世界の底流  
フランスのマリ軍事介入はベトナム化か

2013年1月19日
北沢洋子

フランスのマリ軍事介入

 1月11日、フランスは、「マリ政府の要請を受けて、北部の反乱地域を空爆した」ことを明らかにした。翌12日、ルドリアン国防相が記者会見で、「マリへの軍事介入は、急を要した」として、その理由に、「反政府勢力が北部の3分の2を押さえ、首都バマコを脅かしていた」ことを挙げた。反乱軍「アンサル・ディーン(信仰を守るもの)」が首都バマコに至る要衝コンナを制圧した。しかし、この段階では、派遣されたフランス軍は800人で、戦闘も空爆に限定されていた。
 フランスの軍事介入が、西アフリカ、北アフリカのサヘル地帯全域に、反西欧のテロ活動を誘発するのではないかと危惧された。はたして、アルジェリアで、1月16日、イスラム聖戦主義者による大規模な人質事件が発生した。
 マリは西アフリカの旧フランス植民地で、友好国であった。首都バマコには6,000人のフランス人が滞在し、さらにマリの隣国ニジェールでフランスの原子力企業「アレバ」がウラン鉱の採掘を行っている。したがって、サハラ砂漠全域のフランス人在住者は30,000人を超える。
 すでにマリの隣国ニジェールで、8人のアレバ社員が誘拐される事件が起こっている。フランス側はこれを「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)」の仕業であるとした。
さらにマリ北部を支配しているイスラム聖戦主義者「アンサル・ディーン」も、アルカイダと連携していると言う。

マリの軍事クーデター

 フランスが軍事介入するまでに至った最近のマリの政治情勢を知る必要がある。クーデターが続くアフリカ諸国の中で、1960年にフランスから独立して以来、マリの政治は比較的安定していた。
 しかし、北部のトゥアレグ族の「アザワド解放民族運動(MNLA)」が反政府闘争を続けてきた。「アザワド」とは、西部サハラの総称で、ベルベル系の遊牧民であるトゥアレグ族が住んでいる地域である。ここはドイツの2倍の広大な面積だが、ほとんど砂漠と草原で、トァアレグ族の人口は100〜350万人と少ない。そのため、MNLAについては国内外でほとんど関心を呼んでこなかった。
 しかし、リビアに対するNATOの攻撃が始まると、トゥアレグ族のMNLAは、カダフィ派に外人部隊として参戦し、カダフィ死後、リビアから大量の武器を持って帰国した。そして、12年1月ごろから、マリ政府に対して、軍事攻撃を始めた。
 一方、これに対する政府軍の方は、装備も武器弾薬も不備だった。その上、悪いことに、昨年末、マリの精鋭部隊の司令官たちが、1,600人の部隊、銃砲、軍用トラック、それに作戦地図などをもって、敵軍に脱走した。これら司令官は、トゥアレグ族の出身であった。マリ政府軍にとって、手痛い打撃であった。
 昨年3月21日、ガマサ国防相が、バマコ近郊の軍事キャンプを訪問したとき、兵隊たちが、武器の不足を訴えた。しかし、国防相は満足に答えることが出来なかった。怒った兵隊たちは、バマコへ向けて進軍した。そして、国営放送局を占拠し、次に大統領府を攻撃し、外相や内相を逮捕した。トゥレ大統領は脱出に成功したが、行方不明になった。
 このクーデターを率いたのは、アマドウ・サンゴ大尉であった。そして、サンゴ大尉が米国で訓練を受けた軍人であったということは皮肉である。米国がサンゴなどアフリカの将校を訓練したのは、まさに、マリの軍隊がイスラム聖戦主義者を殲滅させるためだったからである。しかも、米国の情報機関は、クーデターについて未然に察知出来なかった。
 しかし、クーデターに対する国際世論は厳しかった。まず、アフリカ連合(AU)がクーデターを非難した。つづいて、15カ国で構成される「西アフリカ経済共同体(ECOWAS)」は経済制裁を課した。サンゴ大尉は、ECOWASの仲介で、4月12日、トラオレ国会議長に権限を移すことに合意した。暫定政権が樹立され、これでクーデターはひとまず終わり、マリは民政に戻った。
 バマコでのクーデターによる混乱に乗じて、MNLAは、わずか10日あまりで、北部全域を制圧し、4月6日、マリ政府からの「アザワド独立宣言」を行った。以後トゥアレグ族の組織は「アザワドMNLA」と称するようになった。
 しかし、トゥアレグ族の世俗主義のMNLAは、やがてイスラム主義者の「アンサル・ディーン」に取って代わられる。北部のガオで両者間の戦闘があり、アザワドMNLAは駆逐された。
「アンサル・ディーン」は、2012年に設立されたマリ人が主体のイスラム主義組織である。リーダーはイャド・アギ・ガリーである。このほか、規模は小さいが、「Mujao(西アフリカ唯一・聖戦運動)」がある。
 12年6月、「アンサル・ディーン」は、ユネスコの世界遺産に登録されているトンブクトゥを「偶像崇拝」として破壊したことで知られる。また、イスラムのシャリアにもとづいて、手を切り落とすなど、野蛮な刑罰などを実行している。しかし、「アンサル・ディーン」については、新しく設立された組織であるので、その実体はほとんど知られていない。

フランスの軍事介入は泥沼化か

 フランスのオランド社会党大統領は、これまで「ぐず」だと言われてきた。彼が、エネルギッシュなサルコジに勝ったのは驚きだった。
 ところが、1月中旬、オランド氏はフランス軍をマリに派遣したことで、そのイメージを覆した。フランス軍のマリ展開は、たった半日で完了した。
 昨年12月、国連安保理は、ECOWASが3,000人規模の軍隊を派遣することを要請する決議をした。このとき、フランスはECOWASの要請があれば後方支援をすると公約していた。今回フランスが単独で派兵したことは、驚きだった。フランスのルドリアン国防相は今回の軍事介入は「フランス軍による単独行動であった」ことを認めた。
 オランド大統領は、反乱軍の基地を空爆し、南下を止めたと自賛した。たしかに緒戦はうまくいったようだ。フランス軍はジェット戦闘機と攻撃用ヘリでもって、敵の2部隊を殲滅し、「アンサル・ディーン」がバマコに向けて進軍するのを防いだ。
 しかし、リビア紛争から持ち帰った兵器で重武装し、砂漠を知り尽くしているゲリラを、空からヘリや無人飛行機で殲滅することは到底出来ない。砂漠は海と同じで、隠れるところはたくさんある。すでに、トンネルを掘り、武器を埋めで、政府軍やフランス軍をきりきり舞いさせている。まして、フランス軍が占領地域を統治することなど出来ない。空爆後も依然としてイスラム聖戦主義者の支配下にある、というのが現状である。
 すでに、1月18日、フランス軍は地上部隊を800人から2,500人に増やし、中部のディアバル、コナなどの要衝都市で地上軍による戦闘を始めた。フランス軍参謀総長Edouard Guillaud 提督は、「フランスの地上軍を北部の戦闘のためには送らない」として、「これは、ECOWAS軍の仕事だ」と言った。
 アメリカ人と同じくフランス人も「強い大統領」が好きだ。西側諸国も、スランスの行動を賞賛した。米国、英国、アフリカ諸国などは、マリ支援を表明した。
 米国は、マリのフランス空軍に対して、空中給油を支援すると言った。英国も他国がマリに軍隊を送る時の空輸機を提供するが、「自国の軍隊は送らない」と声明した。
 EUは、1月17日、臨時の外相会議を開き、マリ政府軍を訓練するため450人の部隊を派兵すると発表した。しかし、戦闘部隊は送らない。アシュトンEU外交安全保障上級代表は、「フランスはひとりではない」とし、「EUは、ECOWASがマリに送る部隊に対する資金援助も検討する」と述べた。
 フランスはファビウス外相をアラブ連邦首長国に送り、アラブ諸国の参戦と資金援助を要請した。
 『AFP通信』によると、「ECOWASは1月26日までに3,300人の部隊を派兵することを決めた」と伝えている。しかしECOWASの軍隊は、訓練を受けていないし、装備もないし、また資金にも事欠いている。ECOWAS軍が戦闘に入れるのは、早くても今年9月以降であろう。
 フランス人はイスラム主義者の台頭を恐れている。また、北アフリカで誘拐されたフランス人人質の安否を気遣っている。しかし、フランスの軍事介入の将来は不明である。ベトナムやアフガニスタンの2の舞になることは、避けられないだろう。