世界の底流  
反カダフィ派のリビアの首都制圧とカダフィの行方

2011年9月28日
北沢洋子

1.反体制派がトリポリを制圧

 2011年8月23日、NATO軍による空爆の支援を受けて、反体制派(国民評議会)軍が人口200万の首都トリポリを制圧した。この攻撃がはじまったのは、8月20日、預言者ムハメッドのメッカ解放の日に当たる。
 反体制派軍はカダフィの居住地であったトリポリ南部のバーブ・アジジャ地区に進軍し、カダフィの住居を占領した。バーブ・アジジャ地区の占領は、42年間続いたカダフィ政権の象徴的終焉と見なされる。
 2月15日の東部のベンガジでの反カダフィのデモ以来、リビアの内戦は6ヵ月あまり続いたことになる。本来なら、これをもって、反体制派の勝利で終わるのだが、チュニジアやエジプトと異なり、リビアの場合は、カダフィ大佐を捕獲することが出来なかったばかりか、シルトやバニワリード、セブハなどで、カダフィ派の抵抗が続いているので、完全な勝利と言えない。
 8月23日未明、反体制派は、トリポリ攻撃を、「海の花嫁」という市の別名をもとにして、「人魚作戦」と名づけ、トリポリの東170キロのミスラタから、厳しい市街戦を勝ち抜いた、重武装の精鋭軍数千人を船で送り込んだ。これに、2月に反体制派の激しいデモがあったトリポリ東部のタジュラ地区の住民が呼応した。一方、NATO軍は、21日、アジジャ地区を空爆した。このトリポリ攻撃戦は、6時間続いた。市内には黒い硝煙がたちこみ、砲撃の爆音が響いた。その日の正午、バーブ・アジジャ地区は陥落した。
 バーブ・アジジャ地区は、城壁で囲まれた5平方`の地域で、カダフィの住居ばかりでなく、軍事基地でもある。それまで、この城砦は、カダフィの権力の象徴であり、パラノイアのモニュメントであった。これに、ドイツの技術者が設計したといわれる地下シェルターや、逃走用のトンネルが全長30`に及んでいた。カダフィはこのトンネルを使って、トリポリから脱出したと思われる。その他の反体制派軍はトリポリの中心部にある「緑の広場(殉教者広場に改名)」を解放した。
 反体制派軍に逮捕されたといわれたカダフィの次男で後継者と目されていたSeif ak-Iskam elel-Kadafi が、8月23日、突然報道陣が泊まっているRixos luxury ホテルに姿を現した。

2.カダフィ派の抵抗がなかった理由

 反体制派軍のトリポリ攻撃に際して、なぜ予想された政府軍の抵抗も、カダフィが呼びかけた「民衆の抵抗」もなかったのだろうか。
 それは、カダフィ政権が、「議会も憲法もなく、元首もいない」、実態は、「ブラザー・リーダー」カダフィ大佐とその一族による支配、それに秘密警察の暴力によって存在していたからだ。カダフィは、民衆をその暴力によって支配していたに過ぎない。
 また、8月24日付け『朝日新聞』に、パリ政治学院のルイス・マルティネズ教授のインタービュ記事が載っている。それによると、トリポリ攻撃が始まる前、8月14日、チュニジアのジェルバで、政権軍側と反体制派軍側との間に秘密交渉が持たれた。ここで、政権軍の主要幹部が「政権を最後まで支えることはしない」という姿勢を示したという。
 トリポリの政権軍の拠点が難なく陥落したのも、カダフィ大佐を支持する勢力が親衛隊と出身部族に限られていたからではないか。また、NATOによる軍事介入の長期化が懸念されるなかで、参戦国が戦況の進展を強く望んでいたことも、反体制派軍のトリポリ攻撃を後押ししたのだろう、と言っている。

3.トリポリ政治犯刑務所を解放

  9月29日、トリポリ南部にあるカダフィ政権の政治犯収容所、アブ・サリーム刑務所付近で、1,300人の虐殺事件の跡が見つかった。これは、1996年、刑務所の待遇改善を求める受刑者が暴動を起こし、これに対してリビア治安部隊が1、300人を殺害して、鎮圧したという。カダフィ政権はこれを否定してきた、 リビア東部のベンガジでは、今年2月、この虐殺事件の遺族の代理人弁護士が拘束されるという事件が起こった。これにたいして、2月15日、遺族らが釈放を求めて抗議デモを行なった。このデモがやがてカダフィを権力の座から追い落とすことになった。
 この刑務所の政治犯は、8月下旬反カダフィ部隊がトリポリを進攻した際、解放された。

4.カダフィ後の国際政治

 国連はNATOに対して、「市民を守るための介入」の権限を与えた。トリポリは陥落し、市民に対するカダフィ派の軍事支配はなくなった。にもかかわらず、NATOは、「カダフィを探し出まで作戦を続ける」と言っている。
 とくに、今回のNATO作戦の中心人物であった英外相ハーグは、「NATOの外交的、軍事的役割は終わっていない」と言った。またフォックス英国防相は、「NATOは情報収集・偵察機器を反体制軍に提供し、彼らがカダフィの居所を突き止めることを援助していく」と語った。そして、安保理事会において、カダフィを支持している南アフリカに対して、「世界がアパルトヘイトの廃止にどれほど努力したか。今は世界が一致して、リビアの人びとを支援する時だ」と圧力をかけた。
 8月24日、緊急の国連安保理を開催した。米国は3月の安保理決議で米国内に凍結していたカダフィ政権の資産300億ドルのうち、15億ドルを解除し、人道援助に充てると発表した。こかしこの日は、結論が出なかった。
 一方、8月24日、フランスのサルコジ大統領は、国民評議会のジブリル首相とパリで会談し、9月1日に、パリで首脳級の国際会議を開くことになった。ここでは、安保理の常任理事国のロシア、中国も、国民評議会をリビア代表として、承認した。しかし、2国とも、NATOの空爆が安保理で与えられた権限を逸脱しているという、立場を崩してはいない。

5.なぜNATOはリビアを空爆するのか

 リビアにたいしては、「人道的介入」と称して、国連安保理決議までして、空爆をつづけるのだろうか。なぜ、民主化を要求する反政府派のデモが、サウジアラビア軍に無慈悲に弾圧されているバーレーンには国際社会は「人道的介入」をしないのか。なぜ、2月から絶望的な「民主化とアサド大統領の退陣」を要求しているシリアでは、国連の発表でも2,400人が殺されているにもかかわらず、国際社会は沈黙しているのか。
 その理由は単純だ。リビアは、内戦が始まる前、リビアは日産160万バレル、世界第
8位にあった。リビアの石油と天然ガスは、硫黄分が少ない。公害問題で市民社会から抗議されているヨーロッパのエネルギー産業にとって、貴重な存在である。また、リビアはヨーロッパに最も近いので、ペルシャ湾岸や西・南アフリカに比べて、輸送コストが安い。 
 また、カダフィ政権が、2003年に国連制裁を解除されるまで、長い間外資は導入されず、設備も老朽化し、埋蔵の探索もなされてこなかった。つまり、国際資本にとっては、今以上の豊富な石油の開発のチャンスが大きい。
 サルコジ大統領が、「リビアへの介入は、正義の実現のためだ。リビアの資産や資源は関係ない」といっているが、それは嘘である。サルコジ大統領の発言とは裏腹に、ジュペ仏外相は、「介入は将来への先行投資だ」と語った。

6.米国はNATO介入の黒幕の地位

 今年4月の『ニューヨーカー』誌にホワイトハウスの高官が匿名で、記事を載せた。それには、「オバマ大統領はW後ろから糸を引く“戦略を注意深く遂行した」と述べた。これは、米国が操っていると思われないように他の国にやらせ、米国の望んだ結果を得る、ということだ。オバマ大統領は、ブッシュのカウボーイ流のやり方を見ていたからだ。
 「後ろから糸を引く」戦略は、即座にネオコンやタカ派に真似をされた。彼らはオバマ外交の弱いところをつくとき、「マントラ」のように、繰り返した。とくに4〜7月、リビア情勢が硬直化したとき、オバマ非難に使った。
 しかし、カダフィの敗退によって、情勢が一変した。CNNや『タイムズ』のコメンテーターであるFareed Zakariaは「リビアにおける米国の戦略の成功は、米国の外交の新時代となった」と語った。
 米国はイラク戦争と比べて、リビアの場合は、戦費も9ヵ月で9億ドルと安くついた。