WTO  
香港WTOその1「WTOを倒せ」農民デモin 香港
2006年1月3日

12月11日日曜日

 2005年12月13日から始まった第6回WTO閣僚会議を目前にして、11日の日曜日午後2時、香港政庁がNGOフォーラムの会場として提供した香港島のビクトリア・パークでは、150カ国から集まった「ビア・カンペシーナ(WTOに反対する国際農民連合)」の農民たち、国際自由労連(ICFTU)書記長を先頭にした各国の労組、NGO、ILPP(フィリピン、ネパールなど毛派共産党の国際連合)、さらに香港在住の移住労働者、香港市民など1万人が、反WTO、反グローバリゼーションのバナーを掲げて集まった。その後、WTOの会場をめざして2キロの繁華街を平和的にデモをした。
 このデモを組織したのは香港のNGO連合「香港民間監察世貿連盟(HKPA)」であった。この連盟は、香港の150のNGO、社会運動によって構成された。「ビジランス」と書いた腕章をつけた青年たちが、デモの統制に当たった。
 デモの中には、デンマークの彫刻家が持ち込んだ本物の牛の剥製、あばら骨が出た飢えた農民の群像、痩せた農民の肩に乗っかった太った女などの列や、インドネシアからのWTOを模した巨大なモンスターなども見られ、まるでお祭り気分であった。
 夜半に入って、一部の農民たちが会議場を取り巻いていた巨大なブロック製のバリケードを突破しようとして、警官隊と小競り合いが起こった。
 しかし、香港のマスコミはこのデモについておおよそ好意的に報道した。それまで「韓国の農民が押しかけてきて、破壊行為を働く」と言って、反感をもっていた香港市民たちも肩透かしを受けたようだった。
 実はこれにはわけがあった。
 WTO閣僚会議に先立つ11月19日、韓国で開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)の最終日に、反WTOを叫ぶ韓国農民の激しいデモが起こり、警察の過剰な警備によって農民の死者2人を出したという事件があった。そして、香港には韓国の農民2,000人が参加して同様の事件を起こすという情報が流れていた。
 これに対して、香港政庁は2.5億香港ドル(約38億円)を投じて、会議場と先進国の代表団の宿舎となっているホテル群の警備にあたり、9,000人の警官を配置した。 
会議場となったコンベンション・センターは香港島湾仔(ワンチャイ)の海に突き出した突端にあり、日曜日にはすでに周辺の店はシャッターを下ろしていた。この地区の学校は1週間休校になり、公立の病院は緊急以外の手術を延期して、予測されるケガ人の処置に備えるなど、大騒ぎをしていた。
 香港の空港で韓国からの農民のうち約300人が入国を拒否されるという情報があった。さらにフランス農民連合およびビア・カンペシーナのリーダーであるジョゼ・ボベが空港で拘束された。彼はWTOにNGO登録していた。ボベの拘束に抗議するビア・カンペシーナの抗議やマスメディアからの質問などが相次ぎ、ボベは解放された。しかし、韓国農民は本国に追放された。

12月13日火曜日

 午後3時からWTO閣僚会議の開会式が開かれた。WTOに登録したNGOは1,000団体、2,000人に達していた。これはWTOの歴史では最大であった。
 WTOは、あらかじめ1団体1人、総計300人と限定をつけてNGO傍聴を認めた。開会式がはじまり、パスカル・ラミイ事務局長のスピーチがはじまると、傍聴席にいたいた約50人のNGOが一斉に、「WTOを倒せ」などといったプラカードをかかげ、口々に反WTO、反グローバリゼーションのスローガンを叫んだのであった。これはラミイのスピーチが終わるまで続いた。
 一方海に突き出た会議場が望める場所にあるビクトリア波止場では、ビア・カンペシーナの農民たちが反WTOのスローガンを叫んでいる中で、韓国の農民300人が、防寒服と救命着を身に着け、会議場を目指して次々と海に飛び込んで泳ぎ始めた。警察がモーターボートを出して、岸から100メートルのところで農民たちを海から拾い上げたので、会議場まで泳ぎ着いたのは1人もなかった。
 また会議場の沖には、OXFAMがマストに「Make Trade Fair(公平な貿易を)」と大書したジャンク舟を浮かべた。
 会議場の周辺では、小規模のデモ隊がバリケードを突破しようとして警官隊と衝突し、7人が逮捕された。うち3人は負傷し、病院に運びこまれた。

12月14日水曜日

 韓国の農民が会議場に向けて泳いだという前日の事件を受けて、今度はインドネシアの漁民1人が、WTOによって途上国の漁民が廃業に追い込まれるということに抗議して、同じビクトリア波止場から裸で寒い海に飛び込んだ。彼は、水泳の途中で、警察のモーターボートに引き上げられたが、多くのデモ隊の中では、会議場にもっとも近くまで接近することが出来た、と報道された。
 一方、陸上では、漁船のモデルを担いだアジアの漁民のデモが、請願書をWTOの代表に手渡すことを警察に要求した。結局フィリピン政府代表が会い、請願書を受け取った。漁民たちは口々に「我々漁民は団結し、負けないぞ」と叫んだ。
 韓国農民は、2003年9月カンクンでの第5回WTO閣僚会議中、抗議死をした農民の写真を掲げて、繁華街で座り込みを行った。
 会議場内では、ヨーロッパ農民連合、地球の友インターナショナル、グリーンピース、ATTAC、農業貿易政策研究所(IATP)など165の市民団体が、農業分野でのGMOの使用を止めるように求めた署名簿135,000人分をラミイ事務局長に提出することになっていた。しかし、現れたのは彼の代理であった。しかし、ラミイは同じ時間にEUの経営者団体の代表と会合していた。
 
12月15日木曜日

 まず、正午に、200人のビア・カンペシーナの農民代表が会議場近くのデモのコースに到着し、WTOの代表に「WTOが農民や漁民の生活を破壊している」という抗議文を手渡したいということで、会議場への入場を要求した。香港警察はその中の10人が会議場内に入ることを認めた。前日の魚民の場合と同様、フィリピン政府代表が農民に会い、抗議文を受け取った。
 同じ頃、韓国からの農民1,000人がビクトリア・パークに集まり、「仏教式儀式の行進」を開始した。これは、先頭に大きなマイクを積んだトラックが「打倒、打倒、WTO」と叫ぶと、その後ろに、5人が一列に並び、同じスローガンを唱えながら3歩歩き、次に手と膝を土に付けておじぎをする、という行為を繰り返して進むのである。韓国農民連盟のスポークスパーソンは、これは韓国の伝統であって、「瞑想」「自己規律」「天に祈る」という3つの内容を含んでおり、「これをもって、WTOによって苦しんでいる人びとの存在を世界に知らしめようとするものだ」とマスコミに説明した。
 普通に歩けば20分とかからない距離だが、この行進は香港島のメインストリートの車道一杯に広がり、2時間かけて会議場に向けて進んだ。この日は店も明けたので、大勢の買い物客と取材のマスコミがぎっしりと歩道を埋め尽くした。
 その後、フィリピン、韓国、タイ、カンボジア、バングラデシュ、インドネシアなど数百人の女性の農民のデモがあった。父親が漁民で、母親が農民であり、自身も農民であるフィリピンのRiza Fanilag さんはこのデモのリーダーであった。彼女は「WTOのせいで家族は貧しくなる一方だ。途上国は米国のような大国と競争できない」とマスコミに語った。
 この日、思いがけないことが起こった。それまでデモの矛先は常にWTOの会議場に向かっていたのだが、今回はデモの矛先がインド大使館に向かったのであった。
 これには、わけがあった。WTOの交渉は常に“非公式”会議で決められてきた。これは、20〜30カ国内外が参加する「グリーンルーム」と通称される会議、あるいは「ミニ閣僚会議」で交渉が進められてきた。これらに出席するものは事務局長が恣意的に選んだ国に限られ、すべての先進国は必ず参加してきた。途上国については、参加できるのは少数であった。
 しかし、2005年に入ると、これが米国、EU、インド、ブラジルの4カ国(QUADと呼ばれる)間の交渉に代わった。この非公式会議には議事録もなく、まったく秘密裏に行われた。ここで決まったことが、南北間のコンセンサスとして加盟国全員が参加する各委員会や一般理事会に提案され、採択されるという形を採るようになった。
 QUAD交渉が進むに連れて、途上国側の利益を代表するはずのインドとブラジルの態度に変化が起こった。インドは途上国の中では工業化が進んできたため、サービス部門などについては他の途上国に対して市場開放を求めるようになった。またブラジルは、米国、EUの輸出補助金については被害を受けてはいるが、ブラジルもまた農産物の大輸出国であるというところから、他の途上国に対しては農産物の市場開放、すなわち関税率の引き下げを要求するという点では先進国と同じ立場をとるようになった。そこで、インドとブラジルに対する批判が高まっていた。
 16日午前には、インド、インドネシア、バングラデシュなどビア・カンペシーナの代表25人がインド大使館前に集合した。「WTOを打倒せよ」「インドの商業大臣は国に帰れ」などと叫んでデモをした。インド領事は、インド政府代表とインド大使宛の抗議文を受け取り、かならずインド商務大臣とインド大使に手渡すことを約束した。
 2ページの抗議文には「10年にわたるWTO農業自由化交渉によって、インド農業と小農民は輸出志向型農業および効率優先政策によって劇的に影響を受けてきた。インドでは過去1年間に25,000人の農民が自殺に追い込まれている」と書かれてあった。「WTOの交渉から農業項目をはずせ」というのがビア・カンペシーナの主張であった。

12月16日金曜日

 前日の韓国の農民の仏教式行進に連帯して、午前11時から香港市民5人(うち4人は女性)が会議場近くでハンストを開始した。
 抗議文の中には、バリケードで囲まれた場所は、本来市民の公共の場である。これは一握りのWTO会議の参加者に独占されるべきではない。すみやかに市民に開放せよ。WTOは会議場外の人びとにもドアを開くべきである。なぜなら、ここで議論されていることは、すべての人びとの利益であるからだ。WTOは議題の中から農業と漁業を外すべきである。なぜなら食料は人びとの基本的権利であるからだ。

12月17日土曜日

 この日は、翌日曜日が閉会式だけだったので、実質的にWTO交渉の最終日であった。これまで比較的平穏に行われてきた抗議デモは、WTO会議の4日目に入り、突然暴力的な様相を帯びたのであった。
 午後2時にビクトリア・パークに集まったビア・カンペシーナ主催の3,000人のデモは、当初から会議場に通じるあらゆる道のバリケードを突破しようとゲリラ的な行為を繰り返した。そして午後5時を過ぎたころ、香港警察が、突然やみくもにデモ隊に襲いかかった。警官はデモ隊の頭をめがけて金属製の警棒を振るい、胡椒のスプレイをかけ、催涙弾を発射するなどの暴力を振るった。
 その後1,000人を超えるデモ隊は、道路に座り込みを行った。彼らは歌をうたい、踊り始め、この段階では少なくとも平和的は行動であった。警官隊とのにらみ合いは約10時間に及んだ。そして、19日午前3時、警官隊は突然、座り込んでいた人びと全員を逮捕した。
 この時の逮捕者の数は1,000人を超えた。そのなかには、ビア・カンペシーナのリーダーを始めとして、韓国、インドネシア、タイ、スペイン、フランスなどのビア・カンペシーナの代表が含まれていた。警官はデモ隊に殴りかかり、逮捕の理由も告げずに、いきなり手錠をかけて連行した。警察署では女性の逮捕者がとくにひどい目に合わされた。男性の逮捕者がいる前で下着まで脱がされて取調べをうけた。警官の暴力により70人がケガをした。そのうち2人は重症であった。
 香港警察の不当な逮捕に対して、地球の友インターナショナル、サードワールド・ネットワークなどWTOにオブザーバー登録をしているNGOなど45団体が「WTOから生活を守るために戦っている人びとを直ちに釈放せよ」という連帯の声明をだした。
 その後、逮捕者の中の女性400人全員は釈放された。
 デモ隊と警官との衝突は深夜にいたるまで続いた。
すし詰めの拘置所では、寝ることも、足を伸ばすことも出来なかった。逮捕者が弁護士の接見も許されず、水も食事も与えられなかった。病人が医者の診察を受けるのも拒否された。携帯電話を持っていた逮捕者2人が外部に連絡して、拘置所の様子を知ることができた。
 最終的には、逮捕者の中で、7人が告訴された。うち1人は日本人である。

最終日の抗議デモが逮捕者を出すまでに暴力化したのは、WTOの閣僚会議の議論が、米国、EU、ラミイ事務局長のトリオによって一方的に進められ、110カ国という圧倒的多数派である途上国の主張が無視されていることに苛立ちはじめたからであった。
 ジュネーブという世界から隔離された土地では可能であっても、香港の閣僚会議で、1万人以上の人びとが見守るところでは、とうていこのようなトリオの横暴は見逃されるはずはない。