WTO  
WTO交渉、ついに凍結(その1)
2006年7月31日

1.WTO交渉の決裂

 7月23日から、ジュネーブで開かれていたWTO6カ国(G6)の閣僚による非公式交渉は、米国がまったく譲歩しなかったために、ついに決裂した。ラミイ事務局長は、WTO交渉は当分の間、凍結すると宣言した。「ドーハ・ラウンド」は事実上、失敗に終わったことになる。
 このG6閣僚交渉の対立点を単純化すると、米国とEUは、ブラジル、インドなど途上国から農産物の輸出補助金の引き下げ、日本など農産物輸入国は関税引き下げ、ブラジルとインドなど途上国は、米国、EU、日本など先進国から工業製品(NAMA)の関税引き下げを、それぞれ要求されており、相手が妥協しなければ、自らも妥協しないという、いわば“3すくみ”の状況にあった。これは、(1)農産物の国内補助金、(2)農産物の市場アクセス、(3)NAMAの市場アクセス、という「トライアングル項目」と呼ばれる。
 この中で、とくに米国の態度は頑なであった。6カ国交渉では、米国のスーザン・シュワブ新通商代表は、議会に制約され、新しい提案を示すことが出来なかった。米議会は、最近のアメリカ自由貿易地域協定の失敗もあり、WTOに対して敵対的な態度を取っている。
 その結果、米国以外の国は、「米国が動かねば、自分も動かない」という態度をとり、交渉は決裂となった。つまり、交渉を決裂させたのは米国であったといえるだろう。
 米国では、ブッシュ大統領が、11月の中間選挙を控えて、イラク戦争の責任追及では守勢に立たされていることもあって、さらに貿易に関しては、議会が大統領に与えた交渉の委任状(Fast Track)の期限が来年7月に切れるということもあって、何も出来ない状態にある。ブッシュ大統領の任期が切れ、新しい大統領が誕生する09年まで、WTO交渉の凍結状態がつづくのではないかという悲観論もある。そうなれば、先進国はWTOの多国間交渉ではなく、2国間のFTA交渉に軸足を移していくだろう。この場合、FTA交渉では、まったく遅れている日本は、不利な状態となる。それ以上に、最貧国は、FTAの交渉相手国に選ばれることもないだろう。
 この6カ国グループ(G6)とは、当初、米、EU、インド、ブラジル、の4カ国だったが、香港会議前後から日本、オーストラリアが加わり、6カ国交渉となった。このミニ・ミニ閣僚会議は、これまで事務局長が招集してきた20カ国内外の「ミニ閣僚会議」とともに、WTO内では正式に選出されたものではなく、正当性を持たないアドホックな性格のものである。しかし、ここで合意された内容は、149カ国の加盟国全体にはかられ、決定されていく。つまり、WTOの大部分の加盟国は決議作成の課程に参加できない。
 05年12月の香港閣僚会議では、ドーハ・ラウンドのルール作り(Modality)の合意のデッドラインは06年4月末となっていた。それが6月末に延び、さらにサンクトペテルブルグのG8サミットで7月27日に延期された。3回にわたってデッドラインが延期されたのはWTO交渉の歴史のなかでも珍しいことであった。

2.ラミイ事務局長の農業と工業製品(NAMA)協定のルール作り(Modalities)の草案

 6月22日、パスカル・ラミイ事務局長は、貿易交渉委員会(TNC)の委員長の資格で、農業と工業製品両協定の草案を提案した。これらの協定草案は、まさにWTO内のすべての対立点を反映したもので、農業協定だけでも合意に達していないところが760カ所に及んだ。
 なかでも、途上国の貧しい人びとにとって、最も重要な食糧安保と、(大幅な関税引き下げによる)工業化を脅かすものであった。
 ラミイ草案は、すでにジュネーブに集まっていた60カ国以上の貿易、農業閣僚たちによって、6月29日、G20(途上国の主要な農産物輸出国)、G33(途上国の新興工業国)、G10(日本など先進国の農産物輸入国)、G6、EUなどさまざまなグループで、翌日のグリーン・ルーム会議に向けて立場をまとめるために、それぞれ議論された。その中で、米国とEUがどれだけ譲歩するかによって、グリーン・ルーム会議の成功が決まるとされた。しかし、米国は議会、EUはフランスとフィンランドの反対によって、譲歩の可能性はなかった。

農業協定のmodalities草案
 これは72ページにのぼるもので、農業委員会のファルコナー委員長からラミイ事務局長に提出されたものであった。市場アクセス、国内補助金、輸出競争力という3つの柱から成り、13のアネックスがついていた。草案に付けられたファルコナー委員長の手紙によれば、これを「草案」とすることさえ合意していないもので、単に「我々がどこにいるかを示す」ものにすぎない。

工業製品(NAMA)協定のModalities草案
 ドン・ステフェンセン(カナダ大使)委員長によってラミイ事務局長に提出された。中身はほとんど合意されていないものであって、委員長がどこに相違点があるかを明らかにした文書であった。
 草案は3部に分かれていた。第1部は2004年7月合意と香港宣言のNAMAの箇所、第2部はいくつか合意した箇所と議長が提案した文書、第3部は議長が相違点をまとめたものであった。この草案にはアネックスがついていたが、パキスタンのように「提案したのに、それが書き込まれていない」と不満な国もいた。
 NAMAに関しては、途上国のなかの中所得国の10カ国(アルゼンチン、ベネズエラ、ブラジル、インド、インドネシア、フィリピン、エジプト、チュニジア、南アフリカ、ナミビア)による「NAMA11」グループが、6月29日に閣僚コミュニケを発表した。それには「唯一の解決は、GATTのウルグアイ・ラウンドより大きな削減を行うことと、同時に南北平等な削減を行うことである。しかし、先進国は20〜30%の削減率しか提起していないにもかかわらず、途上国には60〜80%を要求している」と述べ、これは、ドーハ・ラウンドが「開発ラウンド」とする原則に反している、と非難している。もし、この関税の削減率が実施されれば、中所得国28カ国の工業は壊滅するであろう。特に、繊維、縫製品、皮製品、靴、ゴムとプラスチック製品、自動車、家具などの産業は打撃をうけるだろう(ICFTUの調査による)。

3.最後のグリーン・ルーム会議

 両草案は、6月30日から始まった30カ国からなるグリーン・ルーム会議で議論された。ミニ閣僚会議、別名グリーン・ルーム会議に出席したのは、米、EU、日本などすべての先進国に加えて、G20(ブラジル、インド、アルゼンチン)、G33(インドネシア、アルゼンチン)、APCグループ(ガイアナ、モーリシアス)、LDCs(ザンビア)、アフリカ・グループ(ケニア)、SVEs(ドミニカ共和国)、NAMA11(南アフリカ、アルゼンチン)、綿花4グループ(ベニン)、CARICOM(ガイアナ)などの各コーディネーターであった。このほか、香港閣僚会議で結成されたG110がある。これはG20、G33、APC、アフリカ、LDCsが統合したものである。
 会議に先立って、ブラジルのアモリン貿易相は記者会見で、「先進国が途上国に責任を転嫁しようとしている」ことに抗議した。米国とEUは、途上国が工業製品の関税率を引き下げて工業製品の市場開放を行うことが先決だ、といったことをさす。
 昨年10月、途上国のG20はEUに対して農産物の輸出補助金を54%削減することを要求した。これに対してマンデルセンEU通商代表は、39%削減を提案した。しかし最近になってEUのなかに46%〜50%削減を示唆する代表も出てきた。
 しかし、フランスの貿易・農業相は、「マンデルセンには、10月の提案以外のマンデートはあたえられていない」と発言した。このEU内の混乱は興味ある現象である。
昨年10月、先進国は重要品目を8%にとどめると約束したが、途上国のG20は、1%を主張した。
 一方米国は、昨年10月の提案より一歩前進して、農産物の輸出補助金を年間482億ドルから227億ドルに引き下げる、つまり53%の削減を提案した。しかし、2005年の実績は196億ドルであった。したがって、米国は、削減ではなく、より多くの補助金を支出することになり、途上国の怒りを買った。
途上国は、米国に対して、120億ドルの支出、すなわち75%の削減を要求している。
 途上国以外の国も150〜170億ドルを米国に対して要求している。EUは、米国に対して、150億ドルにすべきだと主張している。
 途上国は、EUに対しては年間672億ドルから220億ドルに引き下げる、つまり80%の削減を要求した。EUは、最初は39%の削減を言っていたが、それを51%とすることを提案した。途上国のG20は54%、米国は66%をEUに要求している。米国をのぞいて、このEUの引き下げ率は、交渉としては「良いスタート」であると言っている。つまり、ボールは米国に投げ返されたのであった。
 グリーン・ルームでのラミイ事務局長の妥協案は、EUの市場アクセスについてはG20の提案を受け入れる、米国の国内補助金については20billion(200億ドル)とする、途上国の工業製品の関税についてはスイス方式の20とするという、20−20−20案を提案した。
 米議会の強力な族議員たちは、農産物の国内補助金については賛成するが、途上国の工業製品の市場アクセスについて不満をもらした。ブラジルのアモリン貿易相は、20−20−20に対して、米国が農産物の補助金を200億ドルにするということに反対した。
 「これまでの実態を追認することになるなら、いったいこれまでの20年間の議論は何だったのか」といった。
 グリーン・ルーム会議は予定を1日早めて、7月1日、何の成果も見ずに散会した。
 しかも、グリーン・ルーム会議では、ラミイ事務局長に、新しい草案を起草する権限を与えられなかった。
 そこで、会議後、ラミイは貿易交渉委員会(TNC)に対して以下のことを提案した。今後(1)農業とNAMA委員会で集中した幅広い協議を行っていくこと、(2)協議は農業、NAMAの委員長が出した草案に沿って行うこと、(3)出来るだけ早くTNCに報告すること、などであった。
 つまり、ラミイ事務局長には、単にこれらのプロセスの調整役の権限しかない。ラミイは、これまでの事務局長に比べて、WTOの透明性と参加性を高めることを公約し、ある程度実行しているところから、加盟国代表からそれなりの信頼を得てきた。しかし、「トライアングル項目」の隔たりがこれほど大きいので、さすがのラミイも調整不能である。
 残るところはG6間の調整の場しかない。この間、ラミイはケニア、ザンビア、インドネシア、そして先進国の首都を訪問するなど集中的なロビイ外交を展開した。しかし、最初に述べたように、7月22日にジュネーブで始まったG6ミニ・ミニ閣僚会議もついに7月24日に決裂し、WTO交渉は、終わりのない凍結時代に入った。

 世銀は、WTOの貿易自由化が達成されれば、加盟国に3000億ドルの利益が入ると計算した。その中で、途上国の利益は860億ドルに上るとしている。これだけを見ても、自由貿易の利益をうけるのは圧倒的に先進国である。人口の3分の2を占める途上国は、その4分の1強の利益しか預かれないのだ。