世界の底流  
忘れられた「アラブの春」エリトリアと西サハラ

2012年2月13日
北沢洋子

その1.エリトリア

求む「アラブの春」

 エリトリアは、91年5月、エチオピアからの独立を宣言した。エチオピアに対して民族解放闘争を展開してきた「エリトリア人民解放戦線(EPLF)」は「エリトリア民主正義人民戦線(PEDJ)」と改名したが、一党独裁制を確立した。憲法は制定されたが、未だに施行されていない。そして、議会はPEDJ の中央委員とPEDJ が指名するものに限られている。
 キリスト教のエチオピアと異なり、エリトリアはイスラム教である。第2次世界大戦中は、エチオピアを植民地にしていたイタリアから奪って、英国の保護領であった。戦後、エチオピアはエリトリアを併合した。これに対して、EPLF が民族解放運動を展開してきた。
 エリトリアは、アフリカ最大の「オープン・エァ刑務所」と呼ばれている。エリトリア国境の外の世界をまったく知らない。北アフリカの「アラブの春」が世界中の注目を集めているのに、エリトリアでは、チュニジア、エジプトの「アラブの春」、そしてリビアやシリアの民衆蜂起について、誰も知らされていない。「国境なき記者団」によると、エリトリアは人権侵害では、最下位、最悪の国であると、非難している。
 ブルセルに本部を置く「ヨーロッパ対外政策アドバイザー(EEPA)」のNiriam van Reisen 所長(同時に彼は、「国際エリトリア難民委員会の委員である」は、「EUはエリトリア向けに何百万ユーロもの援助資金を用意しているが、今、緊急に必要なことは難民の支援である。難民はスーダン、南スーダン、リビア、エジプト、イエメンなどで満員の難民キャンプにいる」と言い、「エリトリア人の受けている苦痛は、リビア、チュニジア、エジプト人たちよりもひどい」と語った。
 エリトリアの人口はおよそ500万だが、1991年以来、Isaias Afewerki 大統領の独裁支配も下に置かれてきた。独裁政権は、国境に地雷を埋めており、また国境警備隊に脱走者を無差別に撃つことを許している。したがって、国外に出ることはとうてい不可能である。
 Daniel Bekeleヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)のアフリカ担当は、2011年、「エリトリアはアフリカの北朝鮮である。そして、毎月平均3,000人が国外に脱出している。この数は人口に比例すると、世界ではトップ3国に入る」と語った。彼らは、捕まると、裏切り者として、投獄される。
 エリトリアでは、子どもは学校に通っている最中に軍隊に徴兵される。その機関は10年以上続く。
 このことは女性にも当てはまる。女性の一部は、将校たちの性奴隷にさせられる。エリトリア軍は不釣合いに大きいので、畑で働く労働者が少なくなっている。その結果、エリトリアでは食糧が不足している。
 Afewerki 大統領は、「民主的」のフリをしようともしない。エリトリアには、憲法は棚上げされているし、議会もない。政党は、「PFDJ」しか許されない。党に対する批判は禁じられている。2001年、「民主化」を要望した閣僚はすべて消えてしまった。ジャーナリストやキリスト教徒などは迫害を受けている。
 政治犯の中で、最も有名なのは、スエーデン生まれのエリトリア人作家Dawit Isaacisである。彼は、 2001年9月以来、獄中にいるが、同時に、8つの独立紙が閉鎖された。HRWはIsaacis 投獄10周年を迎えた2011年に、大統領にIsaac の長期の投獄から釈放すべき」だとし、少なくとも「彼の家族の面会と、国際調査団の査察を許可すべき」だと要求した。エリトリアは28人のジャーナリストが投獄されており、人口1人当りではイランについで多い。

その2.西サハラ

 1975年、旧スペイン領サハラは独立した。スペインのサハラからの撤退が、ひどい混乱の中で行なわれたため、直ちにモロッコ軍による侵略をうけ、今日に到るまで、占領されている。モロッコは独立国を侵略し、占領するという2つの重要な国際法違反を犯している。 西サハラは、アフリカの中で、非植民地化されていない唯一の国である。国連は、西サハラ問題を国際司法裁判所に提訴した。その判決は、「モッロコは西サハラを領有する法的根拠を持っていないこと、及び、西サハラの住民は西サハラの正当な所有者である」であった。国連はこれにしたがって、一連の「自治権確立のプロセス」を作成した。モロッコは、住民投票が行なわれれば、人びとは独立を選ぶということを知っているため、この判決を拒否している。
 モロッコは、占領地の周りに「Berm(恥じの壁)」を築いた。 西サハラの住民は、民族解放運動「Polisario Front」の下で、36年間モロッコの占領と戦ってきた。
 しかし、メディアの沈黙と、国際世論の力が足りないために、国連はその委任された事項を執行できないでいる。しかし、すでに80カ国が西サハラ「サハラウィ・アラブ民主共和国(SADR)」を承認している。そして、「アフリカ連合(AU)」の設立当時からのメンバーである。
 西サハラでも若者たちや大学学生などが、他のアラブ諸国と同じように、YouTubeやFacebokなどで「自由、独立を要求」し、そして、「誘拐による行方不明、長期にわたる投獄、不法な裁判、モロッコ治安警察による拷問などの廃止」を求めている。
  青年たちは、これらソーシャル・ネットワークを駆使して、占領地、占領地外のPolisario地域)、そしてアルジェリア側の難民キャンプと連絡を取っている。とくに闘いの動画などは、孤立を破る作用をしている。