WTO  
香港WTOその2「米国、EU、ラミイ“三位一体”の陰謀」
2006年1月6日
 
 第6回閣僚会議の開催前、ジュネーブのWTO本部では、「香港はカンクンの2の舞」という悲観的な見方がなされていた。そして、香港では、前回のカンクンのように、閣僚会議に提出された草案を議論せずに、2006年前半に開催を予定される2回の閣僚会議の日取り(3月と6月の2回)を決めるだけで閉会する、とさえ伝えられていた。

1.香港閣僚会議前のジュネーブ

 ジュネーブでは、途上国の中には、大使を置いていない国や、たとえ駐在していても1人では同時多発的に開かれる各委員会の会議をすべてカバーできない国が多く、したがって発言力も弱い。その結果、2004年7月の一般理事会では、カンクンでは通らなかったドーハラウンドのモダリティ(ルール作り)に向けて一歩踏み込んだ「7月枠組み」が採択されてしまった。
 ここでは、それまで途上国が要求してきた南北間の貿易の不均衡をなくすための「開発」問題は完全に欠如していた。
 WTO誕生以前のGATTは、主として先進国間で交渉が進められた。しかし、95年に誕生したWTOには経済発展の格差が大きい途上国が多く参加しているため、この格差を解消するためのさまざまな措置が必要であった。これを「実施」問題と呼んだ。「7月枠組み」には、この「実施」問題が消えていた。
 さらに、その後、ジュネーブでは、EUと米国が、途上国が要求していた農産物の輸出補助金の削減と引き換えに、途上国に対して工業製品とサービスの分野での市場開放を要求してきた。しかも米国とEUの農産物に対する輸出補助金の削減の公約とは、まったくのインチキで、GATTで許されていた率から削減するというもので、実際に執行されている金額はこれより少ない。つまり削減するといっても現行の金額に戻ることになる。実質的な削減ではない。米国は」むしろ財政難であるため、補助金を減らしたいのである。    
 また農産物の補助金に関しては、WTOにはさまざまBox( カテゴリー)がある。問題となっている輸出補助金というBoxから、直接農産物の生産者(小農民ではなく、主としてアグリビジネス)に支払う、あるいは信用保証供与など名前の違う「グリーンBox」に変える、など抜け道が多い。
 つまり、先進国側は、内容のない農業の公約と引き換えに、途上国の発展にとって死活的な工業とサービス部門の市場開放を要求したのであった。これは戦後の日本や途上国の中でも工業化に成功したアジアの小タイガーたちの例を見てもわかるように、その成功は産業政策として、むしろ外国資本と製品の流入を防ぐ“保護貿易主義”を一貫して採ってきたからだといえる。
 しかも今日の途上国政府には、財政的な余裕がないので、国内の補助金を注入することが出来ないので、高い関税を課するという保護政策を採らざるをえない。
 したがって、NAMAやサービス部門での関税引き下げは、競争力の弱い国内産業を破滅させ、工業化を阻むことになる。
 このような先進国の不当な要求に対して、ジュネーブでは途上国側は反撃に出た。その結果、農業、NAMA(工業製品)、サービスの3分野すべてにおいて、まったく合意に達することが出来なかった。
 これでは、ジュネーブ本部とは違い大勢のNGOやマスメディアが集まる香港閣僚会議で合意に達することは難しい。これが、香港会議についてのラミイ事務局長ら指導部の悲観的な見方の原因であった。
 香港閣僚会議に提出する文書の草案には、各委員会の議長の責任において、一致していない箇所にブラケット(括弧)を付けた草案をそれぞれ書き、これらをラミイ事務局長がまとめた1本の草案にすることになった。
 そもそも閣僚会議の「草案」をラミイ事務局長がまとめること自体が異例のことであった。ラミイはWTO事務局の長であって、WTOの議長ではない。これまでは、これは一般理事会の議長(半年毎の持ち回り、今回はケニア大使)の仕事であった。これをラミイが独断で書いたのであった。これは事務局長(国連のアナン事務総長ではない)の越権行為であった。

2.偉大なGATSスキャンダル

 各委員会の議長の“責任において”提出された個々の分野の協定草案の中で、サービス協定(GATS)についての草案に異変が起こった。これは「偉大なGATSスキャンダル」と呼ばれた。
 ジュネーブでの新しい非公式会合となった米国、EU、インド、ブラジルのQUAD4カ国交渉の中で、サービス協定について、05年9月13日、EUがリーダーになって、米国とインドを抱き込んで、GATSをラジカルに変える提案を行った。QUAD以外には日本などいくらかの国がこれに加わった。
 GATT時代に締結されたGATSでは、途上国はサービス部門の市場開放に関しては、交渉は2国間で、どの分野を選ぶか、いつ、どれ位開放するかについては途上国の選択に任せるという開発にとっては有利な“柔軟性”が持たされていた。GATTでは途上国の反対が強かったので、先進国側がとにかくGATSを採択したいために譲歩を重ねた結果であった。
 2005年10月10日、EUは、このGATSの“柔軟性”を切り捨て、交渉は2国間でなく、途上国はグループ別に分かれて、その中の1国が交渉に入るとそのグループに属している国は自動的に交渉に参加しなければならない、という内容の草案を、米国、日本、カナダ、チリ、台湾、インドなど「Friends Group」の賛同をもって、サービス理事会のマテオ(メキシコ大使)議長に提出した。これは「Plurilateral Negotiotions 」と表される。したがって市場開放の交渉には、途上国は市場を開放するサービスの中の分野、時期、数量について自ら選択することが出来なくなる。
 途上国は先進国のサービス資本に蹂躙され、地場産業は破滅されてしまう。サービス部門では多数の失業者が出ることは目に見えている。
 これに対して、アルゼンチン、ブラジル、マレーシア、タイ、フィリピンなどの国、シンガポールを除くASEAN、カリブ海諸国、アフリカ連合、低開発国(LDCs32カ国)などWTOの大多数が反対し、それぞれ対抗案を提出した。
 にもかかわらず、マテオ大使は多数派の反対を無視して、EU案を「議長草案」として、ラミイ事務局長に提出した。他の委員会の議長たちは、合意していない部分に括弧をつけて、「草案(ドラフト・テキスト)」ではなく、議長の責任による「レポート」という形で提出していたが、マテオ議長だけがEU案を「草案のアネックスC」として、書き入れた。これはサービス理事会の内容と異なることはいうまでもない。
 11月27日、ラミイ事務局長が出してきた香港閣僚会議に提出する香港閣僚宣言草案にはマテオ大使が提出したサービスの草案がそのままの形で取り入れられた。途上国の反対に対して、ラミイ事務局長は、「アネックスCを取り除くには、もう一度サービス理事会の合意が必要だ」などといった詭弁を弄して、途上国の抗議をかわした。
 香港会議の開催が近づくにつれて、マテオ大使に対する非難の声が高まってきた。そしてあきらかになったことは、EU、米国、ラミイよりなる三位一体の陰謀であった。農業、NAMAにつても同様の三位一体による陰謀があった。

3.代表団の発言を封じる劇場型閉会式

 香港閣僚会議が開かれると、この三位一体による陰謀はますますエスカレートした。まず、会議は全体会議と非公式会合とに完全に2分化された。全体会議は、NGOによる会場内での抗議行動とともに、セレモニーで終わった短い開会式、これまでになく厳しい条件を飲まされたトンガの新規加入審議を除くと、退屈な149カ国の政府代表団の閣僚演説が続いた。
 一方、ラミイ事務局長の記者向けのブリーフィングによると、香港では、12月14〜17日の4日間に、非公式会合が450回、それに各委員会の議長たちによる調整が200回持たれたという。これらの会合は、誰が出席したのか、誰が何と言ったのか、議事録もなく、「Non Meeting」と呼ばれる。
 非公式会合には、勿論事務局長が恣意的に選んだ国の代表だけが参加を許される。しばしば、この種の会合は、同時多発的に開かれるので、選ばれたとしても少人数の代表団ではとても全部をカバーしきれない。勿論、非公式の会合であるので、NGO、マスメディアは締め出された。
 しかし、ラミイ事務局長は、「香港閣僚会議は透明度が高く、非排他的で、ボトムーアップ」であったと評した。
 唯一、全員が一堂に会することが出来たのは、セレモニーに終わった初日の開会式を除くと、18日の閉会式であった。
 しかし、これにも巧妙な“振付師”がいた。まず、会議場は劇場風に変更された。会議場には観客席のように椅子しかなかった。マイクは壇上にしかなく、フロアから発言できる場内の通路にはなかった。代表団の席には国名を書いたカードも、机もなかった。ドーハ閣僚会議を含めて、国際会議でこれほど非参加型のものを見たことがない。

4.ベネズエラとキューバの留保

 会議の議長を務めた香港政庁のJohn Tsang商務大臣は、ラミイ事務局長が提出した「香港閣僚会議宣言」草案の前文を読み上げ、続いて「綿花」とLDCsに関する「アネックスF」の修正を指摘した。そして、草案を採択することを提案し、続けて、誰も発言する暇もないうちに、あわただしく「採択されました(It is so adapted)」と槌を叩いた。
 この後で、議長は、閉会式に先立って開かれた代表団長会議(HOD)でさまざまな留保が付けられたことをアナウンスした。そこで参加者ははじめて閣僚宣言には留保があったことを知った。しかし、この留保をどのように扱うかについては全く説明がなかった。
 ついで議長が、各委員会から提出されたレポートについて説明し始めると、突然、1人の女性が壇上に駆け上がった。それはベネズエラのMari Pili Hernaandez外務副大臣であった。彼女はベネズエラとキューバ両代表団を代表して、閣僚宣言に留保を述べる権利を主張した。議長はしばらくためらった後、しぶしぶマイクを用意するように命じた。
 そこでキューバ代表が発言した。彼は留保する箇所があまりにも多いので、声明文をWTO事務局に提出すると述べた。ベネズエラ代表は、とくにHODで述べたNAMAとサービスについての反対意見を再度確認したいと述べた。
閉会式に代表団が留保を述べるなどということは、WTOの歴史にははじめてのことであった。
 また、議長は香港会議以後のスケジュールについては何も触れなかった。しかし、その後の記者会見では、06年4月30日が農業とNAMAの「モダリティ(具体的なルール作り)」の新しいデッドラインであると述べた。しかし、それがこのモダリティを決定する次の閣僚会議の日取りなのかは明らかではない。そしそうならば、いつ、どこで閣僚会議は開かれるのか?
 香港で、この最終的なモダリティを決定することには失敗した。しかし、香港を「Non Meeting」にすることだけは避けられたといえよう。ラミイ事務局長は、「香港閣僚会議は55%ではじまり、60%の達成率で終わった」と語った。