WTO  
2004年7月末の「枠組み」合意について
2003年8月

WTOはジュネーブの一般理事会において8月1日未明、多角間貿易交渉(新ラウンド)の「枠組み」となる文書を採択した。

この「枠組み」とは、農業、工業製品(NAMA)、シンガポール項目などそれぞれの交渉分野の議長が作成したものを一般理事会の大島正太郎議長が取りまとめて、一般理事会で議論し、合意したものである。7月以後は、この「枠組み」の細部について、具体的な条約作成を開始する。
 これまでにいたる道程は、実に長いものであった。そもそも、新ラウンドは2000年1月1日から始まる筈であった。そのため「ミレニアム・ラウンド」と呼ばれていた。しかし、1999年11月、シアトルで開かれた第3回閣僚会議が流会になってしまったために不可能になった。 
その後のジュネーブでの交渉は全く進展せず、2001年11月、大規模な抗議デモが不可能なカタールのドーハで第4回閣僚会議を開き、やっと「ドーハ決議」を採択した。これは、途上国を喜ばせるために、「ドーハ開発ラウンド」と呼ばれる。
しかし、その後の2年間もまた、ジュネーブでの交渉はまったく進展せず、2003年9月、メキシコのカンクンで開かれた第5回閣僚会議も流会になった。
WTOは、2005年1月1日に新WTO協定の一括妥結をめざした。そのために2004年7月末に、新ラウンドのための「枠組み」(7月パケージ)」を成立させねばならなかった。
しかし、この文書は新ラウンドの「枠組み」とはとうてい言い難いものであった。

第1に、先進国、とくに米国、EUが多くの利益を得て、途上国には不利なものである。南北間のアンバランスが大きい。
第2に、多くの対立点が先送りされた。
第3に、玉虫色で曖昧な表現が多い。そのため先進国、途上国ともに自分に都合の良い解釈が出来る。

 一方、先進国のメディアは一斉に、「これまでの停滞を払拭する画期的な文書である」「米国、EUともに、農産物の輸出補助金のかなりの額の削減を約束した。」「途上国の貧困根絶に大いに貢献する」などと評価した。
 補助金については「米国は綿花の補助金を20%削減し、トウモロコシ、小麦、コメ、大豆などに補助金も3年後に削減する。EUは一方的に、輸出補助金を廃止する」と解説した。
 しかし、これは、全くのごまかしである。米国では11月の大統領選挙を控えており、またEU政治にとって農業補助金は死活的な課題である。WTOにおいて、米国やEUが途上国に譲歩するなど、そもそもありえないことであった。

1.2004年に入ってからのジュネーブでの動き
  今年1月、11月の米大統領選以降に交代することが確実となっているゼーリック米通商代表が任期中に「枠組み」だけでもまとめたいと、交渉再開を呼びかけたのにはじまった。これに呼応して、同じく今年任期切れになるラミーEU通商代表も動きだした。
 2人は、ブラジル、インド、中国、南アフリカなど途上国の農業大国で結成しているG20の会合に出席したり、アフリカに出掛けたり、途上国の説得に精力的に動いた。

2.農業交渉をめぐる各グループの主張
 最も南北対決が激しい農業交渉について、ここで利害を共有するいくつかのグループが形成されている。
 第1のグループは、EU(25カ国)である。6月上旬、ラミーEU代表はWTO全加盟国に対して「農産物の輸出補助金を条件付きで廃止する」という書簡を送った。これは農業交渉の膠着状況を変える1つの突破口になったと言われる。
 第2は米国である。ゼーリック米代表がラミー提案に一応の支持を表明した。
第3に、G90と呼ばれるグループがある。これは、APC(アフリカ、カリブ、太平洋の旧仏、英領植民地国)、アフリカ連合(AU)、後発途上国(LDCs)を合わせたもの。
 このグループは、貧しい国から成っており、政府に資金がないため、自国の農業を保護するための補助金を出すことが出来ない。そこで、高い輸入関税を掛けている。また、先進国に対して、途上国から輸出する農産物に特別の輸入枠、価格保証をするなどの特恵待遇「S&D(特別だが、差異のある待遇)」を要求していた。
さらに食糧生産については、国の主権のもとに独自の計画を立ててまかなうという「食糧主権」の原則を認めるよう要求していた。
 第4には、G20と呼ばれるグループがある。今年5月28日、G20は農業交渉についての新提案を行った。これまで南北間で、農産物の輸出補助金に次ぐ大きな争点となってきた特別品目(SP)についての関税引き下げ問題がある。これは「上限関税」という表現で語られてきた。カンクンでは途上国はその対象国を「先進国に限る」と主張していた。しかし、今回の提案では、対象国間の区別がなくなっていた。またその方式については、米国の主張に近い、高い関税の品目ほど削減幅を大きくするよう主張した。またEUにも配慮して、EUの主張する乳製品など1部の重要品目を対象外にすることを認めた。
第5に、途上国の中で、インドネシアを代表とするG33がある。これまで先進国にしか認められていなかった「特別セイフガード・メカニズム(SSM)」を要求していた。 
第6にG10と呼ばれるグループがある。これは日本、スイス、リヒテンシュタイン、イスラエル、台湾、韓国など100%食糧輸入国で構成されている。G10は、コメや乳製品を「センシティブ(重要)品目」として、「上限関税」の例外にすることを要求しており、また関税率の大幅削減にも反対している。
 農業交渉のTim Groser議長(ニュージーランド)は、G90やG33が要求しているSP/SSMやSDTについて、「枠組み合意」には明記しないで、7月以降に、「作業プログラム」の項目にして協議していくという案をだした。
しかし、このようなアプローチについては、これまでにもあとで裏切られたという苦い前例があり、G90は納得しなかった。
 全体的に見れば、農業交渉では、米、EU、ブラジル、インド、オーストラリアの5カ国、すなわちNon Group5(NG5)またはFive Interested Parties(FIP)などと呼ばれるグループが主導権を握っている。
 NG5と言っても、米とEUが、G20の中から、ブラジルとインドを切り離して、抱き込んだというのが事実である。NG5は4月以降、ロンドンやパリで協議を続け、6月1日からはジュネーブで次官レベルの交渉を続けてきた。しかし7月に入っても、NG5の間にはコンセンサスが得られていないことが明らかになった。NG5については、他の途上国の間から「非透明で、排他的」との非難の声が挙がっている。

3.6月以降、ジュネーブでの農業交渉の動き
 6月2―4日、ジュネーブで農業交渉が再開した。すでに、NG5間では、農産物の輸出補助金の撤廃につては、基本的には合意に達しているので、残る対立点は関税の引き下げ問題であると予測されていた。しかし、ふたを開けてみると、そうはいかなかった。
 先進国は農産物の輸出補助金を他のさまざまな補助金にシフトしている。とくに、先進国側が「(自由)貿易を阻害しない」として例外にしようとしている「ブルー・ボックス」という補助金のカテゴリーがある。これは、ヨーロッパ,米国、日本などで農家の収入補助金の名目で政府が生産過程や価格維持に支出しているもの、さらに環境保全、農業研究・開発などの名目で支出しているものが含まれる。これは豊かな国に限られた補助金であって、政府に資金のない途上国では実施不可能である。 
 先進国のNGOの中には、これを、「ほとんど貿易を阻害しないもの」として認めようとしている。現在でも、米国などでは、年間227億ドルが「福祉小切手」という形で、綿花、牛肉、砂糖、トマト・ペースなどの生産農家にこれが支払われている。したがって、途上国のNGOは、グリーン・ボックスを含めたすべての補助金の撤廃を要求している。
 7月10−11日、パリでNG5の会合が開かれた。これは続いてパリで開かれたミニ閣僚会議に連動するものであった。つづいて、G90が7月13日、モーリシャスで会合を開いた。そのため7月14−16日に予定されていたジュネーブでの農業交渉は7月19日に延期され、しかも1日だけになった。

4.「枠組み合意」草案をめぐって
 7月16日金曜日午後に「枠組み合意」草案が発表された。これは、大島一般理事会議長とスパチャイWTO事務局長の共同起草となっていた。7月19日月曜日、ジュネーブ駐在のWTO大使たち(HOD)によるインフォーマルな会合が開かれた。
 ここでは、7月末の合意文書が採択されなかったときに責任を負わされることを恐れて、誰もシャープな批判をすることはなかった。草案が配布されたのが遅くて、よく読む暇がなかったこと、本国からの請訓がきていないことなどを理由にあげた。
 その後、時がたつにつれて「枠組み合意」草案に対する批判の声があがった。
(アフリカ連合)
 まず、AUを代表してナイジェリアが、農業については先進国の利益が強調され、途上国が要求している「特別で、差異のある待遇(SDT)」の記述が明確でないこと、さらに綿花については、農業交渉全般の中に含まれるのではなく、独立した交渉項目として扱われるべきだとした7月13日のモーリシャスでの決定をもとに草案を批判した。
 シンガポール項目については、AUは、「ドーハ開発アジェンダ」の中から投資、政府調達の透明性、競争の3項目を削除するという一般的な方向付けが草案に見られる点を評価した。しかし「枠組み」合意以後に行われる作業プログラムのなかから、上記の3つの項目を明確に削除すべきであると主張した。残る1つの項目である「貿易円滑化」については、AUが以前から繰り返し要求してきた技術援助の額などが明確化されてないまま、この問題をシンガポール項目の一環として交渉に入るとしている「枠組み」草案を受け入れることはできない、と述べた。
 このAUの立場に対して、LDCs(後発途上国51カ国)の代表であるバングラデシュも同様な意見を述べた。すなわち、投資など3つの項目がWTOの交渉に残っている限り、貿易の円滑化についても交渉に入ることは出来ない、というのである。
(G90)
 G90は、関税については、SDTが明確に記載されていないこと、そして、先進国が関税引き下げをする代わりに、途上国に同じことを押しつけるという不条理を指摘した。 つまり途上国がもっている特殊性を全く理解していない、というのである。
 また、SPについて、先進国のSPについては詳細が書かれているのに対して、途上国のSPについてはカテゴリーが明確でないという批判もでた。
(インド)
 7月19日、インド政府はニューデーリーで記者会見をし、草案は「農業については、途上国と先進国の間のバランスを欠く」と批判した。とくに途上国の農民の大多数を占めている自給自足の貧しい農民に対する理解が欠けている。インドは、食糧と生計の安全保障を主張した。 
(インドネシア)
 インドネシアは、7月22日、G33を代表して、ジュネーブで記者会見を行い、SP/SSMが十分に取り扱われていないことを批判した。とくにSPについては先進国の「重要品目」と、工業化に重要な役割をしめる途上国のSPとを明確に分けて取り扱うべきだ、と主張した。
(フランス)
 意外なことに「枠組み」草案に対して、先進国の中から批判が噴出した。7月21日、フランスのシラク大統領が、「草案に合意できない」という声明を発した。
 この批判は、EUのパスカル・ラミー通商代表にも向けられたものでもあった。なぜなら、EUは5月に農産物の輸出補助金の削減に妥協したが、ラミー代表は、それに見合う妥協を米国から引き出すことができなかったからであった。つまり、シラク大統領によれば、「補助金の削減」についてのラミー代表の妥協そのものが、EUの信任状を逸脱している、というのである。
 フランスの批判は、米国は輸出補助金の代わりに、途上国に農産物の輸入代金を低利で融資し、あるいは余剰農産物を食糧援助に廻していることに向けられた。
 フランスのFrancois Loos貿易相はブルッセルで、他のEU加盟国に草案を拒否するよう呼びかけた。しかし、大勢は、草案を今後のWTO交渉のベースにすることに賛成であった。イラク戦争と同様に、WTOにおいても米・仏の対立の構造が見られた。

5.合意した「枠組み」
 ジュネーブでは、「枠組み」草案をめぐって、断続的にインフォーマルな交渉が続けられてきたが、7月26日月曜日には、米、EU、ブラジル、インド、オーストラリア、日本などが大臣級の代表をジュネーブに送り込んだ。「枠組み」草案は7月27−29日の一般理事会において採択される予定であった。しかし、27日には午前に短い会合を開いただけで、会議は7月30日に延期されることになった。その理由は、新しい修正草案が28日中に出るということであった。その間、グループ間のインフォーマルな交渉が続けられた。
 最終の「枠組み」草案が出たのは、なんと7月31日金曜日の午後であった。それから断続的な審議が続けられ、合意に達したのは8月1日未明のことであった。
 「枠組み」の合意文書では、米国とEUは補助金を20%削減すると約束した。しかし、注意深く読むと、これは全くのまやかしであって、むしろ現在の水準より増加することになる。
たとえば、現在のEUの輸出補助金は558億ユーロだが、さまざまな名目の農業補助金の総額は956億6,000万ユーロであって、20%削減すると766億3,000万ユーロになる。
 この数字の魔術は、以下の事実に由来している。なぜなら、EUはすでに悪名高い輸出補助金から、時代の潮流に合わせて、環境保全、食糧の安全保障、農村の景観保持、動物保護などの名目の助成金のシフトしているからである。この分だけで、すでに年間143億1,000万ユーロに達している。
さらに、これには、ヨーロッパの環境NGを味方につけることに成功している。EUの中でも、フランス、ドイツ、北欧などでは、もし補助金の削減が発表されれば、直ちに政変につながりかねない。
 米国では、削減とは全く逆のことが起きている。たとえば、今年の米議会では、農業補助金には全く手が付けられず、削減分は環境保護プログラムの増加にあてられる。その結果、米国で生産される農産物の3文の1は輸出に回されることになる。
ゼーリック米通商代表は、「枠組み」合意直後の記者会見で、「もしWTOが農産物の輸入を自由化すれば、米国は補助金を50%削減できる」と述べた。
確かに、合意した「枠組み」では、高い関税率の農産物ほど、削減率を多くすることが決まった。しかし、どの品目にするか、あるいはその率については、今後の交渉に任せられた。
途上国がこれまでの3年間、繰り返し要求してきたSP/SSM、S&D待遇、食糧主権についても、何も決まらず、今後の交渉にまかされた。貧しい途上国は深い絶望感を味わったに違いない。
また、綿花の補助金問題を、独立した交渉項目として扱え、というアフリカの要求も無視され、農業協定のなかにとどまった。
ここ半年間のジュネーブの交渉の主導権は、米国とEU、オーストラリアが組んで、途上国の中からブラジルとインドを味方に引き入れてつくったG5と呼ばれる秘密交渉のグループが握ってきた。日本は、その他の途上国同様、まったくカヤの外に置かれてきた。
それには、いくつかの理由がある。
たとえば、日本は、500%という高いコメの関税を守るだけにしか関心を示さない。そして、スイス、イスラエル、リヒテンシュタイン、韓国、台湾など10カ国を集めた農産物輸入国グループ(G10)を結成した。これは、コメや乳製品をセンシティブ(重要)品目として、関税引き下げの例外とすることを要求した。今回の「枠組み」には、この問題についての合意がなかったので、ホットしているが、実はなにも決まっていないだけのことである。
また日本は外務省、経産省、農水省がそれぞれ代表をWTOに送り込んでいる。とくに経産省と農水省は利害が対立している。一方、EUなどは25カ国を代表するラミー通商代表1人に任せている。日本のように交渉の主体もはっきりしないのでは、まともに相手にしてくれる筈はない。独立した権限を持つWTOの通商代表を持つべきである。
このようなことが起こるのには、日本がWTOに対する政策を持っていない、というところからきている。日米間では、米国の顔色ばかり見ていればすむが、WTOのような多角間交渉では、政策がないと、ほとんど交渉に参加できない。
コメを守ることは、日本の農業を守ることであり、それは環境、食糧の自給であり、人びとの健康を守ることでもある。これは途上国の言っている「食糧主権」の問題である。この点において、日本は途上国のグループにアプローチを試みるべきなのだが、残念なことに、WTOでは、米国と対立している途上国に味方をするほどの勇気が日本政府にはないようだ。
工業製品についての貿易協定NAMAについては、カンクンの閣僚会議で承認されなかった「デルビス草案」がそのまま採択された。米国とEUは「農産物の補助金の削減」と引き換えに、途上国に工業製品の輸入関税の引き下げを要求したのであった。
これは途上国の工業化に打撃を与えるものである。
シンガポール項目については、「貿易の円滑化」のみを交渉の場に乗せることになった。アフリカが危惧していた問題は無視された。そして、他の「投資」「競争」「政府調達の透明化」の3項目をWTOの議題から除外するというアフリカの要求は無視され、単にペンディングになった。