世界の底流  
アルジェリアのイスラム聖戦主義者による大量人質事件

2013年1月19日
北沢洋子

1.アルジェリアで人質事件が発生

 1月16日早朝、アルジェリア東南部のイナメナス(リビア国境に近い)にある天然ガス施設が、イスラム聖戦主義グループによって攻撃され、外国人を含む多勢の人質をとって立てこもるという事件が発生した。
 重武装した約40人のゲリラが、二手に分かれ、一方はバスに乗って空港に向おうとしていたプラントの従業員を3台の車両で襲撃し、人質にした。もう一方のグループは、プラントから離れたところにある居住区を襲った。ここでは主に、外国人が人質になった。さらに施設内で働いていたアルジェリア人従業員150人も人質になった。この段階では、人質になった外国人の国籍や人数は不明であった。
 この工場は、天然ガス液化プラントで、アルジェリアの国営炭化水素公社ソナトラックと英国の大手石油会社BPとの合弁企業である。そして、日本のエンジニアリング会社の日揮が、米ケロッグ・ブラウン・アンド・ルート(KBR)社と共同で、開発を受注していた。

 2.襲撃犯のプロファイル

 隣国モーリタニアの『ヌアクショット通信(ANI)』に送られてきた襲撃グループからの声明文によると、「41人の十字軍(非モスレム人)を人質にした」ことを明らかにした。人質の中には、「米国人7人、フランス人2名、英国人2名などが含まれる」と言う。ゲリラは、「血書団」と名乗っている。そのいわれは、血でもって署名することから来ている。血書団は、サハラ一帯で展開している「Al Mulathameen(覆面旅団)」から、昨年分派した。
 さらに、声明文は、「フランス軍のマリ攻撃に際して、アルジェリア政府が領空通過を許可したことに対する報復である」と述べている。明らかに、マリ情勢とこの事件は関連していることが判る。また「アルジェリア政府に投獄されている100人の仲間の釈放」も要求している。
1月18日付けの『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン(IHT)』紙によると、このグループは、「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)」と連携している「イスラム聖戦主義者(Jihadist)」であると言う。ゲリラの数は、200〜300人で、アルジェリアのほかにエジプト、シリア、チュニジア人などが参加している。
 アルジェリアのウルドカブリア内相によると同グループの司令官は、「モクタール・ベルモクタール(Mokhtar Belmokhtar)」だと言う。彼は、しばしば「Khaled Abu Abass」 というゲリラ名を名乗る。仲間内では、「聖戦のプリンス」と呼ばれている。彼は、80年代、アフガニスタンで、ソ連軍と戦った時、左目を失くしたので「隻眼」、たばこの密輸を資金源にしているので「Mr.マルボーロ」、そして、フランス情報局は、2003年、ヨーロッパ人観光客の一連の誘拐事件で逮捕出来なかったため、「アンタチャブル」と呼んでいる。
 ベルモクタールの活動範囲は、アルジェリア、ニジェール、マリ、モーリタニアという砂漠と草原の広大な地域に及んでいる。しかも、人口は極端に少なく、最も貧しい。パキスタンに隠れていたアルカイダのビンラディンより捕まえることは、難しいだろう。
 ベルモクタールは、72年にアルジェリアのGhardaiaで生まれた。1980年代、19歳でアフガニスタンに赴き、ソ連軍と闘った。この時、彼はオサマ。ビンラディンと知り合い、強い影響を受けた。その後、アルジェリアに戻り、サハラ砂漠でイスラム聖戦主義組織を作った。
 マリのチンブクトウのアラブ人有力者の娘と結婚し、現在、マリのガオ(15世紀、ソンガイ帝国の首都)に住んでいる。彼は、ガオを流れるニジェール川を眺めるのが好きだ、と言われる。ガオは、今回のフランス軍の激しい空爆を受けた町である。

3.アルジェリア軍の救出作戦の失敗

 アルジェリアは仏植民地であった。しかし、フランスは隣国マリへの軍事介入が引き金になった人質事件であるにもかかわらず、マリで手一杯で、アルジェリア支援の軍事行動に出ることが出来ない。
 またアルジェリアは、8年にわたるフランスからの独立戦争を行ってきた。これは民族解放戦争としては、最も長く、激しいものであった。また、現在、フランス国内に430万人のアルジェリア移民(一部はフランス国籍)を抱える。フランスは、もしアルジェリア政府の要請なしに派兵すれば、「新植民地主義」と非難されることを知っている。
 カタールの衛星放送『アルジャジーラ』は、事件発生から2日目、「1月17日正午、アルジェリア軍ヘリコプターが人質救出作戦を展開した」と放送した。また、襲撃の司令官は、「ゲリラが、人質を車両で南部に搬送している途中で、アルジェリア軍の空からの攻撃を受けた」と言っている。
 この戦闘で、人質35人、ゲリラ15人が死亡した。そして日本人1名、英国人1名、米国人2名ベルギー人3名、計7人が依然として人質になっている、と報道された。アルジェリア軍の救出作戦は失敗したようだ。
 アルジェリア政府が、「人質になっている国に事前の連絡なしに、しかも白昼、ゲリラを攻撃したのは、「明らかに人質の救出ではなく、ゲリラの殲滅を優先させた」として、日本政府を含むカ国政府がアルジェリアに抗議した。
 1月19日付けの『朝日新聞』は、人質になった日本人は17名で、安否が確認されたのは7名、残りの10名の行方は不明、と報道している。