世界の底流  

なぜ、ガザで殺戮が繰り返されるのか

2014年8月
北沢洋子

1.イスラエル軍のガザ爆撃

 ガザは、イスラエルとエジプトに囲まれた狭い回廊である。そこに170万人のパレスチナ人が暮らしている。イスラエル、エジプトの検問所は封鎖されている。空港も港も使えない。ガザは「世界最大の天井のない刑務所」と言われる所以である。
 7月8日未明、イスラエル軍は、ガザに対して約50カ所を空爆した。イスラエル軍の作戦は、7日夜にハマスの軍事部門がイスラエル南部をロケット弾数十発で攻撃したことへの報復だと言っている。確かに、これまでも、ハマスがロケット弾攻撃を行っていた。しかし、イスラエルの報復はロケット弾攻撃の度合いに応じて限定的に空爆をしてきた。
 また、2008年、イスラエル軍が、一カ月にわたって、大規模な空爆と海上からの砲撃を続けたことがあった。しかし、今回のイスラエルの空爆は、ガザ全域にわたり、かつてないほど大規模であった。
 イスラエルのナタニヤフ首相は、ハマスのロケット基地、武器庫などテロのインフラ、司令部と司令システム、イスラエル領に通じるトンネル、さらに道路や水道などのインフラなどの破壊、そしてハマスの政府のビル、ハマスの事務所、ハマスの幹部から構成員のすべてを根絶やしにすると宣言した。
 そのため、7月13日未明、イスラエル軍の特殊部隊が、ガザ北部に侵入した。これまでと異なって、本格的な地上戦がはじまったことを示すものであった。

2.停戦の仲介者はいない

 ガザでは、住民が犠牲となり、死者の数は毎日増え続けている。しかし、国連安保理は、米国の拒否権にあい、「決議」をすることが出来ない。
 だらしないのは安保理ばかりでない。国際社会には、両者に停戦を働きかけるものがいない、という現実がある。
 まずオバマ大統領は、ガザ空爆がはじまると、即座に「イスラエルの自衛権」を支持すると声明した。これでもって、米国はイスラエルに対して、停戦を要求できない。イスラエルはハマスの武装解除を条件にしている。また米国は、ハマスを「テロリスト」と名指しているので、ハマスと交渉することができない。ハマスは、「イスラエルの経済封鎖の解除」を条件にしている。
 7月30日には、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の学校が被弾した。国連は「重大な国際法違反」と非難した。国際世論もイスラエル非難が高まった。そこでイスラエル軍は、ガザ北部からひとまず撤退した。

3.イスラエルは「国家」とは呼べない

 なぜ、イスラエルはパレスチナ人に対して残虐な殺戮を繰り返すのか?
それは、イスラエルの成り立ちに由来している。
 イスラエルは、1948年、ユダヤ人がアラブの王たちの連合軍に勝利した第一次中東戦争の中で誕生した。国連にも加盟している。
 しかし、私は、イスラエルは「国家」ではないと思う。まず、国家の第一の成立要件である「領土」だが、イスラエルには国境の規定がない。それは旧約聖書と詩編という神話に出てくる地、ということは、ヨルダン川両岸、レバノン・シリア、シナイ半島と、無限に広がっている。第二の要件は「国民」だが、イスラエルの憲法には「ユダヤ人の国」と書いてある。しかし、ユダヤ人とはユダヤ教徒であるが、ユダヤ教徒はユダヤ人だけではない。日本にもユダヤ教に改宗した日本人が2,000人いる。
 「ユダヤ人の国」ということは、約1,300万人と言われる世界中のユダヤ教徒が対象になる。彼らをすべてイスラエル国民とすることは現実的ではない。また、イスラエルの人口の25%は非ユダヤ教徒のパレスチナ人で、将来、この比率はより高まるだろう。
 したがって、イスラエルは「国家」ではない。その本性は、米国の石油利権を守る中東の軍事基地である。したがって、米国はイスラエルに、1人当たりでは最大の援助を供与してきた。目ぼしい産業のないイスラエルにとって米国からの援助は、死活問題である。

4.イスラエルのシオニズム

 イスラエルの建国は、シオニズムというユダヤ人のイデオロギーにもとづいている。
19世紀末、フランスではユダヤ系フランス人将校の「ドレイフュス事件」で世論が割れていた。これは、ユダヤ人の冤罪事件だった。 
 当時、パリに住んでいたユダヤ人新聞記者ヘルツルは、『ユダヤ人の国家』と題する小冊子を書いた。その中に、聖書の詩編の中の「バビロンの川のほとりにて、シオンを思い出て泣きぬ」という歌を引用して、ユダヤ人に「シオンに帰ろう」と呼びかけた。
 やがて、これはパレスチナにイスラエルを建設するという「シオニズム運動」に発展していった。これには、ゲットーにとじ込まれた東ヨーロッパのユダヤ人が、熱狂的に参加した。同時に、ロスチャイルドなどユダヤ系の大富豪が資金を提供した。
 やがて、第一次世界大戦が勃発した。戦争資金が枯渇していた英国は、1917年11月2日付けで、バルフォア外相が、銀行家のロスチャイルド卿に宛てて、「ユダヤ人のために民族の家をパレスチナに創設することを約束する」という手紙を書いた。
 これが「バルフォア宣言」である。これは個人的な手紙で公約ではなく、また約束したのはユダヤ人の「家」であって「国家」でないという狡猾なものだった。しかし、シオニストにとっては、どうでも良いことだった。
 これはユダヤ人のイスラエル国家創設のイデオロギーとなった。一方、パレスチナ人にとっては、「バルフォア宣言」はすべての苦難の根源であり、10歳の子どもまで、知っている。
一方、オスマン・トルコの支配に対して、「アラブの反乱」を始めていたメッカのシェリフに対しては、カイロのマクマホン英高等弁務官が、1916年1月、「独立アラブ王国を支持する」という「マクマホン宣言」を発表していた。
 こうして、英国は、シオニストに対しては「バルフォア宣言」、アラブの王様に対しては、「マクマホン宣言」で、同じパレスチナの地に国家の建設を約束したのであった。英国の帝国主義外交の典型であった。
 さらに、ヨーロッパの帝国主義者たちは、ひそかに悪辣な分割協定を結んでいた。ロシア革命に勝利したレーニンがクレムリンの王室文庫にあった「サイクス・ピコ秘密協定」を公開した。それは、大戦後のオスマン・トルコ領を、英・仏・露の3国で分割支配するという協定だった。
 この協定では、パレスチナは英領になっていた。英国の狙いは、まだ石油の埋蔵が知られていなかったので、多分スエズ運河の利権を守ることであったのだろう。

5.イスラエルの誕生 ― 国連の採決

 1945年10月に誕生した国連が最初に遭遇した議題は「パレスチナ問題」であった。大戦後、ナチスドイツの迫害を生き延びたユダヤ人難民が、ユダヤ機関の豊富な資金でもって、ぞくぞくパレスチナに入植した。その結果、それまで2000年の間、平和に共存してきたアラブ人とユダヤ人の均衡が崩れ始めた。
 46年4月、国連はパレスチナ特別委員会(UNSCOP)を設けて、現地調査団を派遣した。その報告書にもとづいて、国連は2つの解決案を総会に提示した。それは、a.パレスチナをアラブ、ユダヤの2カ国に分割する、b.アラブ、ユダヤ両州から成る連邦国家にする、というものであった。
 大戦後、英国の支配力は衰えた。パレスチナでは「イルグン」、「シュテルン」などのユダヤ人秘密武装勢力が、英国の権益に対してテロ攻撃を激化させていたが、英国には、これを抑える力はなかった。もはや英国にとっては、パレスチナ問題の解決などどうでもよかった。
かわって、登場したのは米国であった。米国は、イスラエルの誕生と、それ以後の中東紛争に深くかかわっていくのであった。 
 シオニストと米国、それにソ連は、a 案を支持した。これにヨーロッパ諸国が賛成した。a 案は多数案と呼ばれたが、総会で3分の2をとることは不可能であった。アラブ諸国は、しぶしぶと、b 案を支持した。これに中南米諸国が支持した。アジアとアフリカの大部分はまだ独立しておらず、国連の加盟国ではなかった。
 同年11月29日、国連総会は、2つの案の採択を行った。予想を裏切ってa. 案(分割案)が採択されたのであった。これは、国連の歴史のなかでも最も劇的な採決の一つでなった。
 このどんでん返しを工作したのは、米国であった。投票に先立つ数日間、米国は、分割案に反対していた途上国に対して、ある時は本国政府にトルーマン大統領が電話を掛けて対外援助を約束し、または、直接に国連代表に対して、賄賂を提供するなど、あらゆる汚い手を使った。フィリピンの例などは、その典型であった。ロムロ代表が分割案に反対する激しい演説を行った直度、本国のフィリピン政府は、折から米上院に掛けられていた七つの法案を人質に取られ、賛成に寝返ってしまった。タイも同じく分割案に反対の演説をした代表の信任状が理由もなしに取り消され、代表は投票に参加できなくなった。

6.パレスチナ ― もっとも暑い地域

 パレスチナ戦争は、国連のパレスチナ分割案採択の直後、ユダヤ人武装軍とアラブの王制連合軍との間の戦争であった。ユダヤ人は団結していたが、アラブの王様たちは、エルサレム以外の土地に関心を持たなかったため、敗北した。
 1948年5月14日、イスラエルは独立宣言を行った。イスラエルは国連が決めた領土以上の土地を獲得した。一方、80万人のパレスチナ人が故郷を追われ、周辺のアラブの地に難民となった。
 1967年6月、イスラエルの不意打ちで、第三次中東戦争が勃発した。この時私はエジプトのカイロに住んでいた。イスラエルは、戦争に勝利し、ヨルダン川西岸、ガザ、シナイ半島(エジプト領)、ゴラン高原(シリア領)を占領した。
 同年11月22日、国連安保理は、パレスチナ決議242号を採択した。これは、西岸、ガザ、東エルサレムなどの占領地からイスラエル軍の撤退、すべての敵対行為の停止、国際水域の自由航行の保証、難民問題の公正な解決などが含まれている。一貫して、イスラエルの味方をしてきた米国は、この決議には棄権した。以来、この安保理242号決議は、パレスチナ問題の解決の基本となってきた。

7.イスラエルは戦争の中で誕生し、戦争の中で生きてきた

 すでに述べたように、イスラエルは「国家」の要件をもっていない。イスラエルは、誕生から、以後の歴史でも、絶えざる戦争の中にのみ生きてきた。そして、戦前は英国、戦後は米国の外交戦略の醜い産物であった。
 もう一つ、忘れてならないことは、米国内の「イスラエル・ロビー」の勢力である。ユダヤ資本が、英国の金融界、メディア界を握っていることは、良く知られていることだが、問題は「イスラエル・ロビー」、すなわち「シオニストのロビー」である。このロビーは、ホワイトハウス、議会ともに支配的な力を持っている。
 彼らに対抗しなければならないアラブ・ロビーは微力である。今回のイスラエルのガザ侵攻に対して見せた国際世論の盛り上がりを持続していく以外にない。