WTO  
WTOシリーズ4 WTOとNGO
1999年11月
 1990年代に入ると、戦後の国際政治の枠組みを形成してきた米ソの冷戦構造が崩壊した。これにともなって、それまで米ソの対決の中に押し込められてきたさまざまな問題が顕在化した。貧困の増大、武力紛争の激化、環境の悪化、難民、移民の激増、人権の侵害が頻発するようになった。その解決のために、国連は、子ども、環境、人権、人口、社会開発、女性、人間居住といった地球的規模の課題で、大規模な世界会議を開催した。
 これら国連会議では、NGOが大きな役割をはたした。NGOは、国連会議に並行して、独自のNGOフォーラムを開催し、同時に、国連の会議にも、オブザーバーとして参加し、活発なロビー活動を展開した。さらに、政府代表団にNGOが参加した。
 多くの場合、NGOの参加者数が、政府のそれを上回っていた。もはやNGOの参加を抜きにして、国連の会議を成功させることはできない。
 99年末、シアトルの第3回WTO閣僚会議において起こったことは、それまでこのようなロビー活動にとどまっていたNGOの役割を大きく変えた。シアトルに集まった7万人のNGO、労組、市民の抗議行動が、ついに閣僚会議を流会に追い込んだのであった。97年、オタワにおいて、対人地雷禁止条約の締結という偉大な事業を成功させた最大の功労者はNGOであった。そして、今日、2000年中に、最貧国の返済不可能な重い債務を帳消しにしようというJubile2000の国際的キャンペーンが展開されている。これは、NGOばかりでなく、キリスト教会、労組など市民社会のすべてが参加している。1998年、バーミンガムで開かれたG7サミットにおいては、Jubilee2000を要求して、7万人が「人間の鎖」をつくった。翌1999年、ケルンのG7サミットにおいては、G7首脳が、最貧国41カ国の債務の内、総額700億ドルを削減することに合意した。

国連とNGOの歴史

 国連は、1945年の創設以来、NGOにオブザーバーの資格を与えてきた。しかし、この場合のNGOとは、国連憲章第9条第71項に記されているように、複数の国にメンバーを持ち、活動する国際的な非政府組織(NGO)であることが条件であった。そして、これら国際的なNGOは、国連経済社会理事会(ECOSOC)の諮問資格が与えられた。しかし、承認にあたっては、国連加盟国すべての合意を必要とする。そのため、国際的な人権NGOなどの場合、人権侵害を非難された政府が反対して、承認されないことがあった。今日では、90年以降の国連会議にオブザーバー参加を認められたNGOに限り、たとえ国内レベルのNGOであっても、ECOSOCの諮問資格が与えられている。これらECOSOCの諮問資格を持つNGOは、安保理事会などの例外を除き、総会をはじめほとんどすべての国連会議にオブザーバーの資格で出席することができる。

NGOフォーラムの開催

 国連とNGOのさらに新しい協力関係が生まれたのは、72年、ストックホルムにおいて開かれた国連の環境と人間会議にはじまる。スエーデンのパルメ首相が呼びかけ、ストックホルム市内にNGOフォーラムが準備された。当時、国連では、米ソの対決に加えて、資源問題や「新国際経済秩序」をめぐって南北が激しく対立していた。ストックホルムでは環境という地球規模のテーマであったにもかかわらず、東西間、南北間の対決が持ち込まれ、議論が紛糾した。しかし、それぞれの国益がぶつかりあう国連の会議に比べて、NGOフォーラムでは、草の根の人びと、とくに最も貧しく、虐げられている人びとの立場で議論が進められた。そして、環境と人間の問題は人類共通のテーマだとして、多くの解決案が提起され、国連会議に大きく貢献した。以来、国連会議に並行して、同じ場所でNGOフォーラムを開催することが不文律となった。そして、このNGOフォーラムは、参加者の数いおいてもつねに国連のそれを上回ってきた。
 NGOフォーラムに参加するNGOは、国際組織である必要はなく、ストックホルムのNGOフォーラムでは、国内や地域で産業公害や環境破壊と闘っている住民組織、自然保護や環境保全の運動を進めている市民組織の多くが参加した。NGOフォーラムでは、ワークショップ、全体会議、写真展、寸劇といった各種のイベントが連日、数多く繰り広げられる。95年9月、国連第4回世界女性会議に並行して開かれた北京郊外のNGOフォーラムには、3万人を超える女性のNGOが参加し、史上最大規模の集会となった。

NGOのロビー活動

 90年代に入ると、NGOフォーラムの開催に加えて、NGOが国連会議そのものに直接的に働きかけるロビー活動が活発になった。91年、ニューヨークで地球サミットの準備会議が開かれた時、女性の環境NGOが、「アジェンダ21」の草案のなかにジェンダーの視点がまったく欠けていることに気づいた。そこで70カ国の女性のNGO約1,000人がマイアミに集まり、修正案を作成した。さらにこのマイアミの集会では、女性の国際的ネットワーク「環境と開発女性組織(WEDO)」が誕生した。
 92年、リオの地球サミットにおいては、WEDOが提案したジェンダーの視点がほとんど盛り込まれた。93年のウイーンでの人権会議では女性コーカスの効果的なロビー活動が成功して、「女性の権利は人権である」という決議が採択され、94年のカイロでの人口会議では、女性の「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」についての合意を見たのであった。これは従来人口問題を食料や安全保障の枠組みでしか捉えていなかったことに比べると、非常に大きな前進であった。北京会議では、オブザーバーの資格を得た女性NGOの数は、4,000人を超え、政府代表の数に匹敵するまでになった。
 さらに、94年のカイロの人口会議には、各国の政府代表団の中に、NGOを加えるようになった。その数は国によってことなるが、最低3人のNGOが参加している。また北京では、スペインの例に見られるように、NGOの女性が主席代表となった。しかもこの年スペインはEUの議長国であったので、NGOの女性がEUを代表して発言するという事態になった。

途上国の開発NGO

 国連において、NGOがこのような力量を発揮できるのには、途上国のNGOが数においても急増したばかりでなく、質においても政府に対抗できるまでの成熟度を高めたからであった。
 では、このNGOのダイナミズムはどこからきたのだろうか。それは、「失われた10年」とも呼ばれた80年代、途上国において、それまでの「経済開発」政策の失敗が明らかになり、飢えと貧困の増大、環境破壊、人権侵害が進行した。このような危機に対して途上国政府は解決能力を失ってしまった。これに対処できるのは、NGO以外になかった。
 NGOが定期する「オルタナティブ」、つまり貧しい人びと、とくに女性を中心とした「持続可能な開発モデル」以外には解決の道はないからであった。
 累積債務と続くIMF・世銀の構造調整プログラムの導入によって、途上国政府は、貧困を根絶する能力を失った。その結果、1日1ドル以下の生活という貧困層は、債務危機が発生した80年代には5億人であったのが、99年5月、世銀の発表では、15億人に達した。貧困の根絶をめざし、持続可能な開発を実施している途上国のNGOに対して、資金を提供しているのは、主として北米やヨーロッパの国際開発協力NGO、キリスト教会、各種の慈善団体、それに最近では、ブルッセルのEU委員会などである。
 世銀の調査によれば、途上国の開発NGOの年間資金総額は、85億ドルにのぼる。これは、先進国の年間ODA総額が500億ドル、世銀の開発融資総額が200億ドルであるのに比べると、大きなシェアである。
 NGOは、山岳地帯、僻地農村や漁村、都市のスラムなど、最も貧しい人びとの中に入り、とくに女性を組織し、持続的農業開発、生計工場のためのミクロ・ビジネス、保健衛生の件週、資源や環境の保全など、さまざまなプログラムを実施している。ここでは、NGOは専門的な知識やプロジェクトに必要な資金などを援助するが、めざすところは、貧しい女性たちが組織され、できるだけ早く、自立してプログラムを遂行していけるようになることである。この場合、NGOと女性組織とは平等なパートナーシップの関係にある。
 第1に、NGOには、貧しい人びとに対する「サービス」機能がある。しかし、このようなNGOの開発活動は、本来政府の仕事である。言い換えれば、政府が予算と人材不足のなめに出来ない仕事を、NGOが代行しているに過ぎないだはないか。答えは、ノーである。NGOは、貧しい人びとをエンパワーして、人びと自身が持続可能な開発を実施していくことを目指している。同じに、中央、地方政府に対して、また国連、IMF・世銀などに対しても、人びとを中心にした持続可能な開発についての政策提言、ロビー活動を行う。これがNGOの第2の機能である。
 第3の機能は、国内、地域、国際的なレベルにおいてのネットワーク作りである。NGOの活動家やリーダーの養成を目指したワークショップを、地域、国内、国際レベルで開催し、あるいは、途上国のNGO間で交流を進めている。世界各地で、毎日のようにこういったワークショップが開催されている。

グローバルな市民社会の登場

 シアトルでは、グローバルな市民社会の行動が、国際政治を左右する力をもっていることが証明された。しかし、シアトルは一夜にして起こったのではない。
 リオの地球サミット以来、女性のNGOが国連に対してロビー活動を行い、多くの決議採択を獲得してきた例は、すでに述べたところである。しかし、ロビー活動において成功を収めてきたのは、女性のNGOに限らない。
 例えば、国際的な環境NGOは、地球サミットにおいて「アジェンダ21」の中に、「地球温暖化防止条約」を盛り込むことに成功した。リオに向けてNGOは、抵抗する米国政府に対して、条約締結の国際世論を巧みに盛り上げて行った。
 NGOは、国連のみならず、世界銀行にたいしても、長い間、さまざまな活動を展開してきた。とくに世銀のダム、道路、火力発電所など大規模産業インフラ建設融資プロジェクトによって強制移住された人びと、公害に苦しむ住民の立場にたって、国際的な反対運動をつづけてきた。
 世銀に対するNGOのねばり強い行動、ロビー活動は、すでにいくつかの成果を生んでいる。例えば、95年、世銀は、「独立審査パネル」を設けた。世銀が融資する開発プロジェクトに対して、現地住民やNGOが直接このパネルに訴えることが出来る。パネルは、これを受けて、環境、社会開発、人権の各方面にわたってプロジェクトを調査し、これを中止に持ち込むことが出来る。この最初のケースとなったのは、世銀のネパール政府へのアルン・ダム建設融資プロジェクトが、国家財政を逼迫させ、さらにヒマラヤの環境を破壊するというパネルの勧告により、中止に追い込まれた。
 最近では、OECDの「多国間投資協定(MAI)」の協議がNGOの攻撃を受けて、廃案になった。その内容は、先進国の企業が途上国に投資をする場合、あらゆる自由を保証するというものであった。しかも先進国内においても、例えば地方政府が制定した環境保護の条例が、投資の自由を規制する場合には無効となる、という極端なものであった。
 OECDでは、まず、先進国の合意を取りつけた後、途上国に個別に飲ませようという作戦であった。そのため、OECD内の協議は秘密裏に行われた。しかし、NGOがこの条文草案を手に入れ、国際的に暴露した。そして、フランス政府が、市民社会の抗議に応えて、OECD内の協議をボイコットした。その結果、MAI草案は廃案になった。
 今日、途上国の開発NGOをはじめとして、環境、人権、女性などの国際的なNGOのネットワークに加えて、労組、宗教界を巻き込んだグローバルな市民社会が登場している。
 それは、アジア危機に見られるように、巨額の投機資金が世界を瞬時に駆けめり、一方、国境を超えた巨大企業の寡占化が急速に進むといった経済のグローバル化によって、世界の貧富の差がますます拡大しているという現状に対して、このグローバルな市民社会が、「ノー」と言い始めているからである。これは、ますますグローバルな対決の様相をおびはじめている。