子訳
訳者註;この論文は、Belloさんが、さる3月27−28日、タイのチェンマイで開かれたWTOのアジア地域セミナー「途上国と低開発国のための貿易と環境問題」に際して、タイの英字日刊紙『Bangkok Post』に書いたものである。
 チェンマイ・セミナーには、NGO、貧民連合、農民などが激しい抗議デモを行った。北部タイの農民組織連合である「北部農民連合会」は、グローバリゼーションによって、生活が苦しくなったとして、セミナーの会場であったpressホテル前で、2時間余り「WTOの貿易交渉から農業協定を除外せ」とデモをした。警察の介入はなく、平和裡に終わった。
 主催者のWTOは、「セミナーはWTOの学習会にすぎない」というが、NGOや学者たちは、これは、11月、カタールの第4回WTO閣僚会議において、「新ラウンド」を支持するよう、アジアの政府を説得する場だと、非難した。「新ラウンド」には、投資、競争、政府調達、労働、環境など、南北が対立する「新しい問題」がとりあげられる。
 WTO側は、「アジアの片田舎」で開いたインフォーマルなセミナーにもかかわらず、激しい反対派のデモに見舞われたと、驚きを隠せなかった。
  Bello論文は、WTOについて簡潔でシャープな批判と言う点では、他に比を見ない。

 本文      2001年3月27日

 3月27、28日、WTOは、タイのチェンマイで、アジアの政府を招待して、貿易と環境のセミナーを開催した。セミナーはひっそりと開かれた。これは驚くことではない。なぜなら表向きの議題は「貿易と環境」だが、隠れた議題は、大きな対立をはらんだものであった。つまり、11月のカタールでの第4回閣僚会議において、新ラウンドを開始することについて、アジアの政府を賛成させるという狙いがあった。
 これはWTOの典型的なやり口である。WTOは、これまでにも、あらゆる政府間会議を利用して、新ラウンドへの賛同をはかってきた。WTOは、昨年11月のブルネイのAPEC首脳会議でも試みた。また最近ナイジェリアで開かれたアフリカ統一機構(OAU)首脳会議でも試みたが失敗した。
 WTOはアジアの政府を新ラウンドに引きずり込もうとするばかりでなく、アジアの市民社会までも賛成させようとしている。WTOは、アジアの政府を賛同させても、市民社会がそれを覆させることもありうると思っている。そこで、チェンマイでは、ジュネーブにある「貿易と持続可能な発展国際センター(ICTSD)」が、市民社会向けの「貿易と環境」セミナーを、政府間セミナーの直後に準備した。

なぜ南にとって新ラウンドは悪いのか?

 途上国のほとんどは、新ラウンドに反対している。その理由は明らかである。ウルグアイ・ラウンドの項目がいまだに実施されていないから。
 多くの国は、WTOの条項に整合する国内法を制定していない。途上国は、ウルグアイ・ラウンドでは、得たものより失ったもののほうが大きかったことに不満を持っている。UNDPによると、WTO体制の下では、1995−2004年間に、後発途上国(LDC)48カ国は、年間6億ドルを損失し、サハラ以南のアフリカは、年間12億ドルを失う。同じくUNDPは、先進国がウルグアイ・ラウンドの成果の70%を奪ったと言う。しかもその残りは、少数の輸出志向の巨大途上国に向けられた。
 WTOのモ―ア事務局長と英国のショート開発相は、新ラウンドを「開発ラウンド」と呼んで、売り込んでいる。しかし、その主な議題の「自由化」とは、より一層、南の経済を、北の多国籍企業の侵入に晒すというのが、真実である。
 先進国が優先議題にしようとしているいわゆる「新しい問題」とは、投資政策、競争政策、政府調達政策、労働基準、環境基準などである。投資、競争、政府調達の3議題は、多国籍企業に国内企業と対等な扱い、つまり、国内企業の製品や政府との契約に与えてきた特恵措置を撤廃させることである。途上国は、WTO協定の中の労働と環境条項は、途上国の製品に対する障壁である、と恐れており、一方NGOは、その資格もないのに、WTOに巨大な権力を与えることになる、と恐れている。
 新ラウンドは、パンドラの箱のようなものである。いったん開くと、人々と国々の利益を害するあらゆる種類の問題が飛び出してくる。米国は多分、衛生基準協定の修正を出してくるだろう。米国は、遺伝子組替え食品(GMO)を他国に押し付ける手段として、ここで「安全科学」というコンセプトを主張している。

WTOは何をなすべきか? 

 WTOは、貿易自由化をめざした新ラウンドを開始するより、むしろ途上国の利益をできるだけ損なわないために、今後数年間、ウルグアイ・ラウンドを修復するのに費やすべきである。言いかえれば、協定の悪影響を少しでも薄めるよう、努力しなければならない。究極の目標は、WTOの権力を削減することにある。

優先的に取り組むべき分野

.「貿易に関連した知的所有権協定(TRIPs)」を改正すべきである。微生物を含むすべての生物に対する特許を禁止でき、地域や先住民のコミュニティの知識を、生物盗賊の手から守ることが出来るような知的所有権、いわゆる「sui generisシステム」を強化する。 
 知的所有権より、むしる公共の健康が優先されるべきである。何よりもまず、HIV感染者が低価格で延命治療薬を手に入れることができるようにする。

.「農業に関する協定(AOA)」を大幅に修正すべきである。それは、南の農産物に課している関税の最上限・累進制度を廃止し、先進国の企業型農業に大量に供与されている補助金を撤廃し、先進国の農業者に与えられているさまざまな直接収入助成金を撤廃する。さらに、「食糧安保」を市場アクセス・ルールの例外措置にする。途上国がAOAを解釈、実施するにあたって、より大きな裁量を認める「特別特恵待遇」の原則を承認する、などである。
 このプロセスの戦略目標は、WTOの条項から農業を実質的に除外することにある。

.「貿易に関連した投資法案(TRIMs)」はローカル・コンテンツ政策の禁止を除外するよう修正されるべきである。従来、途上国は、貿易政策を工業化のために使ってきた。一定量の製品が、輸入ではなく、現地で調達されるという、ローカル・コンテンツ政策を禁止することは、開発のために貿易政策を積極的に使うことを、実質的に不可能にする。

.1994年、モロッコのマラケシで採択された「特別閣僚決議」では、完全食糧輸入途上国(NFIDs)を援助することを決めた。しかし、AOAでは、これらの国が輸入する食糧は値上げされた。にもかかわらず、この決議は発効されていない。これは直ちに実施すべきである。

.WTOは、繊維と縫製品協定で、輸入障壁を廃止するとした先進国の公約を実施させるべきである。WTOに加入してから7年間、米国、EU、その他の先進国は第三世界からの輸入品の数量制限をほとんど撤廃していない。制限の多い「多種類繊維協定(MFA)」は、まだ残っている。

.加えて、WTOの政策決定構造を洗い直すべきである。いわゆる「グリーン・ルーム/コンセンサス・プロセス」は、少数の国がWTOの政策決定のプロセスを支配している。 
 シアトル会議で米国の貿易代表であったCharlene Barshefskyでさえ、WTOは非民主的であると認めている。彼女は、「そのプロセスは排他的であった。すべての会議は、20から30の中心的な国によってもたれた。残りのおよそ100カ国は、決して「ルーム」に入れなかった。彼らはプロセスから疎外され、25から30の特権国によって、結果だけが押し付けられたという悪い印象を持つに到った」と語った。
 シアトルにおいて、途上国がこのような排他的な政策決定のプロセスに反乱を起こした時、英国のStephen Byers貿易産業相は、「このような方式ではWTOは長続きしないだろう。134の加盟国すべてのニーズと要望に答えるために、根本的な、急進的な改革が必要である」とコメントした。
 しかし、その3ヶ月後の2000年2月、バンコクで開かれた第10回UNCTADにおいて、モーア事務局長は、「グリーン・ルーム/コンセンサス・プロセスを決して交渉議題にしない」と語った。
 政策決定プロセスは、基本的な問題である。途上国と国際市民社会は、WTOの政策決定における基本的な不平等性が除去されない限り、新ラウンドに同意することはできない。

自由貿易は時代遅れか?

 1995年にWTOが設立されて以来、自由貿易は貧困、不平等、そしてほとんどすべての特効薬と見なされてきた。自由貿易と構造調整の理論的支柱であるワシントン・コンセンサスは、万能であった。
 今日、状況は劇的に変化した。自由貿易と自由市場はあらゆるところで問われている。例えば、UNCTADが124カ国について行った調査によれば、貿易の自由化が進行した1965−1990年の間、世界人口のなかで最も豊かな20%の所得は、世界総所得の69%のシェアであったものが、83%に増大している。貿易と成長についての「積極的な関係」については、最近のコンセンサスとして、ハーバード大のDani Rodrik教授は、「貿易障壁を下げることがより大きな経済成長をもたらすのか?多くの研究者によれば、ある国の関税と非関税障壁の平均レベルと経済成長との間に、整合性は見られない。もしあるとすれば、1990年代、輸入関税と経済成長との間の整合性であろう。明らかなことは、成長するにつれて、貿易制限を廃止している。わずかな例外はあるが、豊かな国は保護的な障壁をもって経済成長をとげ、現在は、関税を低くしている」と述べている。
 ワシントンの国際経済研究所(IIE)のFred. Bergstenは、自由貿易とWTOの提唱者であるが、「自由市場のグローバリゼーションはコストがかかり、脱落者が出るということを正直に認めなければならない。グロバリゼ−ションは、国内の所得と社会的格差を増大させ、国際的には、国やグループ単位での犠牲者を生み出す」といっている。
 途上国は新ラウンドではなく、貿易自由化をモラトリアムにすべきである。