WTO  
カンクンWTO閣僚会議報告(その3)
2003年9月

4.日本外交の孤立


 日本は、「農業」問題では、米・EUと立場を異にする。まず、米国からコメの関税引き下げの圧力を受けている。これに対して、EUと共同して「農業の多面的機能」という表現で、コメの生産を守ろうとしてきた。
 しかし、カンクン直前に米国とEUが妥協してしまった。それがそのまま、カンクン草案となった。当然、日本は、途上国の「食糧安保」に同調すべきなのに、米国に気兼ねしてできない。その結果、カンクンの土壇場で、台湾、イスラエル、ブルガリア、リヒテンシュタインといった訳の判らない非途上国を集めて「10カ国提案」を出した。しかも、日本は後ろに隠れて、スイスの提案にしてもらった。しかし、カンクンの交渉では、この提案は、全く無視され、議論にもならなかった。
 「農業」問題では、日本は守勢にある。一方「投資」問題では、途上国に対して攻勢の立場にある。しかも、投資問題では、ブラジルなど工業化が進んだ一部の途上国が、米国との2国間自由貿易地域(FTA)交渉の最中にあり、超大国に単独で向き合うより、WTOのような多国間交渉の場で交渉した方が有利だと、心中ひそかに思っている。そのため、態度が曖昧になっていた。
 一方、日本と共同提案したEUは、投資問題では一枚岩ではない。最も熱心なのは、ドイツだが、その政権内には緑の党がいて、必ずしも企業寄りではない。フランスは強力な農民勢力を抱え、投資と引き換えに補助金撤廃を飲むわけにはいかない。
 しかし、日本は、経団連が、優先事項の第1に「投資」を挙げており、大挙して政府代表団に入り、圧力をかけていた。
 そこで、日本は、「投資」を「農業」に先だって議題にすることにした。しかし、日本は日頃から途上国との付き合いがないため、情勢を全く見誤ってしまった。これは日本の戦略的な失敗であった。その意味では、カンクン交渉の失敗の"責任"の一翼を担っているとも言えるかも知れない。
 とこらがアフリカなどの最貧国は、WTOだろうが、2国間だろうが、多国籍企業の投資はなかったし、また将来、投資がくるという見込みもない。彼らは、投資を含む「シンガポール項目」をWTOの交渉議題にすることに断固として反対していた。その数はWTO加盟国の大半を占めていた。日本は、このことを見過ごしてしまった。
 WTOには、議長が20数カ国を指名して秘密交渉をし、それを総会にかけて採択するという「グリーンルーム」という不透明な交渉の慣行がある。「投資」についても9カ国の「ミニ・グリーンルーム」が開かれたが、不思議なことにこの議題の最大の提案国である日本は呼ばれなかった。
 ここでの交渉も不調に終わった。続いて開かれた32カ国の拡大グリールーム会議で、ケニアのキテュイ開発相がアフリカを代表して「シンガポール項目を交渉の議題にするなら退場する」と述べた時、メキシコのデルベス議長の「会議は終り」と宣言した。これはWTO閣僚会議の決裂を意味した。
 日本は、農水、経産、外務の3省寄り集まりの代表団をカンクンに送った。その数は150人に達した。さらに亀井、平沼、川口の3大臣が共同代表ということで、総会での演説の際も3人、記者会見も3人がそれぞれ発言するというにぎやかさであった。米国はゼーリック通商代表1人が全権を担って交渉にあたっていたし、EU15カ国は、ラミー通商代表1人が交渉していた。しかも日本代表団には、農業団体、経団連の代表が含まれ、300人というカンクン最大の数であった。アフリカの最貧国の中には、2人というところもあった。この対比はきわだったものがあった。
 ドーハではNGOは、全く邪魔者扱いであった。しかし、カンクンでは、インド、ブラジルなどの途上国が、しばしばNGOに対してブリーフィングを行ない、その主張にNGOの支持を求めた。また米国、EUもNGOに対するブリーフィングを定期的に行い、それには、大勢のEU外のNGOが参加して、活発に質問していた。
 一方、日本政府代表団は、毎日、午後10時に1時間、日本人NGOに日本語でブリーフィングをするだけで、当初は、外国のNGOに対するブリーフィングをする計画は全くなかった。日本人NGOとのブリーフィングも、NGOの指摘で「意見交換会」と改名したが、実質は、NGOが質問し、それに3省の担当官が答えるという「ブリーフィング」に終始した。外国NGOに対するブリーフィングでは、数人しか集まらず、それに日本代表の官僚的な発言に苦笑が起こった。
 カンクンでは、数では最大の代表団であったにもかかわらず、日本外交の孤立がきわだった。