世界の底流  
シリア紛争がレバノンに飛び火

2012年9月20日
北沢洋子

 シリア紛争が長引く中で、隣国のレバノンでは、各部族や宗教のセクトの間での抗争が激しくなっている。
 キリスト教徒は、2つに分かれている。古くからのファランヘ党は「アサド打倒」を呼びかけている。一方、マロン派カトリック教会はシリアの少数派のキリスト教徒を守れと言っている。マロン派のBechara Rai大司教は「アサドとシリアの市民との対話」を呼びかけているが、決して政府の市民虐殺を非難していない。
 「アサド打倒」を声高に呼びかけているのは、ドルーズのリーダーWalid Jumblatt である。彼は、2010年にダマスカスに行き、35年前の彼の父親Kamal Jumblatt の死にシリアが関係していると、非難した。今年の父親の記念日には、緑、白、黒のシリア自由軍の旗を父親の墓にかけた。
 8月9日、レバノン政府は、爆撃と暗殺を企てたという容疑で、シリア派のMichel Samaha 元情報相を逮捕した。
 このことは、多くのレバノン人が、「シリアのアサド大統領が、自国の紛争をレバノンに持ち込もうとしている」と理解した。
 レバノンはモザイクのように、様々なセクトに分かれたキリスト教徒、同じく様々なセクトのイスラム教徒、さらにドルーズやクルドなどが微妙なバランスの上に共存している国である。
今年8月には、レバノンのシーア派が、同国内に在住するシリア人50人を誘拐した。シーア派の言い分は、「たとえ命の危険があろうと、シリアに留まるべき」という。  
 一方、スンニー派は、シリアとの国境の丘陵地帯で、内戦に備えて武器を集結させている。また、レバノン第2の都市トリポリでは、銃撃戦が起こっている。
 このような背景から、今やレバノンの勢力バランスが崩れる瀬戸際にあると言えよう。レバノンは、地政学的に重要でありながら、政情は不安定な国である。レバノンはしばしば、周囲の国々の間、さらに大国間の代理戦場となってきた。
 独立以来、レバノンは多くの部族や宗教の寄り集まりであった。なかでも最大のイスラム・セクトであるシーア派とスンニー派は激しい勢力争いを繰り返してきた。シーア派−その大部分はヒズボラだが―はイランとシリアに、一方スンニー派は西側諸国とサウジアラビアと同盟している。
 トリポリの銃撃戦は、シリアのアサド大統領の出身であるアラウィ派と、反アサドの自由シリア軍を支持するスンニー派との間で起こった。
 昨年春、シリアで民主化運動が起こって以来、レバノン国内の分裂は顕著になった。そして、アサド大統領が、シリアの紛争をレバノンに持ち込もうとしているのではないかと危惧がある。なぜなら、これまでシリアは、しばしばレバノンに攻め込んできたからである。
 シリア寄りでキリスト教徒のSamaha元情報相の逮捕は、アサド大統領が、レバノンを巻き込み、流血と混乱に至らしめることによって、国際社会の目をシリアから逸らそうとしている、という疑から始まっている。
 Samahaは、人ごみのなかで爆弾を爆発させ、スンニー派のリーダーを殺そうとしたと自白した。警察は、Samaha がこれをスパイにやらせようとしているビデオを入手したと言っている。また、Samahaが90キロの爆発物をガレージに運び込んだというビデオも入手したと言っている。また、スパイに170,000ドルを支払ったことも認めたという。シリア支持のヒズボラは、このような証拠が挙がるまで、Samaha を支持していた。そのごは、ほとんど沈黙している。
 アサドは、「シリアが不安定化すれば、この地域全体が不安定化する」と言っているが、レバノンで起こっていることは、まさにこのことだ。