世界の底流  
ナイジェリアのガソリン高騰に抗議のゼネスト

2012年1月26日
北沢洋子

1.ゼネストの背景

去る1月9日(月曜日)、ナイジェリア最大の1千万都市ラゴスで、政府のガソリンに対する補助金廃止に抗議して、ゼネストに入り、10万人が街をデモした。この日は朝5時からコミュニティの人びとがバス停ごとに集まり、焚き木やバリケードを作りはじめた。ナイジェリアでは唯一の公共運送機関であるバス会社が、ガソリンの値上げを口実にして、運賃を値上げしたことに対する抗議行動であった。

ナイジェリア第2の都市カノや首都のアブジャでもゼネストは成功した。

政府の補助金廃止によって、ガソリン価格が1リットル当り65ナイラ(45セント)から140〜200ナイラに跳ね上がった。その結果、食糧、運賃、電気・水道など生活必需品が軒を並べて高騰した。産地からマーケットまでの運送費が高くなったため、ミネラル水、玉ねぎ、干鱈、唐辛子、西瓜などの値段が2倍になった。

ラゴスに住むある労働者は、日給3ドルを受取っているが、その中で、交通費に1ドル支払えねばならない。このように運賃の値上がりは、貧しい労働者を直撃している。

ナイジェリアの電力公社は、停電が多い。したがって、人びとはガソリンのランプに頼っている。ガソリンが値上がりすれば、灯りも奪われる。

一方、給料は据え置かれたままだ。とくに地方政府の公務員は、政府が決めた最低賃金の18,000ナイラすら受取っていない。

以上のことが、ナイジェリアで新年早々、ゼネストとデモが起こった理由であった。

2.ゼネストの状況

ガソリン価格への補助金廃止は、今年の元旦から施行された。早くも1月2日には、この政府の措置に対して、ラゴス、カノ、アブジャなどで公共施設の占拠が始まっていた。

これは、明らかに昨年の「アラブの春」、そして米国やヨーロッパで起った公有地占拠闘争がアフリカでもはじまったことを物語っている。

9日、無期限ゼネストを呼びかけたのは、「ナイジェリア労働会議(NLC)」と「ナイジェリア労働組合(TUC)」の2つの全国労組センターであった。さらに何百人もの医師や弁護士たち中産階級の人びともストに参加した。医師たちは、治安警察の弾圧に備えて臨時の診療所を設けた。音楽家たちも、ラゴスの中心部にあるガウィ・ファウェヒンミ公園に集まり、演奏した。

この日は、商店やマーケット、オフィスはすべて休業となった。学校も閉鎖された。ラゴス空港もデモ隊によって占拠された。幹線道路をはじめコミュニティに通じる道路はすべてデモ隊によって封鎖され、国中のガソリン・スタンドは休業に追い込まれた。1月3日、「共同行動戦線(JAF)」の座り込みを妨害しようとしたナイジェリア最大の特急バス会社「BRT」も、9日のゼネストの日には休業に追い込まれた。

カノでは、デモ隊は、ラミド・サヌシ中央銀行総裁の家を取り囲んだ。さらに、市の中心部の広場を、エジプトのタハリール広場に倣って、「解放広場」と改名した。

9日の夕暮れ時になって、警察が弾圧をはじめた。デモ隊に向かって、催涙弾と実弾を発射した。その結果、少なくとも20人が死に、数百人が怪我をした。しかし、治安警察の弾圧は、デモの鎮圧どころか、より一層運動を高める結果となった。ゼネスト2日目の1月10日には、50万人がガウィ・ファウェヒンミ公園に集まった。

3.ガソリン価格高騰の謎

ナイジェリアは、サハラ以南のアフリカでは、最大の産油国である。原油の輸出量では、クエートやイランと肩を並べる世界6位である。では、なぜ産油国ナイジェリアで、ガソリン価格が高騰したのだろうか。

かつて、ナイジェリアはカカオ、パームやし、砂糖きびなどの世界有数の生産国であった。しかし、50年代、石油が産出されるにつれて、これらの産業は衰退し、現在では原油の輸出に95%も依存している。

独立後の60年間、ナイジェリアは独裁政権と腐敗が続いた。その間、石油の輸出代金は、エリートたちに簒奪され続けてきた。その結果、ナイジェリア人口の4分の3は、1日1ドル以下の貧困を強いられている。

さらに4カ所にある老朽化した国営精油所は放置されたままになっている。したがって、産油国であるにもかかわらず、電力と運輸用のガソリンを輸入に頼っている。これまで、高い輸入ガソリンに対して、政府は補助金を出して、価格を抑えてきた。貧困層にとって、これが豊富な石油から受ける唯一の恩恵であったと言えるだろう。しかし、この補助金で最も儲けているのは、ガソリンの輸入業者である。

政府のガソリンへの補助金は、11年、74億ドルにのぼった。政府はもはやこのような補助金を払いつづけることはできない、と言った。しかし、シェル石油1社だけで、昨年は80億ドルの利益を上げた。09年、国際通貨基金(IMF)はナイジェリア政府に対して、ガソリンに対する補助金を廃止することを要求した。IMFはこれを「重要な最初の措置」だと位置づけた。

ナイジェリアで石油を採掘しているのは、外国企業である。ナイジェリア政府は、10年、690億ドルにのぼる石油収入を受取った。しかし、その大半は閣僚や政治家の横領や詐欺行為によって消え、さらにその80%が、人口の1%のエリート層に独占されている。このような事実にもかかわらず、IMFが補助金の廃止を要求するのは、人びとの怒りを買うだけだ。

4.政府が補助金の一部廃止中止を発表

ナイジェリアで最も重要な労組である「石油・ガス上級職員労組(PENGASSAN)」は、2万人が加盟しているが、1月13日、「ゼネストに参加し、1月15日(日曜日)の午前零時を期してすべての原油の生産をストップする」という声明を出した。もし、石油産業の労働者がストに入れば、石油の国際価格を10〜20ドル押し上げることになるだろう。もはやナイジェリア一国にとどまらず、世界的な原油高騰をもたらすであろう。

政府も2大全国労組センターも、ともに事態の収拾に乗り出した。労組側は「14、15日の2日間の休日中はストを中止して、政府と交渉を開始する」と発表した。

そして、14日、ジョナサン大統領は、国営テレビに出て、「ガソリン価格をリットル97ナイラ(60セント)に引き下げる」と発表した。しかし、これでは、元旦以前の45セントに比べると高い。この政府の発表を受けて、2大労組センターは、スト中止を決定した。

ジョナサン大統領は、閣僚の給与を25%カットし、政治家の外遊費を削減する、と公約した。同時に、オコンジョイウェアラ蔵相(昨年7月まで、世銀の専務理事)は、補助金廃止で浮いた資金を、妊婦の健康保険、鉄道インフラ整備、そして、ガソリンでなくジーゼル・バスの導入を早める」ことを約束した。

では実際に、廃止になった補助金は何に使われるだろうか。大統領は、新規に「補助金再投資・エンパワーメント・プログラム(SURE)」を設立した。これは、補助金が最後には大統領や閣僚たちの銀行通帳に振込まれるのを、隠すためだ。事実、閣僚たちの子弟の多くは欧米に留学している。そして、SUREの委員長には、ナイジェリア有数の金持ちが就任した。

5.ナイジェリアの地政学

ナイジェリア歴史上はじめてのゼネストに加えて、これまで、ナイジェリアは、多くの国内紛争を抱えてきた。石油の埋蔵は、南部のニジェール河口のデルタ地帯だが、すでにここで、年間300件以上の石油流出汚染事件が起こっている。その中では、流出が広範囲にわたっており、コミュニティや村ごと移住を余儀なくされたものもある。

10年12月には、シェル石油が1998年以来の大掛かりな石油流出事件を起こしたが、全く罰金を支払っていない。その上、石油採掘にあたって噴出するガスを燃やしている。これは、ナイジェリア政府の法律でも禁じられている行為だ。

これに対する住民の対抗は激しい。そのため、ナイジェリア政府は、2012年度予算の25%を治安対策に充てている。ガソリンの補助金廃止については、緊縮財政のせいだといっておきながら、治安対策費は聖域になっている。

米国も、ニジェール・デルタの油田を守るために、露骨な軍事介入を行なっている。08年には、米軍(AFRICOM)は、ナイジェリア政府の崩壊を想定して、いかにニジェール・デルタを守るかという、軍事演習を行なった。

また、オバマ政権になって、「テロとの戦い」と称して、「Boko Haram」との戦いという第2のフロントを開いた。これは、1990年、ナイジェリア北部に生まれた「イスラムのシャリア法の実施」を要求するグループである。米国は、アルカイダと関係があるといっている。これが、ナイジェリア政府にとって脅威になるか疑問である。さらに、専門家は「Boko Haram」が存在することすら疑っている。