世界の底流  
シリア(2012年6月〜12月)

2013年1月24日
北沢洋子

1.「シリアの友人」会合

 昨年6月7日、パリで、ファビウス仏外相の招待で、第3回「シリアの友人」会合が開かれた。イスタンブールで開かれた第2回の会合には83カ国が参加していたのだが、パリの会議は、仏、米(クリントン国務長官)、英、独、伊、スペイン、トルコ、カタール(首相)、モロッコ、チュニジア、アラブ首長国連邦、クエート、ヨルダン、サウジアラビア、EUの15カ国に減った。中、ロは欠席した。しかし、欧米とアラブの主要国がシリアの反政府派を支持していることを示した。これは、すべての反政府組織と軍が統一して、暫定政府を設立すれば、「その政府の要請」という口実で、シリア内戦に軍事介入することが出来ることを予想した集まりだった。

2.エリート部隊司令官の脱走

 同じ時期、シリア共和国近衛隊という精鋭部隊の司令官Manaf Tlass准将が、友人のアサド大統領を見限って、脱走した。彼の父親Mustafa Tlassは1972〜2001年、アサドの父親の国防相を務めた。父Tlassは現在パリに住んでおり、息子の脱走を非難したと、イランのテレビは報道した。彼の姉Nahed Ojjehは「マダムO」と呼ばれ、パリの社交界の花形である。彼女は資産数十億ドルのサウジアラビアの武器商人の未亡人である。
 Manaf Tlass司令官は、アサド大統領に最も近い側近の1人であった。米・仏ともに、これは、良い兆候だと喜んだ。しかし、国外の「シリア国民評議会(SNC)」は、「クリントン国務長官のように、喜ぶのは早すぎる」、「彼が反政府派に加わるとは考えられない」と語った。

3.トレムセの大量虐殺

 7月14日付けの『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン(IHT)』紙は、7月12日、中部ハマ近郊のトレムセ(Tremeseh)村で、政府軍がヘリと戦車、ロケット弾で攻撃し、村人250人を虐殺した、と報じた。ハマ地域の調整委員会(NCC)は「犠牲者は後ろから撃たれている。明らかに逃げようとしたのだ」と非難した。
 直ちにシリアに駐在する国連停戦監視団のババカル・ガイ団長は、トレムセ村に入り、調査をしようとした。調査の結果は、国連安保理に報告されることになっていた。しかし、調査団は、村の手前6キロのところでシリア軍に阻まれた。英国に本拠を置く「シリア人権監視機構」も、「政府軍と民兵による住民の虐殺」を報告した。
 虐殺のスケールは、昨年3月、反政府の蜂起以来、最悪の規模であった。ハマの反政府活動家が、虐殺の模様をYouTubeに載せ、スンニー派住民の「民族浄化作戦である」と非難した。アサド大統領は、シーア派に属するAlawite派の出身で、彼の政権はAlawete派で固めている。
 ベトナム戦争の時代、米軍がベトナム村人500人を虐殺したソンミ事件を思い起こさせる。「ソンミ」は、68年、世界中のベトナム反戦運動の引き金となった。

4.ダマスカス中心部で戦闘

 この頃になると、アサド大統領の政府軍と反政府派のシリア自由軍との戦いは首都ダマスカス市の中心部に移った。そして、7月18日、『シリア国営通信(SANA)』は、「敵の自爆テロによって、Daoud Raiha国防相と大統領の義理の兄Alef Shawkatが殺された」と報じた。国防相は、政権の中では、唯一少数派のキリスト教徒で、1年前に任命されたばかりであった。
 7月21日、「シリア国民評議会(SNC)」のシーダ議長は、イスタンブールに向かう途中、「ダマスカスの自爆テロは、誰の仕業かわからない」と報道陣に語った。
 ダマスカスが戦場になったことは、@ アサド大統領の支配地域の中心部であること、A 反政府派が首都を攻撃できる力を示したこと、B 精鋭部隊をダマスカスに釘付けせざるを得なく、必要な戦場に送れないこと、などを物語っている。
 また、ダマスカスと並んで、シリア最大の都市アレッポでも激しい戦闘が続いている。
アサド大統領は、反政府側の都市、あるいは反政府軍が奪還した都市に対して、空と陸から猛爆し、徹底的に破壊している。これは、アサド大統領が、もはやシリアを統治する気を失くしていることを意味している。いずれにせよ、アサド政権が終わりに近づいていることを示している。

5.首相の亡命

 この頃になると、シリア大使の亡命が相次いだ。まず駐イラク大使、続いてアラブ首長国連邦駐在、キプロス駐在大使がともにカタールに亡命した。
 そして、8月6日、カタールの衛星テレビ『アルジャジーラ』は、ヒジャブ首相がアサド政権から離脱し、ヨルダンに亡命したことを報じた。彼は、「殺人とテロ政権から離脱した」と声明を発表した。これまで、大使など外交官クラスの亡命が続いていたが、今回は、首相というアサド政権中枢の最高位の離反であった。首相は多数派のスンニー派であるので、アサドは厳重に監視していたにも関わらず、8月2日、妻と子供をつれて、夜の闇にまぎれてダマスカスを劇的な脱出に成功した。
 首相の職は、アサド大統領の任命で、実際には軍・情報部に実権があるので、傀儡にすぎない。しかし、首相の離反は政権にとって手痛い打撃である。

6.化学兵器使用の危険性

 国際社会には、アサド大統領が絶望のあまり「貯蔵している化学兵器(サリン)を反政府軍や市民に対して使用する」という噂が飛び交った。
 8月20日、オバマ大統領は、衛星写真で「アサドが化学兵器を発射するために移動したことが発見されたら、直ちに軍事介入する」と脅しをかけた。しかし、現実に「移動」が報告されると、「発射されたら」という表現に後退した。アフガニスタンで手一杯のオバマ政権にとって、シリアに手を広げる気はなさそうだ。ペンタゴンは、シリアの化学兵器を破壊するためには、75,000人の軍隊が必要だという試算を出した。

7.解放区で手製の武器製造

 昨年8月30日付けの『IHT』紙に驚くべき記事が載っていた。反政府軍が、支配地域で、武器を修理するだけでなく製造もしている模様を報じた。
 昨年7月、北部のアザズで、アサド軍を退却させたのは、反政府派の機械修理工場で作られた手製の迫撃砲やロケット砲であった。作り手の労働者たちは、一度も大砲に触った経験がない。彼らは大砲だけでなく、弾丸も「一日に25個作る」と語った。また政府軍から奪ったり、イラクから密輸した武器の修理や解体も行っている。古い電話器の部品から、遠隔起爆装置を作っている。
 武器の性能を高めるために、独自の射撃場を持っており、大砲や銃弾が戦場に送られる前に、20回以上のテストをしている。手製のロケットや迫撃砲は、「Dadool」のあだ名が付いている。シリアの方言で「太ちょ」の意味だ。
 また同紙は、地域のビジネスマンや商人が、武器製造のネットワークを作っている、と報じている。メンバーは、ある者は、火薬を集めるなどそれぞれ任務を持っている。戦闘には参加していないが、彼らは、ゲリラの一部隊である。
 これは国際社会がアサド大統領の「武器の供給」の呼びかけに、イランを除いて、応じていない中で、内戦の動向を左右する。ちなみに、イランの武器は、イラク経由で、政府軍に送られている。

8.政府の庁舎を攻撃

 また9月3日付けの『IHT』は、反政府軍がIdlib省の2か所の空港を占領したことを、報じた。この戦闘で、反政府派は、数機のヘリを奪ったという。
 同紙は、また9月2日の日曜日、反政府軍が、ダマスカスの中心部に進攻し、午後1時きっかりに2発のロケット砲弾を打ち込んだことを報じている。反政府軍は「預言者の孫部隊」を名乗っている。ダマスカスの住民によれば、「爆発は国防省・参謀本部・空軍省とバース党本部の方角から聞こえた」と証言した。さらに、もう一発が、シリア軍情報局に命中したという話もある。ここは、政治犯の拷問で名高いビルである。
 この攻撃の司令官は、『アルジャジーラ』の電話インタービューに対して「政府軍の将校たちが、我々の進撃の手助けをした」と語った。この攻撃は、7月18日、アサドの義兄が自爆テロで殺された事件に匹敵する。
 同時期に、国連とアラブ連盟は、アルジェリアの元外相ブラヒミ氏を特使に任命した。彼は、双方と交渉を続け、停戦協定を模索してきたが、いつもアサド大統領が協定を破って、武力攻撃する。そのため今日に至るまで、停戦は成立していない。

9.自由軍がシリア国内に本部を移動

 9月24日付けの『IHT』紙は、「自由シリア軍が、これまでトルコ領内に置いていた本部をトルコからシリア国内の解放区に移した」という記事を載せた。それは、自由軍総司令官Riad al Assad大佐の名の9月22日付け「国内からのコミュニケ第1号」の引用であった。
自由シリア軍は、@ 反政府デモの活動家で銃をとった者、A 政府軍から脱走した者、B 国境の外の難民から、C さらに外国からの志願兵などから成っている。マスメディアは、「自由シリア軍は、緩やかに協力しあっている部隊の傘のような組織」だという表現をとってきた。
  本部がシリア国内に移動したことにより、部隊間の調整が改善されるだろう。この移動は、軍事的にではなく政治的な目的があった、という観測がある。自由シリア軍が、海外の亡命派に対抗し、国内の反政府派勢力を統一するという狙いがある。

10.反政府派のプロファイル

 11年3月、反政府デモを始めたのは、エジプトで見たような30代前後の弁護士、医者、IT技術者などインテリ活動家であった。彼らは、親たちがアサドの独裁を先々恐々として受け入れてきたことに「ノー」を突きつけた。
 11年3月、反政府デモが始まった当初は、「アサドの退陣を要求し、民主化を求める」平和的なデモであった。これに対して、アサド大統領が治安警察でもって無慈悲な弾圧を加えた。活動家たちは、弾圧を逃れるために、街や村ごとに、独立した、非合法の「民主的変革のための全国調整委員会(NCC)」を組織した。これは16の地域組織から構成されている。彼らは、インターネットを使って、相互に連絡をとっているが、それぞれ独立した運動体で、独自の判断で活動する。
 欧米のマスメディアにしばしば登場するのは、「シリア国民評議会(SNC)」である。キリスト教徒のジョージ・サブラが議長である。同評議会は、主として海外に住むシリア人でもって構成されており、実際に闘っている国内組織と連絡がない。
 このほか、国内に「ヌスラ戦線」という謎の武装組織がある。これは、アサド大統領や欧米のマスメディアが、「外国人が多く、アルカイダのシリア版だ」と非難している。
 問題は、シリアの反政府派が統一していないことである。大きく言って2つに分類できる。
第1のグループは、武力でもってアサド政権を倒そうとする「武装闘争派」である。これにはシリア国民評議会(SNC)、自由シリア軍、ヌスラ戦線などが属する。しかし、3者の間に連携はない。
 第2グループは、「武装闘争を否定」し、民主化を求める「国内派」である。主として、「全国調整委員会(NCC)」である。彼らは、9月23日、ダマスカスで秘密の会合を開いた。これに中国とロシアの代表が出席したという噂がある。同委員会は「即時停戦」を呼びかけ、「すべての軍隊の撤退」を要求している。そして、「政権側との対話で解決する」という路線をとっている。

11.暫定行政機構案は不発

 米国は、シリアに直接の軍事介入を躊躇っている。その代わりに、シリアの反政府派を軍事的、経済的に援助することを考えている。しかし、シリアの反政府派は、一つにまとまっていない。
 米国は、その援助の正当性を確保するためには、「暫定政府」の要請という証拠が必要である。そのため、反政府派を統一しなければならない。
 クリントン米国務長官は、かねてから海外亡命者の「シリア国民評議会(SNC)」に対して、不信の念を持っていた。長官は「SNCはシリアを代表していない」と言い切っていた。
11月2日付けの『IHT』紙は、クリントン国務長官が、カタールのドーハで、シリアの反政府派を集めて会合を開くことを提案した、と報じた。しかし、米国は大統領選挙を控えており、また米国がスポンサーではまずいので、この会合はアラブ連盟の主催になった。会合は米国の選挙の翌日にすることが決まった。
 ドーハの会合の最終目的は、国際的にアサド政権に代わる、信頼できる、行政機構を作ることにあった。これまで、シリアの反政府勢力の代表を自認してきたSNCは、新機構でも多数派を取ろうとしたが、代議員の出席の数が制限された。その結果、新行政機構では、3分の1にとどまった。11月11日、総勢400人の代議員が選ばれ、内閣にあたる暫定行政機構は40人であった。この中には女性は1人も選ばれていない。名称は、「反体制派と革命のシリア国民連合(略称国民連合)」となった。
 外交的に「国民連合」を承認したのは、フランス、イギリス、トルコと、湾岸協力評議会加盟国であった。
 カタール政府は、渡航費や滞在費を負担して、シリア国内から反政府派の代表を集めた。しかし、問題は、「シリア自由軍」を招集出来なかったことである。自由軍は、部隊ごとに独立しており、しかも独立心が高い。「国民連合」にとって、自由軍の扱いは、今後の大きな課題となるだろう。また、評議員の数を減らされたSNCの不満も残っている。

12.反政府派の前進

 中東では、11月〜1月は「政治の季節」である。「アラブの春」もこの時期だったし、今日のシリアの内戦も激化している。
 11月、反政府派は、各地の軍事基地を制圧した。多量の装甲車、対空ロッケト砲など
政府軍の虐殺に対抗するのに必要な武器を手に入れた。アサド軍の空からの攻撃は、当時40,000人と言われた犠牲者の多くを出してきたからであった。
 11月26日、反政府軍がユーフラティス川の最大の水力発電ダムを制圧した。反政府派はこれを「戦略的勝利」だと発表した。
 11月29日付けの『IHT』紙は、反政府派がアレッポで、熱伝導型地対空ミサイルでもって、ヘリを撃ち落とした、と報じた。の活動家によって撮影されたビデオがインターネットに載った。これは、軍事技術からいっても、大きな前進である。撃ち落とされた政府軍のヘリは、ロシア製のMi-8型であった。皮肉なことに、反政府軍が使った地対空ミサイルはManpadsと呼ばれる米国製の武器である。多分、アフガニスタンのソ連軍と戦うゲリラに送られ、その後パキスタンを経由して、シリアの反政府派の手に入ったと考えらえる。
ダマスカス空港も反政府派の手に落ちた。12月1日以来4日間、すべてのフライトが停止になった。
 12月2日、反政府派は首都ダマスカス市内に対して最大規模の攻撃を開始した。まず、政府軍の爆撃で失った地区を取り戻した。市内では、12月2日の日曜日、ダマスカスの商人が一斉ストを行った。その前の2日間、インターネットが使えなくなったが、それを克服して、「平和的なスト」を展開した。商店のストは、ダマスカスだけでなく、全国主要な都市に及んだ。これは、市民的不服従の行動で、「誇りのスト」呼んだ。
 シリア自由軍を含めて反政府派の戦闘はゲリラ様式であった。ゲリラ戦は闘いには有効だ。しかし、シリアの場合、反政府派が都市部に解放区を作ると、政府軍が空から爆撃、地上からはロケット砲で街を破壊しつくす。このような状態では、解放区を維持することは困難である。アサド大統領が自分の国をめちゃくちゃに破壊するということは、再び彼がシリアを統治する気がないのであろう。

13.ロシアの変節

 内戦の舞台がダマスカスやアレッポに及ぶと、それまで、アサド大統領を擁護してきたロシアの態度に変化が起こった。
 ダマスカス市内が戦場になると、国連やEUは、シリアからスタッフを引き上げていた。
12月4日、ロシアのBogdanov副外相は、非公式だが、ロシア人も引き上げると語った。シリアには、数万人のロシア人がいる。その中には、冷戦中ソ連とシリアが友好関係にあった頃、シリア人と結婚したロシア女性が多い。
 この高官は、「反政府派が勝利することを否定できない」と語り、アサド大統領に、辞任し、国外に出るように説得していることを打ち明けた。もしアサドが、シリアに踏みとどまるならば、「彼自身の国民の手で殺されることになるだろう」と忠告した、と語った。

14.シリア軍MP司令官の脱走

 12月28日付けの『IHT』紙は、クリスマスの夜、シリア軍の警察(MP)の司令官が、脱走したことを報じた。彼の名はAbudul Agziz Jassen al Shallal少将で、オートバイで4時間かけて国境の沼地と森を抜け、トルコに逃げた。そして、彼は、公然と政府軍を非難した。アサドの軍隊のモラルにとっては、手痛い打撃であった。
 彼は、アサドの軍隊の脱走兵の中では最高のランクであった。シリア自由軍のLouay Mekdad政治・メディア広報担当官に言わせると、アル・シャラル将軍は、数知れぬほどの人を刑務所に入れた責任者だと言う。兵隊の脱走を監視することを任務とするMPの司令官が脱走するなど、政権が内部から崩壊していることを物語った事件であった。
 ロシアの有力紙『Kommersant』は、米国とロシアが話し合い、アサドに亡命先として、アラブ首長国、ベラルーシ、ベネズエラなどが挙がっている、と報じた。アサドはすでに妻と子どもを英国に逃がしている。
 ブラヒミ国連特使は、「アサドは一定期間大統領の座にとどまり、その後、暫定政権が出来たら、権限を譲る」という提案をした。しかし、反政府派がアサドの退陣を、交渉の前堤条件にしているので、この案は通らないであろう。
 英紙『ガーディアン』は、12月はじめに、外務省のスポークスマンのJihad Makdissi氏が、米国に亡命した、と報じた。彼は、シリア外交に精通しており、現在米国のCIAに協力している、と言う。
 ダマスカス、アレッポ、ハマなどの主要都市で激戦が続く中、「アサド後」の課題が浮上してきた。「シリアの友人たち」の第4回会合が、12月12日、モロッコのマラケシで開かれた。これには、100カ国近くが参加した。第3回の参加国数が15カ国であったことに比べると、シリア情勢の変化を見てとれる。

15.シリア自由軍とヌスラ戦線

 12月15日付けの『朝日新聞』は、反政府派の代表組織「国民連合」のハティブ議長との単独インタービュー記事を載せた。フランス、米国、トルコ、湾岸諸国などが、国民連合を「唯一の代表組織」と承認し、受け皿作りを急いでいる。問題は、「国民連合」と国内で戦っている武装勢力との関係である。@ 「シリア自由軍」が、国民連合の代議員や行政府に入っていない。A 自由軍は、独立した部隊がそれぞれ緩やかに連携しているおり、統合司令部はない。B ヌスラ戦線が、米国によって、「メソポタミアのアルカイダ」に属するとして、「テロ組織」のリストに加えられた。これらのことが、アサド後の「受け皿」の障害になっている。

16.虐殺の罪で国際刑事裁判所に提訴

 今年1月2日、スイスを代表に、安保理常任理事国の仏、英の支持で、50カ国以上の政府が、国連安保理に対して、シリア政府を「大量虐殺と戦争犯罪」で、ハーグの国際刑事裁判所(ICC)に提訴することを要求した。そして「信頼できる、公正で、独立したパネル」の設立を要求した。
 1月1日付けの『朝日新聞』は、シリア国民連合の発表として、12月30日に、中部のホムス県デールバールベ地区で、政府軍と民兵が、住民220人を虐殺した、と報じた。これは、国連に50カ国が安保理に提訴して以来、最大の住民虐殺である。
 すでに21カ月に及んでシリアは暴力の中にある。11年3月、「アサドの退陣と民主化」要求する平和的なデモに対して、アサド大統領が治安部隊で弾圧したことからはじまった。  
すでに、シリア内戦では、国連は、実名が判明している人で、すでに59,648人の犠牲者を 出していると報告している。また、Navi Pillay国連人権高等弁務官もシリア政府をICCに提訴すべきだと、言っている。