世界の底流  
忙しい中東の元首外交

2013年2月8日
北沢洋子

1.イラン大統領のエジプト訪問

2月5日、イランのアフマディネジャド大統領は、カイロ空港に降り立った。エジプトのムルシ大統領からレッド・カーペットの歓迎を受けた。2人の大統領は満面に笑みを浮かべていた。

イランの大統領のエジプト訪問は30年ぶりのことであった。まさに歴史的な事件だった。

2人は、ホメイニのイスラム革命以来、凍結していた2国間の関係修復、ならびにシリア情勢について話し合った。イランのAli Akbar外相は、イランの国営通信社「Islamic Republic News Agency のインタービュに「エジプトは中東のヘビイ・ウエイト級の国だ。これから2国間の絆を強めていく」と語った。

しかし、ことはスムーズに行かなかったようだ。イラン大統領が、スンニー派の最高学府であるアズハル大学とモスクを訪問したとき、学長が記者会見で、「エジプトやバーレーンなどでのシーア派の介入と、イラン国内でシーア派が少数派のスンニーを差別していること」を批判した。この席上で、アフマディネジャド大統領の側近は、「我々は反対だ」と叫んだ。これに対して、イラン大統領は、満足げに頷いたが、「我々は団結すべきだ。友愛を」と語った。

この記者会見の最中、聴衆の1人がイランの大統領に対して靴の片方を投げつけた。トルコのAnatolia News Agency は「靴を投げたのはシリア人で、イランがアサドを支援していることに怒ったのだろう」と報道した。また、エジプトの国営新聞『アル・アハラム』のウエッブサイトには「アフマディネジャド大統領の車を妨害したとして、4人逮捕された。

これら公衆の目の前での小事件があったが、エジプトとイランの関係は、暖かくなるだろう。とくにエジプトは、米国、湾岸の王政、そしてイスラエルなどに対して、イランに影響力を持っていると誇示している。エジプトとイランの関係が最悪だったのは、サダト大統領の時代、打倒されたパーレビ国王に亡命を許し、さらに1980年、パーレビがカイロで死んだ時、国葬にした時だった。その翌年,はサダト暗殺された。イランは、テヘランの通りに暗殺者Khaled Islambouliの名を冠した。

これらの過去を封印して、エジプトとイランは、中東における2大軍事大国として、これから中東政治をリードして行こうと思っている。

特に、ムルシ大統領はシリアの和平仲介者になろうとしている。彼は、シリアのアサド大統領をしばしばこっぴどく悪口を言った。これは彼の国賓を困惑させた。一方、これは、サウジアラビアやカタールを喜ばせた。

2.オバマ大統領のイスラエル訪問

米国のオバマ大統領もイスラエルのネタニヤフ首相も、ともに選挙で再選された。と言っても、オバマは圧勝だったが、ナタニヤフの方は、かなり議席を失ったという違いがある。

この春、オバマ大統領はイスラエルを訪問する予定がある。それが3月20日だという説が有力である。というのは、ナタニエフ内閣が発足するのが、3月16日だからだ。

米国大統領がイスラエルを訪問した例は、あまりない。2国が強烈な同盟にあり、米国の軍事援助の最大の受益国であるのを考えると不思議だ。

例えば、ニクソン、カーターがそれぞれ1回、父ブッシュが2回、そして中東和平に取り組んだクリントンは4回、訪問しただけだ。ブッシュ息子は、イスラエルの最大の友人だった。にもかかわらず、彼がイスラエルを訪問したのは1回だけ、それも任期最後の年の2008年であった。

そして、第1期オバマ政権の4年間は、訪問どころでなかった。米国とイスラエルはしばしば衝突してきた。例えば、西岸のユダヤ人入植地問題、イスラエルのイラン攻撃などをめぐって米・イは対立してきた。

今度の訪問はそれを暖めようとするものだ。

オバマ大統領がイスラエルを訪問するのは、初めてである。また、今回の訪問は彼の2期目の最初の海外訪問になる。イスラエルの訪問後、ヨルダン川西岸のパレスチナとヨルダンを訪問することになっている。

オバマ大統領はイスラエル訪問で、@ 米国のイスラエル支持を表明し、さらにA イスラエルとパレスチナの和平交渉を再開する、という野心を持っている。

ホワイトハウスのCarney 報道官は、記者会見で「大統領は、イラン・シリア問題など幅広い中東の諸問題についても、ネタニヤフ首相と話合う予定だ」と言った。最近、イスラエルがシリアを空爆したばかりである。

イラン大統領のエジプト訪問、オバマ大統領のイスラエル訪問によって、中東の軍事・政治情勢がどのように変わるか、興味深いところである。「アラブの春」がもたらした中東の変化である。