世界の底流  
キプロスの銀行メルトダウン

2013年4月7日
北沢洋子

1.キプロスという国

2月末にイタリアの総選挙が終わり、不安定な政局だが、ひとまず金融危機は収束できたという観測が生まれた。これで一連のヨーロッパ・ユーロ圏の金融危機を回避できたと胸をなでおろした。しかし、それから1ヵ月もしない3月末、今度は同じユーロ圏のキプロスで銀行が危機に陥った。

キプロスは、地中海に浮かぶ島国で、1960年、英国から独立した。住民にはギリシャ系とトルコ系がいて、北部に住むトルコ系が貧しいため、両住民間の抗争が絶えなかった。

1974年、当時のギリシャ本土の軍事政権がキプロス島の併合を宣言した。これに対して、少数派のトルコ系住民の保護を名目にして、トルコ軍がキプロス北部に進駐した。以後、北部はトルコ軍が実効支配している。

トルコ軍の占領によって、キプロスの経済は損害を蒙った。まず、トルコ軍占領地域に住んでいたギリシャ系住民は、家、土地、仕事を失った。キプロスで唯一、深水港であるファマグスタ港と首都ニコシア国際空港を失った。2年間で、ギリシャ系の経済のGDPは3分の1に落ち込んだ。

ギリシャ系地域の「キプロス共和国」は国際社会で承認されたが、北部のトルコ系地域を承認したのは、トルコ一国だった。以後「キプロス」という場合は、ギリシャ系住民地域を指す。

キプロスは、04年5月、EUに加盟した。しかし、人口センサスがないトルコ系地区を除くキプロスの人口は、86万人であり、観光業だけの経済では、とうてい持続可能な発展は望めなかった。

2.観光から金融センターに

そこで、キプロスは、ルクセンブルグやアイスランドなど極小国の例に倣って、年率6〜7%という高金利で、世界中から預金を集める「金融センター」を国家ぐるみで仕立て挙げた。北部のトルコ系地域でも、これに便乗して自分たちの銀行に預金を集めた。

キプロス政府は、金融に通じた弁護士、会計士など、金融業に必要なインフラストラクチャーを整備した。そして、集めた資金を、米国のサブプライムの住宅金融公社「IndyMac」や、ギリシャの国債などハイリスク・ハイリターンの部門に投資をした。たとえば、キプロス銀行は、定価1ユーロのギリシャ国債を0.7ユーロで買った。08年、ギリシャに財政危機が起こり、その国債は75%下落した。その結果、「キプロス銀行」は、16億ドルの損失を出した。

このような危険な「スペキュレーション(投機)」は、通常、ヘッジファンドが行うもので、「キプロス銀行」のような正規の商業銀行ではやらない。しかし、とにかく、「キプロス銀行」と「ライカ(Laika)銀行」の2大銀行に、世界中から預金が集まった。その最大の預金者は、ロシア人であった。キプロスには、6万人のロシア人が住み、毎夏、ロシアから億万長者がやってきて海岸で甲羅を干しているのが風物詩になった。

キプロスの銀行の預金総額は、GDPの9倍に達した。08年の一年間で、407億ドルの預金とローンを集めた。これはこの年のGDPの161%に上った。

また、キプロスは、法人税を10%という低い「タックスヘイブン」を設定して、外資を呼び込んだ。ちなみにヨーロッパで最低だといわれるアイルランドでも12%である。その結果、キプロスに32万社の外国企業が登記した。

3.新しいキプロスのBail Outメカニズム

しかし、このような金融バブルは長続きしない。やがて銀行は不良債権を抱えてメルトダウンした。キプロス政府は、「ヨーロッパ委員会(EUの政府=EC)」、「ヨーロッパ中央銀行(ECB)」、「国際通貨基金(IMF)」の「トリオ」に170億ユーロの救済融資を求めた。

トリオは、キプロスに、100億ドルの救済融資(Bail Out)を承認した。残りの70億ドルは、キプロス国内で調達しなければならない。そこでキプロス政府に、10万ドル以下の銀行預金に6.755%、10万ユーロ以上には9.9%を課税するという新しい条件を付け加えた。

これは、ECBとユーロ圏蔵相たちによって、承認された。しかし、これは間違いだった。ドイツと英国のメディアが、ドイツの秘密情報機関がリークした情報を、「キプロスはロシアの麻薬資金の洗浄の場となっている」、「キプロスがトロイカの条件に抵抗するのは、汚いマネーを守っているからだ」という非難キャンペーンを始めた。

しかし、キプロスのダーティ・マネーの洗浄を監視する機関である「Mokas」の記録では、スイスの銀行の「秘密度」は1879.2、ドイツは669.8、英国は616.5になっているのに比べてキプロスは、408.5と低い。つまり、透明度は高い。

キプロス議会は、銀行預金に課税するという政府の法案を、全会一致で拒否した。その結果、10万ユーロ以下の預金は「ペイオフ(保証)」されることになった。それ以上の預金の80%には課税され、それ以上は没収される。しかし、これが決まった時点では、すでに40億ドルの預金がキプロスから逃げ出していた。

5,000人が職を失い、厳しい資本管理が敷かれ、多くの規制が導入された。もはやキプロスは投資天国ではなくなった。

キプロスの金融危機の解決法は、これまでとは異なって、銀行預金者も救済(Bail Out)に参加させられた。この点について、ユーロ圏蔵相グループの代表であるオランダのJeroen Dijsselbloem蔵相は、インタービューで「これからの銀行危機には、ユーロ圏の政府だけでなく、銀行預金者もBail Outに参加することになった」と語った。

これは、スペインやイタリアのような危ない国にとっては、脅威であった。それで、盛んに「キプロスのケースは例外だ」と主張している。

4.キプロスの金融危機に続く国

スイス、ケイマン諸島(英領)などは、古くから知れたタックスヘイブンの地である。しかし、今回のキプロスの銀行危機で明らかになったように、多くの国が、「タックスヘイブン」となり、金融で生計を立てている。

(1)スロベニア

スロベニアはユーロ圏の中でも人口200万人という小国である。旧ユーゴから最初に離脱した国である。スロベニアの銀行預金高はGDPの200%に上る。キプロスの900%に比べると取るに足らない比率であるが。

3月末、IMFはスロベニアについての年次報告書を発表した。スロベニアの銀行が、「大量の不良債権を抱えており、動きが取れない状況にある」と警告した。「三大銀行が抱える不良債権は、11年には16%であったものが、12年には、20%に増えた」として、「スロベニアの銀行を救済するためには、10億ドルの資本注入が必要」だと述べた。

スロベニアの銀行は、旧ユーゴ時代には国営銀行であり、国の指導者たちの取り巻き企業に放漫に融資をした。つまり銀行の不良債権は破産した企業の債権である。したがって、IMFは、スロベニアに対する救済融資をする理由がない、と結論づけている。

(2)マルタ

地中海に浮かぶ旧英領で、64年に独立した。面積300km2という小さな島に人口は400万人である。04年にEUに加盟した。天然資源に乏しく、水・エネルギー資源がない。80年代にいたるまでは、マルタの経済は観光業に依存していた。それが、25年前に変化した。国ぐるみで、アイルランドやルクセンブルグに対抗できる「金融センター」設立に取り組んだ。

マルタは、タックスヘイブン、または低い法人税の国として知られる。これは、どちらも正しくない。マルタはECの勧告に基づいて、それまでの税制度を改正し、07年には、EU規定の税制度になった。

しかし、詳しく内容を検討すると、たとえば、法人税は35%だが、配当の分配では、株主は7分の6をリファンドされるので、法人税は5%になる。金融専門の『International Banker』(『ファイナンシャルタイムズ』の月刊誌)は、マルタは「預金の安全天国である。キプロスの騒動では、飛行機で2時間のマルタは、資本脱出先としては有利だ」と述べている。

マルタの銀行資産はGDPに上る。しかし、その中で、不良債権の割合は不明である。噂では、非常に多いということだ。

(3)ルクセンブルグ

キプロスに金融メルトダウンが起こると、キプロスに投資していた外国人の預金を狙って、多くの国が名乗りを上げた。その中で、大物はルクセンブルグである。

ルクセンブルグは、大公国で、人口僅か48万人、内陸国で、都市国家である。市内には、世界中の名の知れた銀行が軒を並べ、GDPの22倍に上る預金を世界中から集めている。

ルクセンブルグは1人当たりのGDPでは世界一の金持ち国である。

多分、ルクセンブルグには救済融資Bail Outの必要はないだろう。ルクセンブルグのタックスヘイブンは歴史が古く、これまで、集めた預金の投資先を慎重に選んできた。しかし、ドイツのウォルガング・ショイブレ蔵相や「トロイカ」が躍起になって規制しようとしている「金融部門の超肥大化」については、ルクセンブルグは、GDPの21.7倍である。その額は300億ドルにのぼり、20カ国の銀行で操作している。

「Mokas」の秘密度では、ルクセンブルグは1621.2と高いが、「Societe de Gestion de Ptrimoine」という制度を設け、資産の安全運営を保障している。四半期毎にわずか0.25%の税を支払うほかには、非居住者には資本、利潤、付加価値税(VAT)などを免税にしている。ルクセンブルグ政府は「金融ヘイブンは非持続可能で、不正だ」という議論に反対している。

マルタ、ルクセンブルグに続いて、ペルシャ湾のドバイ、シンガポールも手を挙げている。これらの国は、キプロスが集めた資金を狙っている「ハゲタカ」である。 

5.金融危機の根源

一連の金融危機を見ると、現行の銀行制度は非常に脆いことが判る。その結果、危機が繰り返し襲ってくる。

これには、2つの理由がある。

第1に、世界規模で銀行の不正な投資が行われている。銀行にどれほど隠れた資金があるか、誰も知らない。それは約2〜3兆ドルと言われる。IMFは8,000億ドルの不良債権があると試算している。

第2に、1999年までは、世界は現在のような恒常的な金融危機を経験したことがなかった。それは単純な理由である。それまでは、銀行は預金を投機に使っていなかった。銀行は、預金を、注意深く選んだ家族や企業に貸した。これには一定の事業の質、返済の見通しなどの基準があり、そして、担保を取った。

しかし、クリントン政権時代に、商業銀行と投資銀行との境が取り払われた。そして、すべての銀行が、金融市場に参入し、「デリバティブ」などハイリスクのメカニズムを導入した。

これが、生産と金融の乖離をもたらした。金融は1人立ちしはじめ、ハイリスク・ハイリターンを求め、さらに頭取たちは巨額のボーナスを受け取った。

今日、モノの生産やサービスによって生み出される1ドルに対して、その40倍のドルが金融取引で使われている。勿論、家族や企業に融資する儲けよりも、金融市場でのスペキュレーションの儲けの方がはるかに大きい。

6.銀行の犯罪

今日、銀行は、犯罪捜査の対象になっている。最近のことだけを挙げると、スペインでは、92人の銀行の頭取たちが、「納税者から3、770万ユーロを騙し取った」という詐欺罪で裁判にかけられている。米国では、「SAC(Steven A. Cohen )」という「ヘッジファンド」が6億200万ドルを「証券取引委員会(SEC))」に罰金として支払った。

ヨーロッパでは、ドイッチェバンクが「Libor(ロンドン銀行間取引)」の利子率を不正操作したとして、6億ユーロの裁判費用を支払った。これは、金融業界に2兆ドル以上の損害を与えたという詐欺罪で訴えられたためである。ドイッチェバンクはラスベガスに巨大なコスモポリタンホテルとカジノの建設に49億ドルを投資したのだが、米国の経済不況でカジノも不振になったため、このプロジェクトは失敗した。これを米政府は納税者の税金から118億ドルのBail Outをした。

例は限りなく続く。今年3月1日、米政府は、巨大な保険会社「AIG(アメリカン・インターナショナル・グループ)」に、税金から300億ドルをBail Out費用として支払った。これに先立って昨年9月、AIGは米政府から150億ドルのBail Out を受けている。

これら、巨額な公的資金による助成金の効用は不明だ。しかし、Eric Holder 司法長官が上院で証言したように、「銀行を犯罪容疑で裁判にかけることは、米国経済だけでなく世界経済にネガティブな影響を与える」という論理がはびこっている。

そして、政府の規制に対して、銀行業界は、猛然と反撃する。例えば、政府が「不動産抵当法」の規制を強めようとして、サブプライム融資について銀行を召還しようとした時、ニューヨークの銀行19社が、対抗訴訟を行った。この「サブプライム融資」は今日のグローバルな金融危機のきっかけとなった。

そして、米国では、Mary Jo Whiteが、「SEC(証券取引委員会)」の委員長に就任した。彼女の法律事務所は、これまで10年以上も、JP Morganなどの大銀行を弁護してきた。そして、米下院は31対14でBail Out をデリバティブにも拡大する3つの法案を立て続けに採択した。

7.金融危機を自力で克服したアイスランド

(1)アイスランド

今年1月末、スイスのダボスで開かれた「世界経済フォーラム」に出席したアイスランドのOlafur Regnar Grimmson大統領は、MANの金融レポーターに「今、ヨーロッパが解決法を見いだせないで苦しんでいる時、アイスランドは、08年の大規模な金融危機をどのようにして克服したのか」と聞かれた。これに対して、Grimmson は、のちに有名になった返答をした。

彼は、「アイスランドは、賢明にも、これまでの30年間、西側の金融が広く採ってきた伝統的な解決法を採択しなかった」、その代わり、「@ 独自の通貨と中央銀行を有し、それを規制した。A 銀行を破産させた。B 貧困層を援助した。C 今、ヨーロッパ中で行われている緊縮政策を採らなかった」と答えた。

更に、「アイスランドが採った銀行の破産という政策は、ヨーロッパにとって普遍的に有効であるか」と聞かれると、大統領は、「なぜ、今日、銀行は神聖な教会と見なされているのか?」、「なぜ銀行だけが、他の航空会社や通信会社のように、無責任な経営をした時、破産させないのか?」、「銀行をBail Out しなければならないという説は、経営者たちの利益を優先して、そのつけを一般の市民に課税や緊縮政策という形で負わせることになる。長期的には、民主主義に目覚めた市民は、そのような説を受け入れないであろう」と答えた。

アイスランドは、人口31万人、キプロスやマルタと同じく、極小国である。見るべき産業がないので、「金融センター」の道を選んだ。 

08年までに、アイスランドの銀行は外国から大量の預金を集めた。その中で、英国人とオランダ人の預金が多かった。英国からの預金は23億ポンドに上った。

銀行は預金の運用に失敗し、返済不履行に陥った。当然のことながら、英国とオランダはアイスランド政府に返済を求めた。しかし国民投票では、アイスランドの有権者の93%が英国とオランダの返済要求に「No」と答えた。そればかりでなく、アイスランドの首相と蔵相が「銀行の監督を怠った罪」で裁判にかけられた。英国とオランダは、「ヨーロッパ自由貿易協会(EFTA)」の法廷に、アイスランド政府を訴えた。しかし、3月末、アイスランドが勝訴した。

3大銀行の預金総額はGDPの10倍に達した。政府にはこの銀行の損失を補う力はない。そこで、銀行を破産させることにした。

アイスランドはユーロ圏に入っていないので、独自の通貨と中央銀行を持っていた。金融危機が起こると、自国通貨のクローナは、暴落した。これは、極端なインフレを引き起こし、一時的に生活は苦しくなった。しかし、輸出産業と観光には有利で、GDPはプラスに転じ、失業率も半減した。

今日、EU内で、反EU、反緊縮の勢力が台頭している。11年、ギリシャの金融危機が起こった時、トリオにBail Out を求めて、緊縮政策を受け入れるのではなくて、「EUから脱退して、独自の通貨と中央銀行を持って、観光業と輸出産業の回復をはかり、経済を復興させる、という案が出た。しかし、現在「反EU」を唱えるのは、右翼のレッテルを貼られる。

しかし、アイスランドの金融危機からの回復プロセスを見ると、Grimmson大統領の言葉通り、EU内の周辺国(ギリシャやスペインなど南方諸国と、キプロスやマルタのような極小国)が、トリオにBail Out を願い出て、緊縮政策を受け入れることは、不況を深化させるだけだ。