世界の底流  
セネガルのラップ・スターが反政府運動を指導

2011年9月25日
北沢洋子

  「アラブの春」革命は、「黒いアフリカ(サハラ以南のアフリカ)」に飛び火したようだ。それは、セネガルの首都ダカールで、ワッド大統領の巨額の無駄使いに対する抗議のデモという形をとった。   セネガルは、落花生や綿花などの「モノカルチャー(単一作物生産)」に依存する貧しい国である。しかし、「Ibrahim Index of African Governance」によれば、全アフリカ54カ国の中で、ガバナンスせは、第10位を占めており、政権の統治や腐敗に関しては比較的良いほうであった。
  現大統領Abdoulaye Wade(ワッド)は、2001年2月、大統領選に勝利した。このとき、セネガルが、選挙で平和的に政権が交代したというので、米国やヨーロッパから賞賛された。ワッド大統領は、2007年に、再選をはたした。
  セネガルの憲法は、大統領選挙は、5年毎に開かれ、任期は2回となっているが、現在自称85歳という高齢にもかかわらず、ワッド大統領は、2012年2月に予定される3期目の大統領選に出馬するため、それに自分が当選しやすくするために、得票率を50%以上となっているのを、25%と当選のハードルを低めるために、憲法の改正を目論んだ。
  ワッド大統領に対して、「Y’ En A Mare (もう沢山だ)」運動が起こった。BBCによれば、この運動を呼びかけたのは、ステージ名Thiat(「ジュニアー」の意味、本名Cheikh Oumar Cyrill Toure)と、Fou Malade(「クレイジーな病気野郎」の意味、本名Malaa Talla)というラップ・スターたちであった。
  なぜかと言うと、セネガルには、野党も、反ワッド派のメディアもあるが、政治は全く機能していないからだ。
  「Y’En A Mare」運動 が誕生したのは、今年1月であった。大統領が、首都ダカールを見下ろせる丘の上に、2,700万ドルを投じて,「ルネッサンス」と称する巨大記念碑を建てたり、新しい大統領専用機を外国から買ったりする無駄遣いに怒ったラップ・スターたちが、激しい言葉で糾弾するラップを歌い、大統領の解任を求めた。その呼びかけに呼応して、怒れる若者たちが、街頭デモを始めたのであった。
  これは、今年はじまった北アフリカ・モデルの「政治の季節」が、西アフリカにも及んだと言える。ただし、北アフリカでは、インテリ青年たちが、インターネットを駆使して、革命を起こしたが、黒いアフリカのセネガルでは、ラップ・スターたちの生演奏であったことが、特徴である。
  今年7月26日、警察は、大統領の解任を求める若者のデモの先頭に立ったラップ・スターたちを逮捕した。たちまち、彼らは反政府運動の殉教者となった。Thiatや Fou Maladeの釈放を求めて、大勢のファンが警察署の前に集まった。
  警察は、ラップ・スターたちに「デモの中で、ワッド氏を公に侮辱したのか」と尋問した。これに対して、「90歳の老人は、自分の歳さえ嘘をついている。この国はワッドを必要としていない」と答えた。ワッドは、85歳と言っているが、実際には、90歳である。
  マスメディアと街頭での罵声の中で、警察はラップ・スターたちを釈放せざるを得なかった。
  ラップ・スターの言葉は、野党やメディアに比べて、より直裁、野蛮、全く曖昧さがなく、相手の神経の中枢を突いた。たとえば、「Fou Maladeと仲間のBat’Haillons Blin-D(武装した旅団)」は、「我々は、何でもしゃべるつもりだ」というフランス語のラップを歌った。「政治家は嘘つきの集団だ。カネ泥棒だ。政府はなぜ嘘ばかりしゃべるのか?」と。
  そして、次にセネガルの主要な現地語Wolof で、政府を、伝統的な小さな魚釣りボートに例えて、「ボートは沈んでいく」という題のラップを歌った。また、ワッド大統領について、Fou Malade は「彼のスピーチは、神経に障る」と歌った。
  ラップ・スターたちは、野党の政治家たちのように権力を取ろうという気はまったくない。彼らは、携帯のリチャージ用カードを、街頭で売っているセネガルの貧乏な若者と同じスタイル、つまりボロのTシャツに毛糸の帽子を被っている。
  「Y’En A Marre 」運動は、同じく野党勢力の政治的基盤であるダカールに本拠を置いているが、全く独立した存在である。リーダーたちも、「いかなる勢力にも、買収されない」と誓っている。彼らは、野党を支持しているダカールの金持ち地区ではなく、北部の労働者街Parcelles Assainies地区(皮肉なことに、「清掃済み」の意味)に住んでいる。そこは、街路樹もなく、砂埃だらけで、人びとは山羊と同居している。Fou MaladeもThiat も、ここに住んでいるおり、敬虔なイスラム教徒で、近くの小さなモスクに通っている。
  セネガルでは、ワッダ大統領をはじめ、野党党首も、セネガルのメッカに相当するToubeの宗教指導者に会いに行く。しかし、「Y’En A Marre」運動は、「セネガル政治をToubeで解決することは出来ない」と言って、Toube詣でを拒否している。
  また、「Y’En A Marre」は、「野党は議論ばかりしているが、民衆は誰も聞いていない。今は、議論ではなく、行動するときだ」と主張する。
  ワッダ大統領の報道官であるSerigne Mbacke Ndiaye は、「ワッド大統領以前、1960年の独立から2000年にいたる40年間、前任者は何もしなかったではないか」と反論した。大統領専用機の購入については、「これは、安全保障と国家の尊厳のために必要だ。専用機は大統領の所有物ではなく、セネガルのものだ。それに、セネガル・スポーツ・チームも乗せたことがあるではないか」と語った。
  ワッド大統領は、フランスの新聞『La Croix』紙に「新しい反政府運動の影響」について聞かれたとき、「Y’En A Marreのラップ歌手たちには、自分自身しか代表していない。その証拠に、ダカール以外の地方の青年は無関心だ」と答えた。
  しかし、ラップ・スターたちの影響力は大きい。最近のデモの規模はもはや無視できない。その証拠に、ワッド大統領は、憲法改正を諦めた。
  「Y’En A Marre 」運動は、怒りの中で誕生した。毎日、停電が起こり、貧困が蔓延し、大統領は権力にしがみついている。
  運動は、ラップ・スターたちの友人で、ジャーナリストのFadel Barro (33歳)の薄暗いアパートで誕生した。Barro は、ラップ・スターたちに対して、「みんな、君たちを良く知っている。だが君たちは、国を変えるために何もしていないではないか」と言ったという。この言葉に励まされて運動が始まった。
  Barro は「運動の目標は、単純だ。巨大なルネッサンス記念碑の建設や大統領専用機の購入などを、止めさせる。そして、セネガル人の緊急に必要とするものを優先させるまで、闘う」と言った。