世界の底流  
桃源郷ブータンでマオイストのゲリラ始まる

2011年7月27日
北沢洋子

1.ブータン国王の「国民総幸福(GNH)」哲学

  インドとネパールに囲まれたヒマラヤ東部に位置し、「世界最後の桃源郷」と呼ばれるブータン王国で、毛派共産党(マオイスト)のゲリラが始まった。
  ブータンは、1976年以来、先代の第4代ジグミ・シンゲ・ワンチュク王のイニシアティブによって、「国民総生産(GNP)」ではなくて「国民総幸福(GNH)」を開発の理念として掲げてきた。これは、生産額というモノでなく、人びとの幸福度を発展の測りとする、というユニークな哲学である。
  2004年、第1回GNH国際会議がブータンで開催された。その後、第2回は2006年、カナダで、第3回は2007年、タイで、第4回は、2008年11月、再びブータンで開かれた。
  第4代国王が退位し、2008年2月、第5代ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク王が即位した。このとき彼は、世界で最も若い国王であった。これに先立って、ブータンは絶対王政から立憲王政に代わった。現国王もGNHの哲学を継承している。

2.マオイスト・ゲリラの出現

   このような開明的な国王が率いるブータンで、なぜマオイストのゲリラが始まったのだろうか。それは、隣のネパールではマオイストが政権をとり、インドでは国土の6分の1がマオイストのゲリラ・ゾーンになっているという地政学的な背景があるからだ。
  ブータン共産党(マルクス=レーニン=マオイスト)は、2003年4月22日に設立され、リーダーはVikalpa書記長であった。設立を告げるポスターやパンフレットが、ネパール国内にある国連難民高等事務所HCR)のブータン人難民キャンプ7ヵ所で配られた。
  マオイストは13項目の政治綱領を掲げた。その第1は、「王政の打破」と「民主化」である。立憲王政に代わったといっても、マオイストによれば、それは、単なる「目の洗浄」にすぎないという。さらに、多数党制を認め、難民の帰還と全ての政治犯の釈放を要求している。
  マオイストの武装蜂起は、党設立5年後に南部ではじまった。南部はネパール語を話す人びと多く住んでいる。この地域で爆弾闘争が始まった。
  彼らは、ブータン人である。にもかかわらず、ネパール語を話すというだけの理由で、1990年代、家と土地を奪われ、国を追われ、ネパール領内の難民キャンプで暮らすことになった。
  ブータンの人口は、チベット系が80%、ネパール系が20%で構成されているが、両方ともにブータン国籍である。
  ブータンには自由なマスメディアがないので、マオイストのゲリラ活動の様子は、国外の難民キャンプでの活動を通じてしか知ることができない。ゲリラの活動の中心は文化行事である。まず、キャンプの中での、家の中での会合、出版物の配布、大衆集会、そして、コミュニティを主題とした劇の上演である。また、ヒンズー教のDashainやDeepawaliといった祭りを復活させた。
  マオイストたちは、難民キャンプでと同じような活動が、すでにブータン国内のすべて16Dungkhag(郡)で行なわれているという。これはマオイストの機関紙による情報である。しかし、ブータンのメディアで報道されたことはないので、検証のしようがない。
  2008年1月20日、党中央委員会が、Vikalpa書記長を「日和見主義者」と批判して、除名した。以後、戦闘的なBiratが書記長となり、武装闘争が始まった。
  マオイストは、毛沢東の「農村から都市を包囲する」という戦略に従っている。マオイストは、武装闘争を「守備」「均衡」「攻撃」の3段階に分けている。その第1段階はさらに、「準備」「開始」「連続」の3段階がある。その戦略によると、現在は、第1段階の「準備」から「開始」の域に差し掛かっているようだ。
  疑いなく、ブータンのマオイストはネパールのマオイストからイデオロギー、物質的な援助を受けている。2007年、ネパールのマオイストの週刊誌「Nepal Weekly」にDeepak Adhikariの「ブータンにおける共産主義の出現」という題の論文が載った。ここでは、ネパールのマオイストがブータンのマオイストを援助している実態が記されている。
  それによると、ネパールのマオイストが武器の扱い方をはじめとして、イデオロギー、文化活動など広範囲にわたって訓練していることがわかる。
  ネパール、ブータンのマオイストはともに、「南アジア・マオイスト共産党・運動の調整委員会(CCOMPASA)」のメンバーである。この組織を通じて、ネパールとブータンのマオイストが連携している、ことは間違いない。ネパールの新聞には、難民キャンプ内でのマオイストの集会にネパール・マオイストの代表がゲスト・スピーカーとして招待された記事が載っている。
  ブータンのマオイストがインドのマオイストからの援助を受けていることも間違いない。BBC放送は、2008年11月14日、「インドとブータンのゲリラの関係の暴露」と題する記事を報じた。

3.マオイスト以外の武装闘争組織

   ブータンには、マオイスト共産党ゲリラのほかに、「ブータン統一革命戦線(URFB)」と、ブータン・タイガー勢力(BTF)」という武装闘争を展開しているグループがある。
  URFBは、2008年1月から3月にかけてThempu、Chukha、Dagana、Samtse地区で爆弾闘争を行なった。これは、2008年3月に行なわれたブータンではじめての総選挙に対する警告であった。
  BTFは、共産党の赤旗を党のシンボルとして掲げており、この写真はが、しばしば、ブータンのメディアに載った。彼らは、武装闘争についてのパンフレットを配布したり、ポスターを貼ったりする一方で、「ヒット・エンド・ラン」方式のゲリラ闘争を行っている。
  ブータンにはこのほか、「アッサム統一解放戦線(ULFA)」と「Bodoland 民族民主戦線(NDFB)」という武装闘争組織が拠点を置いている。前者は、アッサムの独立を目指している。アッサムはインドの北東部、ブータンの南に位置するインドの州に編入されている。  ULFAは、1979年以来、武装闘争を展開しており、1990年にインド政府によって非合法化された。
  後者はボドー人の自治区の設立を目指している。Bodolandは、アッサム州内で、ブータンと国境を接する少数民族ボドー人居住区である。このNDFBはブータン国内の南部に30以上の基地を設けていたが、2003年12月、ブータン王立軍によって破壊された。
  これら武装闘争を展開するさまざまなゲリラ組織は、協調した行動を行なっているのではない。また将来、そうなるという兆しもない。しかし、マオイスト・ゲリラの出現は、ブータン王国にとって脅威である。