世界の底流  
エジプト大統領選挙の結果とその後

2012年7月13日
北沢洋子


1.ムルシ大統領の軍と裁判所に対する挑戦
 7月8日、エジプトのムルシ大統領は、人民議会に対して活動再開を命じる大統領令を出した。これは、さる6月、議会の解散を命じた軍最高評議会と、「議会選挙の一部に違憲行為があった」との裁定を下した最高憲法裁判所に対する挑戦であった。
 7月10日、議会が召集され、ムスリム同胞団のエルカタニ議員を議長に選出した。これはわずか数分で終わった。
 今までのところ、軍も裁判所も動きを見せていない。ムルシ大統領は6月25日に就任したばかりであり、今後の展開を論じるのは難しい。

2.ムスリム同胞団の大統領誕生

 エジプトでは、1年半前、民主化を要求してタハリール広場に集まった100万人の非暴力のデモが、30年以上続いたムバラク軍事独裁政権を打倒した。これは「アラブの春」と呼ばれ、北アフリカと中東の政治地図を根本的に塗り替えた。エジプトは、歴史上はじめての自由選挙で大統領を選出した。これで、ようやく「民主化」への1歩を歩み出したかに見えた。
しかし、新大統領に就任したムルシ氏はイスラム勢力を代表する「ムスリム同胞団」出身であった。これは、「アラブの春」を実現させた世俗的な青年たちではない。いわばムスリム同胞団は遅れた参加者である。
 もっと遅れた参加者は国軍であった。にもかかわらず、ムバラクが退陣した後の政治空白を埋めたのは、タンタウィ元帥が率いる「国軍最高評議会」であった。
 最高憲法裁判所の判事は前ムバラク政権時代に任命されており、反ムスリム派であることは確かだ。この裁判所の違憲判決と同時に、軍は議会の解散を命じた。

3.ムスリム同胞団とは何か

 「アラブの春」の青年たちの戦いは、デモと占拠という直接行動を非暴力で貫いた。彼らの武器は、フエイスブックや、ツイターなどソーシャル・ネットワークで、伝統的な党や組織ではない。
 これに対して、モスレム同胞団は、1928年に誕生した古い組織である。長い間、非合法を強いられた結果、貧しいコミュニティで、子どもに読み書きを教えたり、クリニックで診療したり、マイクロ・クレジットに先駆けてお金を貸したりするNGOに似た活動を続けてきた。ムバラク時代は、無所属で8人の議員を当選させてきた。20%台の得票率を持っているといわれた。革命が成就した後、権力を持つのは、生命をかけて戦った人びとではなく、党や組織だということは珍しくない。まさにエジプト革命はその例である。
 ムスリム同胞団の歴史は華々しいものであった。戦前のイギリス統治下では、敵の敵であったナチと手を結び反英地下活動をした。そのリーダーは後のサダト大統領であった。そのサダトはイスラエルと和平協定を結んだ後、同胞団の過激派に暗殺された。
 現在、エジプトのムスリム同胞団は議会主義を謳っている。必ずしもそうではない。例えばガザのハマスのように、ムスリム同胞団出身の故ヤシン師によって創設されたが、パレスチナ解放のために独自で武装闘争を行なっている。
 マスコミは、「穏健派」と読んでいるが、同胞団を一概に規定することは出来ない。ただ、イスラム主義を掲げていることは確かだ。このイスラム主義と革命推進派の青年たちの民主主義とどう折り合うのだろうか。また、エジプトでは少数派であるコプト・キリスト教徒や、女性の権利などをどのように扱うのか、見ていく必要があるだろう。
 現在、ムルシ政権の任期は「完全な民政移管まで」という不確定である。また、軍最高評議会が、国家予算、立法権など大統領と議会の権限を握っている。これもまた、見守っていく必要がある。

4.エジプト革命と中東情勢

  エジプトにムルシ政権が誕生したことは、中東の政治地図と米国の対中東政策に大きな地殻変動をもたらした。ムルシ氏が米国留学歴を持っているとはいえ、ムバラク時代のように、多額の軍事・経済援助を注ぎ込んで、イスラエルとともに中東における米国の橋頭堡であり続けることはないだろう。
 ムスリム同胞団は、パレスチナのハマスと良い関係にあり、ハマスと主流派のファタハとの仲介を進め、パレスチナの統一と解放に努力するだろう。一方、ハマスは、これまで支援を受けてきたシリアや、シリアを通じてイランとの関係を続けることが出来なくなっている。今年2月2日、ハマスは、シリアのアサド政権と決別し、以来、反体制派と友好関係にある。ムルシ大統領の誕生でエジプトがパレスチナ解放の主導権を握る日が近いかもしれない。
 また最近、中東でイスラム勢力の中心的存在となってきたのは、トルコである。2年前、トルコのガザ支援NGOの船団がイスラエル軍に襲撃されたことで、トルコ政府はイスラエルとの対決姿勢をとってきた。一方、トルコのエルドリアン首相は、イスラム主義の「公正発展党(AKP)」を率いている。AKPは、ムスリム同胞団と良好な関係にある。米国とイスラエルの枢軸と、エジプトとトルコの枢軸が中東で対決するかも知れない。