世界の底流  
 ポルトガルの労働者の史上最大のデモに続くゼネスト

2012年3月17日
北沢洋子

  スペインやギリシャでの緊縮政策に抗議するデモやゼネストに関しては、マスメディアもソーシャル・ネットでも、よく報道されるが、同じく社会党のソクラテス政権によって、緊縮最策が実施されてきたポルトガルの反緊縮政策の闘争についての報道は殆どない。
  ポルトガルでは、緊縮政策が左翼政権の手によって強行され、その左翼政権が選挙で大敗し、保守党政権によって本格的な緊縮政策が実施されている。この点においても、ギリシャやスペインと同じパターンである。

1.歴史的なデモとスト

  今年2月11日、土曜日、ポルトガルの最大の労組のナショナル・センターである「CGTP(ポルトガル全国労働総同盟−共産党系)」の呼びかけで、労働者、年金生活者、青年など30万人が、首都リスボン街を埋め尽くした。これは、「トロイカ」と呼ばれるポルトガル右翼連立政権、EU,IMFの3者が強行している緊縮政策に抗議するもので、サラザール独裁政権を倒した70年代の革命以来、32年ぶりの大規模な反政府デモであった。
  緊縮政策は、ポルトガルの経済と社会を限りなく「ギリシャの道」に追い込み、大量の貧困層の増大と大量の破産を生み出している。
  この歴史的なデモに継いで、CGTPは3月22日にゼネストを行なうと発表した。間違いなく、労働者、市民たちは、オルタナティブを求めるなかで、現行のシステムを根底から揺さぶっている。
  赤い旗と横断幕の海が、市の中心部を埋め尽くした。オルタナティブな政策を求める声が、リスボン中に響きわたった。人びとは「街頭と職場で闘争を続けるぞ」と叫んでいた。
確実に、闘争は過激化している。緊縮政策がそれを早めている。
  2011年に発表された多くの経済・社会のデータは、恐るべきものがあった。大量の失業が発生している。物価は上昇する一方だ。そして、緊縮政策が導入されるたびに、事態は悪化する。昨年の企業の倒産件数は前年を2倍も上回った。
  大量の失業の発生が、ひ弱な中産階級を脅かしている。メディアは盛んに、生活費の値上がりが、破産者を生み出している例を連日、報じている。2011年、25%外資がポルトガルから逃避した。
  「国家債務支援局(GAS)」への申請者の圧倒的多数は大学出であり、月収は1,500ユーロである。このことは、格差が急速に広まりつつあることを示している。
  2010年、ポルトがルは、皮肉にも「社会党」と名乗るソクラテス首相のもとにあったが、「安定成長計画(OECs)」というふざけた名の緊縮政策を実施した。最初、ソクラテス首相は、EUの「Bailoutは要らない」と言っていた。「すべてコントロールしている」と言い続けてきた。しかし、最後にはEUから200億ユーロの救済融資を受取った。
  EUのポルトガルに対するbailout は失敗したと見られている。ポルトガルは、債務を減らすため、そして金融市場を宥めるために、約1年にわたって残酷な緊縮政策を実行してきた。しかし、現在でもポルトガルは、その債務に3倍のリスク・プレミアムを払わせられている。
実は、ポルトガルのゼネストは、2010年11月に起っている。続く2011年3月、30万の青年が、街頭デモを行なった。これは「Goracao a Rasca(流れるイメージ) 」と呼ばれる抗議デモであった。これがソクラテス政権の崩壊につながった。
  ソクラテス政権の退陣後、抗議運動は一時的に下火になった。しかし、新しい右翼連立政権は新しい抗議運動に見舞われることになった。昨年10月15日、10万人の青年がデモを行なった。これはスペインの例にならって、「15−O」と呼ばれる。これには、デモのほかに、各地で「ポルトガル風Indignados 」「Occupy」「Anonymous」と名づけられた闘争も含まれる。
  ポルトガルにこのような青年の「15−O」運動が発生したのは、労働運動の沈滞化が理由にあった。しかし、右翼連立政権の誕生とともに、CGTPに新しい闘争的な指導部が選出され、2011年11月24日のゼネストへとつながっていった。
  しかし、青年のデモも労組のストも、民主主義の条件である「若いプレカリアート」「労働者、青年と失業者の団結」といった課題をまだ解決していない。
  ポルトガル政権の悩みは、青年や労組のデモやストだけではない。それは、軍隊の下士官協会の賃金切り下げや、訓練の変更に対する不満である。最近、国防省と下士官協会との間の「言葉による戦争」とも言うべき紛争が起った。下士官協会が「抗議をする権利」を要求する書簡を国防省に送ったのであった。