WTO  
香港WTO閣僚会議に向けて その1
2005年11月27日
 
1.はじめに

  WTO(世界貿易機構)はジュネーブに事務局と加盟国大使が常駐している。WTOは、それまでのGATT(関税と貿易に関する一般協定)のウルグアイラウンドから、マラケシ条約が締結され、それを各国が批准して、1995年に誕生した。現在、148カ国が加盟している。
  1999年11月、シアトルの第3回閣僚会議が流会に終わり、「新ミレニアム・ラウンド(2000年から始まる多国間交渉)」に入ることが出来なくなった。
  第4回閣僚会議は、2001年11月に開かれたが、その直前の9.11事件により、世界は反テロ・ムードに覆われた結果、南北対決が休戦状態になったのと、湾岸首長国のドーハという閉ざされた場所で開催されたため、NGOの参加も少なかったこともあって、かろうじて流会になるのをまぬがれた。
  ドーハでは、06年末をデッドラインとする「ドーハ宣言」が採択された。同時に、アフリカなど途上国の強い主張でエイズ治療薬に関連した「TRIPsと公共医療に関する宣言」も採択された。
  しかし、この頃から、途上国側の逆襲がはじまっていた。そこで、先進国側は途上国をなだめるために、途上国に公約してきたWTO諸条約の実施を優先するとして、「ドーハ開発ラウンド」と呼ぶことにした。
  2003年9月、カンクンの第5回閣僚会議は、実施、すなわち開発問題を主張する途上国と投資など新しい項目を加えようとしる先進国が対立した。これに加えて、途上国が米国、EUの農産物輸出への補助金の撤廃を求め、先進国側が途上国に対して、工業製品とサービス部門の市場開放をバーター取引にするなど、南北対立がさらに激化した。
  その結果、カンクンの閣僚会議は、シアトルと同様に流会した。

2. 2004年「7月枠組み」

   ジュネーブのWTO本部では、先進国側は、何とかして、「ドーハラウンド」の実施に向けて「交渉に入る」ことに集中した。それは、農業、工業製品、サービス、開発、TRIMS、TRIPs、特別セーフガード・メカニズム(SSM)、特恵国待遇などの項目で「モダリティ」を設定するというものであった。
  「モダリティ」とは、達成時限値、数量値を含めた詳細な多国間貿易ルールについてのコミットメントを指す。大きく言えば、ドーハラウンドが終了する2006年末までに達成することになる。
  勿論、途上国は、ドーハ以来米国、EUに対して要求してきた農産物輸出への巨額の輸出補助金の撤廃について達成時限値が明らかにコミットされない限り、いかなる「モダリティ」を作成することに反対した。
ジュネーブ本部では、カンクンでの敗北後、先進国勢が巻き返して、04年7月の一般理事会で、「7月フレームワーク」なるものを採決に持ち込んだ。これは、理事会直前に文書の草案が代表団に配布され、代表団の人数が少ないか、ジュネーブに代表を置いていない途上国側は不利となり、ついに採択されてしまった。
  その後の1年間、ジュネーブでは、先進国側は、戦勝ムードにあった。とくに憂慮すべきことは、当初「ドーハ開発ラウンド」が目指したもの、すなわち開発を促進することと、ウルグアイラウンドでは(主として、先進国間の関税引き下げ交渉に終始したため)欠落していたもろもろの南北間の貿易格差を是正するという開発、すなわち南北問題の視点がなくなった点であった。代わって、ラウンド、すなわち多国間交渉においては、農産物、工業製品、サービスなどの部門での市場アクセスがどれだけ拡大するかが成功の目安になってしまった。
  当然のことながら、途上国の要求は無視されている。米国とEUは、農産物の生産過剰やダンピングといった重要な問題を議論せずに、途上国が自国の農民を保護することだけを攻撃している。また、工業製品とサービスに関しては、途上国が到底飲めないような市場開放を要求している。
  しかし、今年7月の一般理事会では、途上国が反撃に出た。そしてついに「モダリティ」についての合意に達することが出来なかった。

3.ラミイ事務局長問題

  9月には、前EU通商代表であったフランス人のパスカル・ラミイがWTOの事務局長に就任した。WTOの事務局長は、事務局の長として、中立性を守り、裏方に終始してきたというこれまでの慣習を破り、ラミイは各委員会を総括する「貿易交渉委員会(TNC)」の委員長に就任し、さらにこれまでは、年毎に持ち回りにしてきた一般理事会の議長の役目であった閣僚会議に提出する草案も自分で作成する、また、これまでは、非公式であるという理由で、ミニ閣僚会議などでは開催国が議長を務めてきたという慣習を破り、ラミイ自ら議長を務めるなど、もっぱら先進国の利益を代弁し、強いリーダーシップを発揮しはじめた。
  そして、ラミイ事務局長は、「香港ではモダリティが採択されるだろう。それでドーハラウンドの3分の2が達成されたことになる」と語った。
  このような傲慢なラミイ事務局長に対する途上国の反発も大きく作用し、9月半ばから11月半ばにいたる2ヵ月間、ジュネーブでのグリーンルーム会議、ロンドンでの11月7〜8日のミニ閣僚会議、ジュネーブでのスーパー・グリーンルーム会議などを含めて、数多くの非民主的、非公式会議が開かれてきたが、ついに、香港閣僚会議の1ヵ月前になっても「モダリティ」についての合意が得られない状態にいたった。
  この中での最近の特徴では、米、EU、インド、ブラジル4カ国(QUAD)のミニ会議がしばしば開かれるようになったことである。農業問題では、これにオーストラリアが入る(FIPS)こともあり、最近では、日本もなぜかオブザーバーの資格でQUADに参加する(QUAD Plus ONE)ことが出来た。

4.モダリティの合意が不成立に

  10月の半ば頃から、すべての委員会で南北対立が解消されず、合意に至らなかった。
  11月3日、ジュネーブで代表団長会議(HOD)が開かれ、ラミイ事務局長が交渉の進行状況について、ブリーフィングをした。そこでは途上国側から、多くのくにが交渉から除外されていることや、なぜ各委員会の委員長に閣僚会議の草案を起草する権限があたえられたのか、などについての批判が続出した。
  11月7日、ロンドンで米国、EU、ブラジル、インドの4カ国の閣僚が、インド大使館内で会合を開き、農業、工業製品、サービスについて交渉をしたが、時間切れで、合意に至らなかった。
  つづいて、11月8〜9日の2日間、今度はジュネーブでラミイ事務局長が召集し、事務局長室で自ら議長を務めた。これは28各国の閣僚が出席するミニ閣僚グリーンルーム会議であって、別名、「スーパー・グリーンルーム」とも呼ばれる。
  ここでも、とくに農業と工業製品(NAMA)という主要議題についての対立は深く、議論は時間切れに終わった。これに出席したのは、EU、米国、インド、ブラジル、日本、カナダ、スイス、香港、ニュージーランド、オーストラリア、韓国、パキスタン、中国、南アフリカ、タイ、マレーシア、エジプト、ケニア、ザンビア、レソト、ベニン、チャド、アルゼンチン、メキシコ、コスタリカ、ジャマイカなどである。
11月に入って開かれた一連の非公式な会合は、膠着状態にあったWTOの交渉をブレークスルーするものと見られていたが、いずれも失敗に終わった。
11月はじめ、WTO事務局は加盟国の代表団に、11月15日には、閣僚会議の草案が完成すると発表した。
  ところが、サービス委員会のフェルナンド・デュマテオ委員長が、一方的にまとめたサービスに関する草案を強引に作成したため、紛糾した。その結果、各委員長の報告書は両論併記という形になった。
  したがって、ラミイ事務局長の草案は15日になっても発表されず、デッドラインが12月2〜3日の一般理事会まで延期された。
  11月27日付けの報道によると、事務局長の草案も両論併記の形になるという。「モダリティ」については、すでに諦めたらしい。
  とはいっても、昨年7月の一般理事会のときのように、このラミイ草案が理事会の24時間前に代表団の手元に配布されるようなことが起これば、事情はまた変わってくるだろう。油断は許さない状況である。
  また、11月末に、突然、ミニ閣僚会議が開催されるといううわさもある。
一方、ラミイ事務局長は、香港の閣僚会議の獲得目標を低くすることによって、WTOの危機を回避しようとしている。たとえば、これまでの閣僚会議のように、草案を議論していくという緊張した会議ではなく、もっぱら、リラックスしたブレインストーミングをしたり、ポスト香港のスケジュールについて議論したりすることに終わるかも知れない。
  この場合、真の意味での緊張した議論はジュネーブでの1月から3月にいたる期間ということになるだろう。
  そして、2006年中に、2回の閣僚会議を開催する案もでている。最初は06年3月に「モダリティ」を採択するために開催され、もう一回は「ドーハラウンド」を06年末までに終了させるため、だという。つまり、ラミイは、いまだに、「ドーハラウンド」を2006年中に終わらせる気でいる。
  しかし、たとえ3月に「モダリティ」の合意が成立しても、具体的な時限値、数量値を完成するのに8〜9ヵ月の時間を要する。一方、米国の議会に承認を得るのに、そこから6ヵ月を要するという。ブッシュ大統領の「貿易交渉についてのマンデート(Fast Track)は2007年7月に切れる。そして現在の議会の「反自由貿易ムード」が続けば、これが延長されるのは難しいだろう。そして、米国の参加なしに「ドーハラウンド」の実施は考えられない。