世界の底流  
ケベックの学生ストとデモ

2012年8月03日
北沢洋子

1.授業料値上げに抗議するケベックの学生スト

 カナダのケベック州は、フランス語圏で、急進的な地域である。2001年4月、ケベック市内で、FTAA(米州自由貿易地域)の首脳会議が開かれた際、数万人がFTAAに抗議して、会場を取り巻いた。これは、米国、カナダ、メキシコのNAFTA(北米貿易自由地域)を米州全域に広げようとするものであった。この時の抗議デモ以後、米国はFTAA構想そのものを放棄した。

2.ケベック政府の回答

 今回は、今年2月17日以来、ケベックの州都モントリオールをはじめとして、全州のカレッシャレ内閣の教育相、大学の学長、教職員組合の代表、それに学生代表の4者会議が断続的に続けられてきた。そして、最後に22時間というマラソン会談の後、5月6日、ケベック政府が出した回答は、とうてい学生側が飲めない代物だった。

例えば、学生の抗議ストの最大のターゲットだった「授業料の75%値上げ」は残った。その代り、値上げ幅は7年間段階的に執行される。また、奨学金や学生ローンの門戸を少し広げる。また、その返済は将来の収入が担保となる、などであった。

 政府側は、この4者会談を恒常化することを提案した。その臨時の委員会の構成は、学生代表は4人だが、残りは14人、つまり6人の大学学長、4人の教職員組合代表、2人の財界代表、1人の教育省代表と委員長であった。

この委員会は、大学の予算を検討し、削減項目を提案する。予算の削減分は、授業料の軽減に充てられるのではなく、入学費、登録料、スポーツ部活動、技術指導などの削減に充てる。

この委員会は今年12月、あるいはもう1年後までに「勧告」を作成する。その後は条例を定めて、恒常的な委員会となる。しかし、委員会の構成メンバーの多数は、大学に様々な利権をもっており、大学の予算の削減を認める筈はない。したがって、いずれにせよ授業料の値上げは変わらない。

マラソン会議の失敗で、5月14日、Line Beauchamp教育相は辞任した。

この政府の回答に学生は反対した。しかし、何の文章も付けないで、これを学生の投票にゆだねることにした。大多数の学生は「ノー」と答えた。これは、学生ストが要求してきた「授業料の値上げ凍結」に対立し、学生が要求してきた「幼稚園から大学までの無料の義務教育化」とかけ離れているからだ。

3.ストを続行する学生たち

 学生たちはストを続けることにした。そして、今度は高校の学生も加わった。スト学生は、CLASSE(学生労組連帯協会)、FEUQ(ケッベク州大学学生連合、FECQ(ケベック州カレッジ学生連合)という学生組織に所属している。政府は、中でも最も過激なCLASSEを孤立させ、分裂させようと図っているが、この闘争では3組織ともに統一戦線を組んでいる。

 メディアは、「エリートのエゴ」と評して、学生ストを非難した。また学生の中で、「ブラック・ブロック」と呼ぶアナーキストの過激な行動を、あたかも学生全体の運動であるように書き立てた。しかし、これはごくわずかなグループの宣伝行為である。

 また裁判所は、学生と教授たちにたいして、授業を再開せよという命令をだしたが、これは聞き入れなかった。

 また、警察の弾圧にも耐え抜いた。

4.シャレ政権の信用失墜 

 学生たちは、「民営化と利用者負担に反対する連合」など草の根の住民組織の支持を得た。「連合」は5月4〜5日、ビクトリアビルで開かれた与党自由党の評議会会議に対して、大抗議デモを行った。政府がビクトリアビルで開いた理由は、モントリオールの学生デモを避けたためだった。

 しかし、学生ストの最大の弱点は、同州最大の野党組織である「労組」からの支援がないことだった。労組は、本部も支部も「連帯」のメッセージを送り、資金カンパもしたが、ゼネストや一日ストなど経済的に効果のある行動に踏み切っていなかった。

 学生ストが12週目に入ったころ、政府は、学生ばかりでなく、大学教授や大学当局からも、失った学期のどう穴埋めするのかとせっつかれた。そればかりではない。閣僚のスキャンダルが次々と暴露され始めた。それは建設工事をめぐる汚職や、党の不法な資金集め、さらにギャングとの癒着も報じられた。

 また、先住民の組織「First Nations」や環境団体からシャレ政権のPLAN NORD Programmeを批判され始めた。これはケベック州北部に鉱山開発であり、政権の目玉プロジェクトである。

 シャレ政権の「自由党」は、信用を失う前に、まら、左派の「ケベック・ブロック党」と右派のネオリベラル「ケベック未来の連合」によって挟み撃ちになる前に総選挙をすることを考えていた。しかし学生ストが、このような政局をすっかり変えてしまった。

5.モントリオールの大デモ

 5月25日(金曜日)、スト中の学生たちはモントリオールで、大規模なデモを行った。参加者の数は、40万人、「アラブの春」にならって、「メープルの春」と呼ばれた。

 このデモはケベック政府がデモを規制する「第78号法」を制定したことに抗議したものであった。78号法は、50人以上の集会やデモは8時間前にルートを警察に届けなければならない。そしてこれを違反した団体は12万5000カナダドルの罰金が科せられる、という厳しいものであった。ちなみに、同様のデモ規制法は、ジュネーブ、トロント、ニューヨーク、ロサンゼルス、スペインなどの市に施行されている。

 モントリオールの学生のデモは、「鍋叩きデモ」と呼ばれるもので、この日、1,000人が逮捕された。主として、これは、78号法に抗議して、象徴的にデモのルートを外れる、あるいは禁止されているマスクを付けた人びとであった。

 学生のデモに対して、「カナダ労組会議(CLC)」が支援に乗り出した。これは、学生の闘争と労組との連帯の始まりであった。また「ケベック・ブロック党」Gilles Duceppe前代表はデモに参加して、「シャレ首相は学生たちとの対話を再開しろ」と語った。

 ケベックの学生ストを支持する国際連帯デモがニューヨーク、トロント、バンクーバー、パリで行われた。マスメディアは、100日にわたるケベックの学生のストについては、あまり報道しなかった。しかし、これが、マドリッド、ニューヨークの占拠運動につながった重要な闘争であることは言うまでもない。