WTO  
WTO「ドーハ“開発”ラウンド」の再度の破綻
2007年6月27日


 WTO交渉(ラウンド)は、またもや失敗に終わった。今回はドイツのポツダムで6月19日から1週間の予定で開かれていた米、EU、ブラジル、インドの4カ国(G4)交渉が、わずか3日目の6月21日に決裂した。

1)WTO交渉の失敗の歴史

 1999年11月、シアトルの第3回WTO閣僚会議が、7万人の大規模デモによって流会に追いやられた。これで2000年から発足するはずであった「ミレニアム・ラウンド」の開始は絶望的になった。そして、9.11直後、世界の「反テロ」潮流に乗って2001年11月、NGOが参加しにくい湾岸産油国カタールのドーハで開いた第4回閣僚会議で、途上国をなだめるために「開発」という名を冠したラウンドをやっと採択したのであった。
 しかし、この「ドーハ開発ラウンド」は、中身のないもので、以後ジュネーブのWTO本部で、途上国の開発のためにどのように貿易を拡大させるかについて、大枠を決め、細目を議論していくことになっていた。
 しかし、実際の議論は、途上国側が、米、EUの農産物輸出に対する巨額の補助金の撤廃を要求し、一方、先進国側が途上国に工業製品の市場開放を迫ることに終始した。これらの問題はおよそ途上国の「開発」を阻害するもので、「開発」問題は脇に追いやられてしまった。しかも議論は、米国が輸出補助金の削減に応じないので、全く進展しなかった。
 2003年9月、メキシコのカンクンで開かれた第5回閣僚会議では、途上国の強固な反撃に会い、またもや流会になった。そして、2005年12月、香港で開かれた第6回閣僚会議でも、進展がみられず、やっと2006年1月に「ドーハ・ラウンドに入ること」が確認されただけで終わった。
 しかし、昨年7月、ジュネーブで、米、EU、ブラジル、インドに日本、オーストラリアを加えた6カ国交渉が決裂したことを受けて、ラミイ事務局長が交渉の「凍結を宣言」した。
 米議会がブッシュ大統領に与えていた貿易の交渉権「Fast Track」が今年6月30日で切れ、民主党が多数派の議会が延長を認めないだろうと言うこともあって、昨年の交渉「凍結」は、WTOの終焉を意味した。
 さる6月、ドイツのハイリンゲンダムで開かれてG8サミットで、首脳たちはWTO交渉の再開を決議した。それを受けて、WTOでは今回のポツダムG4交渉が始まったのであった。しかし、またもや失敗したということだ。
 ドーハ以来、何と6年の年月が費やされたが、何の成果も上がっていない。そればかりか、議論はドーハのときと全く変わっていない。

2)WTO交渉の失敗は途上国の開発を阻害するのだろうか

 今回の交渉失敗について、内外のマスコミは「失敗の原因は途上国にある。しかし最も被害を受けるのは、途上国である」、と報道した。はたしてそうだろうか。
 G4交渉は、まず、シュワブ米通商代表の驚くべき発言からはじまった。米国は、農産物の輸出補助金の上限を「年間170億ドルを上限(Cap)とする」という内容であった。
 2006年の米国の実際の補助金総額は108億ドルであった。この提案は、削減どころか、50%の増加になる。ブラジルのアモリン外相は、シュワブ代表に対して、「150億ドル」という一方的な妥協案を出したが、それでも聞き入れられなかった。
 そこで、ブラジルとインドの代表が、交渉の席をけって退場した。アモリン外相は、記者会見で、「(米国が交渉の)テーブルに出した数字で議論を続けることはもはや無意味だった」と語った。
 先進国とラミイ事務局長があらかじめ描いたシナリオは以下のようなものであった。
 まずG4間で先進国の補助金の削減と引き換えに途上国の市場開放に合意する文書を作成し、その内容を、農業と工業製品の両委員会の議長文書に組み入れ、さらに、20〜35カ国からなる「グリーン・ルーム」会議を何回か開き、主要国の閣僚会議も開き、最終文書を作成する。そして、7月30日、この文書をWTOの150カ国の加盟国全員に提示して、一挙に採択に持ち込む。つまり、途上国は、途中の議論に参加できず、しかも秘密にしていた文書をぎりぎりになって見せられ、ゴム印を押させられるのだ。
 このようなシナリオに対して、WTO内で「G90プラス」と呼ばれる途上国グループは、「開発問題を全く無視し、このように不透明で、非民主的なプロセスに反対する」という抗議声明をだした。
 G90とは、WTO加盟国の中のアフリカ、APC(アフリカ、カリブ、太平洋)、LDCs(国連が規定する低所得国グループ)、これにボリビア、ベネズエラが加わった主として途上国の貧しい国のグループである。ちなみにブラジルとインドが代表するのは、途上国の中の大国で、農産物の輸出国G20である。
 今回のWTO交渉が途上国のせいで失敗し、彼らの開発に不利になるというマスコミの分析は間違っている。農産物の輸出補助金1つをとっても、もし米国の主張が通れば、今より安い米国産農産物が世界市場に大量にダンピングされ、たちまち途上国の農民は大量に破滅に追いやられるだろう。

3)米・EUの農産物輸出補助金とは

 これは、WTO交渉の中で南北間の最大の対立点である。
 途上国では農民が人口の大多数を占めており、これは農民の生死にかかわる問題である。途上国は植民地時代のモノカルチャー経済を継承して、単一農産物を生産し、その輸出に経済が依存している。米国が補助金漬けの安い綿花を国際市場にダンピングすれば、西アフリカの綿花生産国の農民は破産してしまう。EUが補助金漬けの甜菜糖をダンピングすれば、カリブ海の島嶼国のさとうきびプランテーションの農業労働者は失業してしまう。 
 すでに途上国では、80年代にIMFや世銀の構造調整プログラムの導入によって、貿易自由化を強制された。したがって、途上国の農民は農産物の国際市場価格の変動に翻弄されやすいし、それだけ関心がある。
 2003年の米国のNGO「農業貿易政策研究所(IATP)」の調査によると、米国は大豆、とうもろこしは、それぞれ10%、コメは26%、綿花にいたっては46%も生産コストより安く輸出しているという。たとえば、米政府はコメ生産者に対して生産コストが14億ドルのところに、何と13億ドルもの補助金を支払った。
その結果、96年〜03年間に貧しいアフリカでは、悲惨なことが起こった。たとえば、ガーナでは、コメの輸入が2倍に増え、一方では66%の農民が負債を抱え、失業した。同様なことがタンザニアやガンビアでも起こっている。
 国連の食糧農業機構(FAO)は、EUと米国の鶏肉輸出に対する補助金のせいで、セネガルでは70%、ガーナでは90%の鶏肉業者が倒産した、と報告している。
 OXFAMアメリカの調査では、06年の米国の農産物補助金の総額は、108億ドルに上った。今年は、バイオエタノール燃料ブームによって、農産物の国際価格が高騰するので、輸出補助金は65億ドルに減ると予想される。しかし、さきに述べたようにシュワブ米通商代表は、「米国は「170億ドルの農産物輸出補助金を維持する」と主張して譲らなかった。米政府が現実に支出している補助金の3倍もの額を彼女が平然と固執しているのは不思議なことだ。
 EUにいたっては、もっと悪辣である。これまで農産物を輸出する際に直接支払われている補助金を「グリーン・ボックス」という名の、さまざまな生産者への間接助成金、あるいは税優遇策に変えている。EUのマンデルセン通商代表は、これまでの輸出補助金の90%が「グリーン・ボックス」に移しかえられるだろう、と白状した。
 ポツダム交渉では、米国もEUもこの農産物輸出補助金の現状を変えることを拒否した。
 そればかりか、途上国に対して、工業製品の市場自由化を要求したのであった。

4)先進国は途上国に工業製品の関税引き下げを要求

 WTOでは、非農産物(NAMA)交渉でも、先進国の横暴なやりかたがまかり通っている。
 たとえば先進国は40.4%の工業製品の関税引き下げ率を認めた。一方、途上国に対しては69%の引き下げを要求したのであった。これは実に理不尽なことである。
 途上国は工業化をはかるために、先進国からの工業製品には高い関税をかけて、国内の生産を育成するということは常識である。日本など多くの先進国はかつて開発途上において、高い関税で自国産業の育成を図ってきた。米国とEUは、このような単純な開発の論理さえも尊重しようとしない。
 さらに、シュワブ米通商代表が、6月4日、途上国に対して提示した新しい5項目の工業製品に対する補助金の撤廃提案はひどい内容であった。すでに、GATTの時代から、(1)工業製品の輸出補助金、(2)国内産工業製品を使用することに補助金を出すことの2項目が禁止されていた。
 これに対して、米国は、さらに、(1)政府資金で企業の損失をカバーすること、(2)企業の公的債務の帳消し、(3)不良企業に対する政府資金の貸付、(4)不良企業に対する政府の投資、(5)ロイヤリティなど融資対象でないものに対する政府融資、などの5項目の禁止を追加要求したのであった。
 シュワブ米代表は、WTOは工業製品の貿易に関しては、とくに強力なルールを定めねばならない、と述べた。「グローバル化した世界経済では、すべての政府補助金は明らかに不公正な障害物である」と付け加えた。彼女に言う「すべての政府補助金」にはどうやら農産物は入っていないようだ。
途上国の堪忍袋の緒が切れたのは当然のことである。
 今回のG4による交渉のプロセスは、「米国とEUは、まるでかつての植民地の主人公のように振舞っている」と評したのは、G90プラスを代表するジャマイカのマスリン大使であった。
 設立以来、11年間、WTOは途上国の開発に全く貢献しなかったばかりか、開発を阻害するものであった。