WTO  
WTOドーハ閣僚会議で決まったこと その2
2001年11月
 

 WTOは、カタールのドーハで、2001年11月9〜13日5日間の予定で第4回閣僚会議を開催した。これは、2年前、シアトルの第3回閣僚会議が流会に終わったため、抗議のデモ派が入国できない湾岸の首長国のカタールを選んだのであった。シアトルでは、投資、競争、政府調達の透明性、貿易ファシリティなど「シンガポール項目」について多角的貿易交渉を開始させるという「ミレニアム・ラウンド」問題が、南北間の最大の対立点であった。しかし、ドーハ前に米国で九月11日無差別テロ事件が起こり、今度は、テロと闘うためには、世界貿易を拡大しなければならない、そのためには、より一層の貿易自由化を目指す「新ラウンド」を開始しなければならないというレトリックを使って、先進国がキャンペーンした。
 これに対して、途上国側は、WTO設立の基礎となったウルグアイ・ラウンド協定に欠陥があり、さらに先進国はこの協定で約束した多くの項目を実施していない。したがって、新しい項目で新ラウンドを始めるより先に、これまでの(Outstanding)項目を議論すべきであるという「実施」を主張してきた

1.ハービンソン一般理事会議長がドーハに提出した最終草案について

 2年前シアトルのWTO閣僚会議では、タンザニアの議長が出した最終草案は、一般理事会で合意できていない文章を[ ]で囲み、また、意見が異なった場合は併記してあった。しかし、その個所があまりにも多かったために、シアトルが失敗したのだという理由をつけて、今回のドーハでは、ハービンソン議長は「クリーン・テキスト」なる草案を出した。これは、合意していない部分、反対意見があるものをすべて無視し、しかも極めて先進国寄りの草案であった。これに対して、途上国から強い不満と批判がでた。にもかかわらず10月30日、ジュネーブでの開かれた最後の一般理事会では、ハービンソンは、一切修正に応じないと途上国の意見を圧殺した。
 ドーハに出された議長草案は、@「閣僚会議宣言」案、A「実施に関連した問題と関心についての決定」案、B「TRIPsと公共の保健についての宣言」案、C「加盟国が出したこれまでの実施問題の集積」案、D「途上国に対する第27条4項での猶予期間の拡大」案の5つであった。
 これら5つの草案の中で実際に効力を持っているのは、@、A、Bの決議である。CとDは、途上国の強い要求でドーハ直前に付け加えられたもので、決議としての効力はない。 
 例えば、Cについては、先に議長が出した第1次の「実施」草案に対して、途上国が、「実施」の規定があまりにも狭いとして、不満の意を表明していた。途上国の実施要求は104項目にわたっていた。そこで、途上国をなだめるために「これまでの実施問題の集積(Compilation)」という表現で、あらたに追加の草案を作った。しかし、この草案の位置付け、審議方法、決議としての効力、さらにAの「実施」決議との関係も不明のままで、ドーハに出された。
 例えば、TRIPsについて途上国が出していた提案事項の多くは、当然、Bの「TRIPsと公共保健宣言」案に入れられるべきであったが、草案Cの「集積」案のほうに追いやられている。

2.貿易と知的所有権(TRIPs)協定について

 ハービンソン議長の@「閣僚宣言」案では、TRIPs問題は、第17、18、19条に入っているが、非常に弱い。
 これまで、ジュネーブのWTO本部には、「TRIPs理事会」が設けられ、加盟国代表によって議論されてきた。しかし、そもそもこの協定を起草したのは、加盟国の法律家や官僚ではなく、多国籍企業が派遣した弁護士のロビイストたちであった。またこの条約を批准するとき、途上国政府は文言を良く読んでいなかったし、その文言が意味することも理解していなかった。

(1)生物に対する特許の禁止
 早くからNGOが、TRIPs協定について、植物や動物だけでなく、種や菌などの微生物、すべての生物とその部分、さらに生物を生み出す自然のプロセスなどを特許の対象としたはならない、と主張してきた。これは、TRIPs協定第27条3b項に該当する。この項は、地球サミットのアジェンダ21の「生物多様性条約(CBD)」に抵触するものであった。 
 とくにインドでは、NGOの「Gene Campaign」が、TRIPs協定に基づいた国内法の制定に当たって、TRIPs協定について各地で大集会を開くなど教育キャンペーンとともに、政府に強く働き掛けてきた。
  TRIPs理事会では、これまでTRIPs協定第27条3bの「レビュー条項」に基づいて、TRIPsとCBDの「先住民などの種や菌などについての伝統的知識の保護」について、見直し作業を行ってきた。これを2002年までに終え、「すべての形の生物に特許をかけることを禁止し、加盟国が植物の種を保全する適切な独自(Sui Generis)制度を決定する権利を保有する」という文言を協定に入れることを要求していた。このSui Generisとは、農民や先住民コミュニティなどの伝統的な知識を認めること、食糧安保と農民の生計を保護し、その伝統的な農業方式―種を保存、使用、交換、販売する権利とその作物を販売する権利―を守ることである。
 途上国側は、第27条3bの実施を、その見直しを終えてから5年後とすることを要求した。 
 しかし、これら要求は、@の「閣僚宣言」草案や、Bの「TRIPs宣言」草案には盛り込まれず、Cの「集積」に追いやられた。

(2)エイズ問題とTRIPs協定
 やがてアフリカのエイズ問題が起こり、安い模造治療薬の製造、輸出などに対して製薬会社が特許権違反であるとして途上国政府が訴えられるという事件をきっかけとして、にわかに、このTRIPs協定の条項に関心が高まった。南アフリカに進出している多国籍製薬会社39社は、南アフリカ政府が、エイズの模造治療薬を国産しようとした時、プレトリア高裁にTRIPs協定違反だとして、告訴した。その後、製薬会社に対する国際的な非難が集中したため、告訴を取り下げた。
 この問題は、TRIPs協定第71条1項に該当する。アフリカ政府は、ウルグアイ・ラウンド協定を批准した時は、このようなTRIPsの問題点に気がつかなかったと言っている。 
 アフリカ・グループとその同士(Like-Minded)グループ(LMG)と呼ばれるその他の途上国は、ドーハ閣僚宣言に「TRIPs協定は、公共の保健を守るための施策を妨げるものではない(Nothing in the TRIPs Agreement shall prevent)」という文言を入れるよう主張していた。これは実質的には、TRIPs協定の修正要求であった。しかし、これも、議長の「閣僚宣言」草案には入っていなかった。
 代わりに、ハービンソン議長は、「閣僚宣言」案とは別に、Bの「TRIPsと公共保健宣言」という草案を提出した。
 Bの草案では、途上国の修正案はOption1として、挿入された。一方、この途上国の修正案に対して、製薬会社の激しいロビイングを受けた米国、スイスが反対した。日本とEUはこれに同調した。これはOption2として、「HIV/AIDsや他の疫病のような公共の保健危機の時は、加盟国は必要な手段を講じることが出来る(Member is able to take measures )」という文言が載った。

(3)いくらかの勝利
 ドーハでは、全加盟国142のうち、80カ国以上の途上国の閣僚たちは、アフリカ・グループを先頭として、TRIPsと公共保健問題について、米国、スイス、日本、EU勢から、妥協を引き出すことに成功した。
 その妥協とは、まず、途上国が、ブラジルやインドなどから模造治療薬(Generic Drugs)を製造、輸入することを可能にする、というものであった。文言が「Shall be….」から、「Can and should be… 」と、法的な用語としては弱いものに変えられた。
 しかし、「TRIPs宣言」は政治的なものであって、TRIPs協定が修正されたわけではなく、また、途上国側が要求したような法的に拘束力を持つものではない。ただ、将来、途上国政府の公共保健政策が特許権で告訴された場合、製薬会社と闘う時の法的な根拠となる。
 @ の「閣僚宣言」においては、単に、貧困国に治療薬を輸出する際の「問題」を指摘したことにとどまった。一方、治療薬を製造する十分な能力を持っていない貧困国の問題と、ブラジルやインドでの模造薬製造のパテント(Compulsory License)の限界を認識したのは、大きな勝利であったとする見方もある。
 この問題は2002年、TRIPs理事会で議論される。いずれにしても、ドーハでは、シアトル以来途上国が巨大な多国籍製薬会社に対していだいていた無力感から解放され、80カ国以上が団結して、米、スイスなどの先進国勢と闘ったことは、画期的な出来事であった。このBの「TRIPs宣言」が採択されたことによって、以後、製薬会社が貧困国政府を訴えることは、難しくなるだろう。