世界の底流  

ボコ・ハラムの謎

2015年2月8日
北沢洋子

1.ボコ・ハラムとは何か

 イスラム国と並んで、現在、最大のテロ地域は、ナイジェリアのボコ・ハラム(Boko Haram)となっている。シリア・イラクにまたがる「イスラム国」と同じく、ジャーナリスト、軍隊、対テロ専門家たちの情報はほとんどなく、謎の地域である。
住民に対する暴力、外国人や女性、子どもの誘拐、斬首などの虐殺、村や街の破壊といったといったニュースが、イスラム国と同様、毎日報じられているが、何を目的にしているのか、不明だ。
 私は、「イスラム国」や「ボコ・ハラム」、それにパキスタン/アフガニスタンの「タリバン」、ソマリアの「シャバブ」などの地域集団を「テロ」組織と呼ぶことに疑問を持っている。これらは、「犯罪者集団」である。なぜなら、法もなく、裁判もなく、暴力で誘拐、斬首、村ごとの虐殺などといった残虐行為は、人びとを恐怖に陥れはするが、政治的な「テロ」ではなく、「犯罪」だと思っている。
 さらにこれらの集団は、イスラム教を標榜しているが、彼らは、コーランやシャリアを捻じ曲げ、それを拡大して解釈している。私は、「彼らはイスラム教徒ではない」と言いたい。このことは、イスラム教の1000年に亘る歴史を読めば、すぐにわかる。その1つとして、キリスト教やユダヤ教に比べると、イスラム教ほど寛容な宗教はない。他宗教との共存に中で、イスラム教は高い科学、文化を築きあげた。スペインを旅行すれば、そのような印象を深めることが出来る。

2.ボコ・ハラムのプロフィル

 ボコ・ハラムとは、「西側の教育を禁止する」という意味で、正式な名前は、「預言者の教えと聖戦にコミットした人びと」と訳される。これは、ソ連軍撤退の後に、アフガニスタンで政権を握った「タリバン(神学校)」に似ている。
 彼らはイスラムの「コーラン」や「シャリア(戒律)」を極端に捻じ曲げて解釈し、キリスト教徒、女子学生、外国人などを攻撃、抹殺している。マスコミに派手に報道された、2014年4月、チボクでの276人の女子学生誘拐事件は、「西欧の教育はいらない」、「女性には教育はいらない」という彼らのデモンストレーションであった(BringBackOurGirls参照)。事件がナイジェリアの中央部チボクで起こったということで、首都アブジャの政府は衝撃を受けた。
 ボコ・ハラムの本格的な武装蜂起は、2009年7月であった。ここでは、創設者のモハメド・ユセフが逮捕され、処刑された。現在のリーダーは、アブバカール・シェカウ(Abubakar Shekau)である。
 彼らは主に、ナイジェリア北東、北、中央部で活動している。この地域はナイジェリアが、1900年に、英国に植民地化される前には、ボルヌ帝国が栄えていた。このほか、カメルーン、ニジェール、チャドなど周辺の国で活動をしている。軍の規模は、7,000〜10,000人と言われる。

3.ナイジェリアの大統領選挙

 ナイジェリア政府は、2月14日に予定されていた大統領選挙を3月24日に延期した。理由はボコ・ハラムの攻撃の激化によって、安全な選挙が出来ないというものであった。  
 2月7日付けの『ニューヨークタイムズ国際版』によると、2月6日、ボコ・ハラムはボルノ県の県都マイズグリを攻撃した。難を逃れた人びとは、「彼らは、真夜中に、アラー・アクバル(神は偉大なり)と叫びながら街に入ってきた。銃を発射しながら、不信心ものは何処にいる、と言い、見つけると斬首した。財産も略奪した。450人もの女性を4軒の家に閉じ込め、気に入った女性を妻にした」と語った。
 マイズグリは200万の都市だが、ここから、40万人が難民になった。
 ナイジイェリアの政治は、現職のグッドラック・ジョナサン大統領の「人民民主党(PDP)」と野党の「全進歩会議(APC)」の2大政党制になっている。そして、与党のPDPは、キリスト教徒が多い南部を、野党のAPCはイスラム教徒が多い北部を基盤にしている。つまり、キリスト教徒とイスラム教徒の南北対立になっている。
 野党はジョナサン大統領が、ボコ・ハラムの攻撃を口実に、時間を稼いでいると非難している。このように、ナイジェリアの政治は、宗教と南北の対立とボコ・ハラムによって動かされている。

4.ボコ・ハラムの黒幕は誰か

 昨年9月、ボコ・ハラムがニュースの国際欄を騒がせた大攻撃を東北部で展開した時のことである。与党PDPの議員連盟議長であるコリンズ・オノグ議員は、「第1に、このボコ・ハラムの攻撃によって家を失ったのは、ほとんどPDPのメンバーであった。第2に、APCのスポークスマンは、今では、ボコ・ハラムのスポークスマンである。APCはメディアを使って、ジョナサン政権を不安定化しようとしている」と述べた。
 この非難が正確だという証拠はない。しかし、PDPがAPCをボコ・ハラムと結び付けようとしていることは確かだ。一方、APCはこの非難に反発し、「ボコ・ハラムに資金を出したのは、PDPの指導者の1人だった」と反論した。
 この非難の応酬を見て、昨年9月、大統領に依頼されて、チボの女子学生の解放の交渉人となったオーストラリア人のステファン・デービス神父は、ボコ・ハラムを壊滅させるには、その資金提供者を暴露することだと考えた。彼は、ボコ・ハラムの資金はボルノ県のモデュ・シェリフ前知事とアズブイケ・イヘジリカ元参謀総長が出している、と語った。   この2人はPDPのメンバーであり、ジョナサン大統領の友人である。
 ナイジェリアのデジタル・ニュース『プレミウム・タイムズ』は、2011年、諜報機関から得た情報として、「ボルノ県のシェリフ前知事がボコ・ハラムの資金源であり、かつ創設者である。そしてボコ・ハラムはチャドで訓練を受けた」と報じた。さらに、これは、ナイジェリアの大統領だけでなく、チャド、ニジェールに跨った一大地域作戦であった、と結論づけている。
 この問題で、ジョナサン大統領は「調査パネル」を任命した。それによると、「ボコ・ハラムの源流は、2003年の総選挙の時に、ボルノ県での候補者たちが、私兵として組織したものである」と報告している。「選挙後、彼らの役目はなくなり、資金も枯渇したので、放り出された。その結果、彼らは宗教的過激主義に染まった。その良い例がボコ・ハラムの創設者モハメド・ユセフである」と結論づけている。

5.ボコ・ハラムと石油資源

 ナイジェリア東北部、チャド全土、ニジェールの大部分、カメルーン北部、中央アフリカ北部をチャド盆地と呼ぶ。これは広大な土地だが、ほとんど、砂漠である。ここにチャド湖が含まれる。
 これはボコ・ハラムが作戦を展開しているか、または、活動地域と重なる。そしてチャド盆地が世界有数の石油埋蔵地域である。2011年〜13年、ナイジェリア政府は、北東部の石油開発費として、2億4,000万ドルを用意した。しかし、ボコ・ハラムの攻撃の激化でとんざした。
 このことから、ボコ・ハラムは、単にナイジェリアの国内問題ではなく、西アフリカ全域の政治、軍事不安定化をもたらす大きな要因となっていることが判る。