世界の底流  
革命の風が吹くモルドバ

2012年4月
北沢洋子

 現在、モルドバで起っている革命的潮流は、市場経済に移行した旧ソ連圏の連邦共和国の中で注目すべき動向だと言われている。
 モルドバは、ルーマニアとウクライナに挟まれた内陸国で、資源のない貧しい小国である。ソ連邦時代は、モルドバ・ソビエト社会主義共和国と称していたが、ソ連邦解体後の1990年に独立を宣言した。そして、94年に新憲法が制定されると、「モルドバ共和国」となった。
 2001年から2009年に到るまで、モルドバ共産党のウラジミール・ボロニン第1書記が大統領であった。ボロニンは旧社会主義国の中で、選挙で当選した唯一の共産党の大統領となった。
 しかし、モルドバ国民は、共産党政権に大いに不満であった。まず、左翼勢力は、共産党の社会改革が“ブルジョワ”民主主義に変わらないことに怒っている。一般の市民は、共産党政権の官僚主義と腐敗に怒っている。また、右翼は、共産党が与党であることをはじめとして、すべてに怒っている。
 モルドバの選挙民は、ボロニン政権の8年間に飽き飽きした。政府は、戦略的計画も、ビジョンもなく、単に有能な行政機関になってしまった。政府内部でも同じような不満が出てきた。たとえば、大統領府のMark Tkachuk 官房長官は、「私は、プーチンを大統領に仕立てあげたクレムリンのイデオローグのウラジスラフ・スルコフみたいな気分になってきた」とこぼした。
 その結果、2009年の総選挙では、右翼政党の連合「ヨーロッパ統合同盟」が勝利した。モルドバは全く生まれ変わったようだった。人びとは、大規模なデモもなくして、共産党も、ボロニンも追放できたと思った。
 しかし、事態は逆の方向に展開した。右翼政権になって3年後、人びとはボロニン時代にノルタルジーを感じはじめた。ボロニン共産党政権は、平均月給を20ユーロ(約3,000円)から300ユーロに賃上げした。社会保障の予算が増え、政治機構は安定した。政府は、鉄道を敷き、ダニューブ川に港を建設した。その結果、経済成長を実現した。勿論、1990年にモルドバから分離独立したドニストル紛争は未解決だが、戦争の危険はなくなった。
 共産党政権の後を継いだ右翼連立政権は、無能な、かつ無責任な行動により、現状を向上させるどころか、かえって危機を深化させた。無責任なバラマキ政策は財政危機を招いた。その結果、増税になった。資本投資や需要は激減し、政府債務は急増した。政府は予算不足の結果、学校や病院を閉鎖した。これは、現在ギリシアなど南ヨーロッパを襲っている債務危機と同じである。
 さらに、右翼連立政権は、3年間、ついに大統領を選出することが出来なかった。現在は国会議長が臨時の大統領職を兼任している。
 今年3月16日の大統領選では、弁護士のNicolae Timofti1人が候補者だったが、最後の瞬間に辞退した。しかも投票時間を午後3時からこっそり午前8時に変更した。これに怒った数千人が国会を取り巻いた。
 一方、共産党は、右翼連立政権時代に、中道派が右翼に転向した。その結果、共産党は若返り、同時に左翼化した。明らかに、共産党は、街頭活動にシフトしたようだ。首都キシナウでは、数千人が赤旗を掲げてデモをした。地方選では、共産等が勝利した。全ての地方に、共産党支部が組織され、それが、「市民議会」となり、オルタナティブな行政機関になっている。 モルドバ共産党は、5月1日のメーデーに、キシナウで大規模なデモを企画している。
 モルドバで起っていることは、現在先進国で起っている「オキュパイ」運動と連動している。これが、東欧の旧社会主義国にどのような影響を及ぼすだろうか。