世界の底流  
モスクワの反プーチンのデモ

2012年2月11日
北沢洋子

1.モスクワの反プーチン・デモ

 昨年12月10日、ロシアの首都モスクワのBolotnaya広場で、1991年のソ連崩壊以来、最大規模の反プーチンのデモが行なわれた。これは、野党勢力が結束して呼びかけたもので、「プーチンの退陣」を求めたものであった。この数は5万人に上った。プーチン政権下では考えることの出来なかった規模であった。
 つづいて、12月24日土曜日、再び大規模な「反プーチン」デモがモスクワを席巻した。2度目は、警察の発表では3万人、主催者発表では12万人に達した。これは、主催者側の予想を大きく越えた。とくに、この日は、ロシアでは冬休みの最中であり、当日は曇り空の極寒というデモには悪条件が重なっていたので、前回を下回ると予想されていた。
 デモ参加者は、いまや抗議の象徴となっている白い風船やリボンを手にしていた。デモは、モスクワのクレムリンや官庁街を埋め尽くした。とくにクレムリンが反政府デモのターゲットになったことは、十年間ぶりのことであった。

2.不正選挙に対する怒り

 デモ参加者に共通の要求は、「選挙制度の改革」であった。これは、メドベージェフ大統領が「統一ロシア」の大統領候補だった頃からの公約であった。彼は大統領になってから、一応、改革に着手したが、とうてい満足のいくものでなかった。
 とくに、12月4日の下院選でのプーチン派の不正はひどかった。U-Tubeに載った動画サイトによると、投票所の責任者が投票用紙を偽造、同じ人が複数の投票所で投票、投票前に「統一ロシア」と書いた投票用紙を投票箱に入れる、など不正行為があった。そして、これら不正行為の調査は遅々として進まなかった。人びとの怒りは沸騰点に達した。
 これらの不正行為にもかかわらず、「統一ロシア」は過半数を取れず、70議席を失った。
 2期8年という憲法の規定で、1期間メドベージェフに譲って、首相となったプーチンが、今年3月の大統領選に再び立候補するという。プーチンは計16年という長期の独裁政権を狙っている。しかし、反プーチン・デモによって、それも危なくなっている。
  とくに、プーチンが大統領に再び立候補するときは、一層大規模なデモが予想される。なぜなら、12月24日のデモが解散した後でも、人びとは「もう一度帰ってくるぞ」と歌い続けていた。とどまらない。参加者は、「医療費の値上がり」、「言論の自由に対する弾圧」、「政治制度の改革」などについて要求している。

3.都市の中産階級の青年たちの反乱

 当日、プーチンはひそかにクレムリンを逃げ出し、翌日、テレビに出て、「デモは、ロシアの混乱を企んでいる外国からカネをもらっている」、そしてデモの白いリボンのことを「コンドーム」と評した。
  しかし、政府の中には、デモの要求を「深刻な警告」と受取っている閣僚もいる。12月24日もデモには、はじめて2人の政府高官が参加した。
  たとえば、20年近くプーチンの側近で、元蔵相だったAleksei I. Kudrin は、マイクを取って、デモが要求する「選挙管理委員会のVladimir Y. Churivの解任」、「議会の解散と再選挙」、「自由な選挙を保証する選挙規則の改革」などを支持した。Kudrin は、デモの当日、ロシアの有力紙『コメルサント』に寄稿し、「政府の職員が大勢デモに参加している」とし、「多くの人はデモに参加するのは初めてだろう。彼らは、自覚を持って、自ら参加している」と書いた。
 プーチンの取り巻きだった億万長者Mikhail D. Prokhorovはマイクこそ取らなかったが、デモに参加して、プーチンの対立候補として大統領選挙に出馬すると語った。彼は、SPもつけず、質問に答えたり、若い女性と一緒に写真を撮ったりした。
 反プーチン・デモでは、売れっ子の推理作家Boris Akuninが、「我々は困難な年を迎えるだろう。しかし、面白くなるだろう。来年は我々の年だ」と語った。
  また、人気のブロガーで、デモの成功に大きく貢献したAleksei Navalny(35歳)は、鳴り止まぬ大拍手を受けた。彼の登壇を1時間以上も要求していた人も多かった。彼は、12月10日の第1回のデモの日は、15日間の拘留刑で、拘置所のラジオを通じて聞いたと言った。「ここにはクレムリンを占拠するには充分な人数がいる。我々は平和的な勢力だ。しかし、泥棒どもが、嘘をついたり、盗んだりし続けるならば、今後も同じような平和的勢力にとどまることはない」と語った。彼は、また、デモの中でプーチンを笑いものにしたプラカードを見て喜んだ。最も多いのは、「プーチンは我々のコンドームだ」、あるいは、サルバドル・ダリ風の絵に描いた時計のなかにプーチンが溶けていて、「お前の時間は終わった」と書いたプラカードを評して「これは誰だ」と聞いた。Navalnyは「これまで、ゾンビ・ボックスの助けを借りて、彼らは、巨大な動物だと我々に信じこませることに成功してきた。しかし彼らはちっぽけなジャッカルに過ぎない。そうじゃないか?」と聞くと、群衆は「そうだ」の大音声で応えた。
 プーチン時代にモスクワに住んだことがある人にとって、12月10日の反プーチン・デモは大きなショックだった。無表情な警官が見守る中で、5万人のデモは、まるで北極のオーロラを見たようだった。

モスクワの反プーチン・デモをどのように評価するのか。

 クドリン元蔵相は、リベラル層の受け皿となる新党構想を企画している。一方、マスメディアは反プーチン・デモを「台頭する都市部の中流層の声が政治に反映されないことに怒っている」と書いている。
 都市の中流層、特に若いプロフェショナル(自由職業人)は、これまではインターネット上にのみ存在していたが、今回のデモによって、突然、彼らが臨界量に達した人数(Critical Mass)として実存することを証明した。そして、これらの人びととクレムリンとの関係は一変した。
  しかし、伝統的にロシアの指導部は、このような抗議に対処する方法を知らない。デモは、弾圧やカネで解決できる範囲を超えている。その意味ではロシアは西側国家になったのである。ロシアはヨーロッパではないという説があるが、「ロシアはヨーロッパである」。