世界の底流  

アフリカのフランス新植民地主義

2015年3月24日
北沢洋子

1.サヘルの貧困と砂漠化

 北アフリカのサハラ砂漠と南の熱帯アフリカの間には「サヘル」と呼ばれる草原の半乾燥地帯が横たわっている。これは、大西洋に面したセネガルから紅海に面したスーダンに至る東西に長い帯状の地域である。このサヘルは、1972年以来、幾度も有史以来の大旱魃に襲われた結果、サハラ砂漠化し、もはや草原地帯と呼べない。
 サヘルの旱魃は、1960年代、当時高度成長期にあったヨーロッパがサヘル以南の熱帯雨林を伐採したせいである。これは日本が東南アジアの熱帯雨林にしたことと変わりがない。
 サヘル地域は、19世紀末にヨーロッパがアフリカ大陸を分割した際、ガーナ、リベリア、シエラレオネ、ナイジェリア、スーダンを除いて、ほとんどがフランスの植民地となり、仏領西アフリカと呼ばれた。仏領西アフリカが独立した際、セクトーレ大統領のギニアを除いて、「ウィ」と言って、フランス共同体に残った。つまり、再植民地化、すなわち、新植民地主義に再征服されたのであった。
 それはセネガル、モーリタニア、ギニア、マリ、象牙海岸、ブルキナファソ、トーゴ、ベナン、チャド、ニジェール、それにカメルーン、中央アフリカの北部が入っている。
 サヘル地帯は、まさに「アフリカの象徴」である。旱魃による飢餓、グローバリゼーションと新植民地支配による貧困、繰り返されるクーデター・軍事独裁はサヘルに集中している。
もう1つの特徴は、サヘルのイスラム化である。これは、独立後、顕著な傾向であった。元来、彼らの宗教であった多神教のアニミズムから、一神教のイスラム教への改宗は静かに進行した。そこには、暴力も強制もなかった。しかもイスラム教は、現在のような反西欧、反異教徒、反イスラムの「イスラム国」はなかったので、世間では、イスラムはほとんど注目されなかった。

2.リビアの崩壊とサヘルの聖戦主義者

  それは、米国に率いられたNATOによるリビアのカダフィ政権を打倒したことから始まった。米国は、リビアではアフガニスタンやイラクの失敗に懲りて、主として空爆と海からの艦砲射撃、それに特殊部隊によるコマンド攻撃によって、カダフィ軍を殲滅させたのであった。
その結果、カダフィ政権は倒れ、カダフィ大佐も殺された。しかし、後に残ったのは、軍事的、政治的、経済的、社会的カオスであった。その上、リビアはアルカイダ系の聖戦主義者の訓練場となった。さらに、カダフィ時代に外人部隊だったサヘル地域からの傭兵たちは雇用主を失って、武器を持って出身地に帰国したのであった。
 このことによって、脆弱なサヘル諸国は、危機に陥った。あるところでは、クーデター、あるところでは、聖戦主義者による襲撃や占領が起こった。これまで、国際政治が全く無視してきたサヘルは、にわかに注目を集めた。

3.フランスの軍事介入

  昨年10月、フランスの無人戦闘機、武装ヘリ、それに少数のコマンドがマリの北部でアルカイダ系の戦闘員を乗せた6台のトラック部隊を攻撃した。フランス軍は、この攻撃で、15人のイスラム戦闘員を殺害し、3トンの武器を押収した、と発表した。その中には数百のロシア製のSA−7小型肩掛けミサイルや対戦車ロケット砲が含まれていたと言う。これまで最大の本格的な作戦であった。
 このフランス軍の攻撃は、広大なサヘル地域で日常的に行われている、アルカイダ系やイスラム国系の聖戦主義者との戦闘を垣間見せてくれる。
 マリに対するフランスの軍事介入は、2012年3月、マリの軍事クーデターから始まる。実は、リビアの外人部隊には、マリ北部の砂漠に住む戦闘的なトゥアレグ族が多かった。リビアから大量の武器を持ち帰り、トゥアレグの本名である「アザワド解放民族運動(MNLA)」を結成し、バマコに対して独立を宣言した。トゥアレグはイスラム教徒ではなく、モロッコやアルジェリアの山岳部に住んでいるベルベル人である。
 この「アザワド独立国」に、近隣の聖戦主義者「マグレブのアルカイダ」や「アンサルディン」が侵入した。そのため、アザワド共和国は国際的に承認されなかった。むしろ「過激派」のレッテルを貼られた。
 しかし、すでに弱体化していたマリ政府は、貧弱な武器で、対処出来ない。それをつけ込んだクーデターであった。そして、13年1月、国連安保理2100号決議で、マリに多国籍軍「MINUSMAU」の派遣を認める。社会党政権下のフランスは、堂々と旧仏領アフリカに派兵できる。
 フランスは専ら空爆に頼った。その司令部はチャドに置かれている。また偵察無人機はニジェールに置かれている。特殊部隊のコマンドは、ブルキナファソにいる。これらを統合する司令部は象牙海岸に置かれている。
 現在、マリ北部のガオに1,200人のフランス軍が進駐している。これでもって、フランス軍は、マリ北部のイスラム聖戦主義者を殲滅したと発表した。しかし、実際には殲滅したのではなく、彼らをチャド、ニジェールやリビアに追い払っただけだった。
 3月17日付けの『ニューヨークタイムズ』国際版によると「フランス駐留軍総司令官Jean Pierre Palasset 将軍が、戦闘はマリだけに留まらないと言った」と報道した。また、フランスのLe Drian国防相は、「このような、マリでの軍事作戦は、これからニジェール、チャド、ベナン、そして、カメルーン北部で展開する必要がある。またナイジェリア北西部ではボコ・ハラムについての情報収集をしなければならない」と語った。そして、最も重要なことは、出来るだけ早く、少なくとも8,000人のアフリカ連合軍の創設と訓練である。そして、フランス軍は作戦計画、武器補給、情報活動などの任務をはたさねばならない。そのために、あと100〜200の増兵が必要だ」と語った。
 アフガニスタンとイラクでのフランス軍総司令官でもあったPalasset将軍は、ニジェール北部を視察した。そこは、リビアの国境から60キロのところにある。ここに、200人の空挺部隊が駐留している。しかし、将軍は、「このような広大な砂漠地帯で、統治が全くないところで、リビアからの外人部隊、テロリスト、犯罪者、麻薬密輸人などの流入を防ぐことはとうてい出来ない」と語った。
 サヘル地域は、現在、シリア、イラクに次いで、第二のホット・スポットになっている。フランスだけで、ここに軍事介入することは出来ない。しかし、今「イスラム国」と闘っている米国はここに新たに参戦する気は全くない。オバマ大統領は、昨年8月、サヘル作戦のために、ペンタゴンから1,000万ドルをフランスに供与することを決めた。