世界の底流  
パレスチナのハマスがシリアと決別

2012年4月
北沢洋子

 さる2月20日、パレスチナのハマスがシリア政府と断絶した、これは、長い間、シリアがハマスを支援してきたことを考えると、唐突な行為だった。
 この出来事は、ハマスが反イスラエル闘争において、非暴力な戦術に移行するのではないかという予想される。いずれにせよハマスは国際的に「テロ組織」のレッテルを貼られているが、実際は、パレスチナ地域の意すら言えウに対する抵抗運動の1つである。
 これまで、ハマスはシリア各地に事務所を置いていたが、そのすべてのスタッフをエジプトとカタールに移した。ということは、今後ハマスはエジプトのイスラム同胞団やカタールとの関係を深めていくだろう。これは「アラブの春」に触発されたと考えられる。そして、シリアとイランとの関係は冷えていくであろう。
 レバノンの左翼新聞「as-Safir」紙は、これを、「シリアのアサド大統領とハマスのリーダーで、パレスチナ自治政府の首相(アッバス議長に解任された)Ismail Haniyeh との間の内部対立だが、中東「地域の政治に大きな影響を及ぼす」とし、「ハマスは、これまでシリアがパレスチナの抵抗運動に支援してきたことを確認するとともに、現在、中東で起こっている革命に大きな関心をもっている。 独裁政権が倒れ、新しいイスラム運動が前進していると見ている。しかし、このプロセスは長くかかるだろう」、また「ハマスはシリアで起っていることに、心を痛めている」と報道した。
 このように、ハマスのシリアに対する政策が変化した理由は、中東諸国の中に大きな政治的潮流が起っていることを認識したからであった。そして、イスラム運動が台頭していることも認めた、
 一方ハマスは、ヒズボラとイランとの関係を続けると言っている。ハマスのIsmail Hanyiyeh は昨年、イランを訪問し、イランのイスラム革命の記念行事にも参列した。