世界の底流  

石油価格の地政学

2015年1月16日
北沢洋子

 昨年6月以来の半年で、石油価格は、バレル当り115ドルから60ドルと、50%近く下落した。これは、石油に限らず、他の一次産品すべての中でも、史上最大の暴落となった。そして、この値下がりは、世界の政治・経済秩序を大きく揺るがしている。
 一口に言えば、この値下がりは、世界最大の石油輸入国である米国と中国の経済を潤し、一方では、米国の敵対国であるロシア、イラン、ベネズエラなど大石油輸出国に災厄をもたらし、金融・通貨危機までも引き起こした。米国の敵対国では、北朝鮮だけが打撃を受けていない。なぜなら、北朝鮮は石油を100%輸入に頼っているからだ。
  とくに、ロシアの場合、ロシア経済とプーチン大統領自身に大きな影響を与えている。昨年12月26日付けの『ニューヨークタイムズ国際版』によると、プーチンの古くからの友人だったアレクセイ・L・クドリン前蔵相が、「全般的な経済危機が予想されるので、米国とヨーロッパとの友好関係を一刻も早く、回復すべきだ」と語ったという。
 イランについては、より深刻である。イランは、西側諸国と核開発問題で、大きく譲歩しなければならなくなった。同時に、中東の他の石油輸出国にとっても、石油の輸出に関する自分たちの役割(つまりOPEC)について、再検討を迫られている。そして、多分、キューバが米国との接近を図っているのも、同様な理由からであろう。
 石油価格は、時々リバウンドしながら、常に値下がりを続けている。その値下げ幅は、大きく、急激である。したがって、輸出国政府は対応しきれないでいる。たとえば、ロシアのプーチン大統領が、ウクライナ制裁でロシア経済は影響を受けることはない、と発言、あるいは、ベネズエラ政府が、チャベス前大統領の大盤振る舞いを引き継ぐ、と宣言したことなどは、楽観論の良い例である。
 米国は、何もしないで、敵対国をノックアウトした。例えば、イランは値下がりによって、毎月10億ドルの損失を被っている。イラン政府は、国家予算の不足を穴埋めるため、若者に2年間の徴兵義務を金銭で買うことができるという制度を設けたことからも、その深刻度はわかる。
 ベネズエラは、世界最大の石油埋蔵国であるが、これまでそれを、反米帝国主義に使ってきた。しかし、キューバなどへの値引きした石油の供給が出来なくなっている。ベネズエラでは石油は輸出総額の95%を占めていた。現在は、国内の大プロジェクトやキューバなどへの石油供給が困難になっている。ベネズエラの国債がデフォールトするという見方が広まっている。しかし、チャベスの後を継いだニコラス・マデゥロ大統領は、債務は返済する、と強気である。しかし、インフレは年率60%、日用品の不足など、不況の様相を呈している。
 石油の値下がりで、最も大きな打撃を受けているのは、ロシアである。その石油輸出の収入は、国家財政の50%を超えているからだ。プーチン大統領は前任者エリツィンが犯した誤り、つまり、経済が政治を左右することがないように、支持基盤を強化してきた。しかし、昨年末から、ロシアの通貨ルーブルが、暴落した。下落幅があまりにも大きかったので、人びとは、輸入品の買い溜めに走り、ドルと交換のために、銀行に押し寄せた。
 メドベージェフ首相は、市場への強い規制は無益だと言って、介入を拒否している。その一方で、ドルへの両替を禁止したり、12月15日、中央銀行の政策金利を10.5%から一気に17%にまで引き上げたりした。日本では、これはサラ金並みである。
 金利を上げればルーブルを売る人を減らせると考えたからであった。にもかかわらず、その翌日朝には、1ドル60ルーブルだったのが午後には80ルーブルまで暴落してしまった。ちなみに、20年前は、1ドル当たり1ルーブルであった。
 石油の下落という1つの要因で、こんなに通貨が値下がりすることは、おかしい。ロシアは昨年末、3,700億ドルの外貨を持っていた。これは、97年の外貨が底をついたアジア通貨危機とは全く異なる。また、ロシアは、外国の銀行から返済しきれない債務を抱えていない。これは82年のラテンアメリカの債務危機とも異なる。実際には、これは、ルーブルを狙った国際的な投機マネーの仕業である。
 ロシアのルーブル安はさまざまな波紋を起こしている。たとえば、オーストリアのスキー場は、ロシアからのキャンセルにてんてこ舞いだ。ロンドンの不動産価格は値下がりしている。ロシアの親密な隣国ベラルーシでパニックが起こっている。一番愉快なのは、ロシアの自慢の世界2位のコンチネンタル・ホッケー・リーグが空洞化としている事であろう、それは、多国籍で、給料がルーブルで支払われているからだ。
 ロシアとイランに支持されているシリアのアサド政権も窮地に陥るだろう。その一方で、湾岸産油諸国(依然としてリッチだが)から援助を受けているシリアのイスラム国も影響を受けるだろう。
 しかし、米国が、石油の値下がりの恩恵を受けていると考えるのは早計であろう。現在、米国はオイルシェールの生産では、世界第1位である。この生産によって米国の原油生産は、2008年に日産500万バレルであったのが、現在では900万バレルに増えている。増加分400万バレルというのは、第2位のイラン、第3位のイラクの生産高より大きい。言うまでもないが、世界最大の産油国はサウジアラビアである。
 しかし、米国はこの極端な石油の値下がりの100%受益者と考えるのは間違いである。それは石油の値段がバレル当り115ドルという高いことで、オイルシェールの生産が可能になったのである。