世界の底流  
カンクン気候変動条約COP16会議

2011年1月26日
北沢洋子

 第16回国連気候変動枠組み条約の締結国会議(COP16)は2010年11月29日から12月11日の2週間の予定で、メキシコのリゾート地カンクンで開かれたが、主催国メキシコの大統領が提案した「カンクン合意」草案が最後に採択(エクアドルが反対)されたのは、12日の未明であった。
 194カ国の政府代表は5,200人、国連諸機関、NGOなどが5,400人、それに1、270人のメディアで、12,000人の会議となった。そもそも、カンクンは、両側が海で細長い土地なので、このような巨大な会議を受け入れることが出来ない。さらに交通渋滞が起こった。そこで会場となった「ムーン・ホテル」以外に泊まった代表たちは毎日、往復に3時間以上も費やされるはめになった。
 カンクンに出席した国家首脳は、ベネズエラのシャベス、ボリビアのモラレス大統領など30人であった。

1.1997年京都議定書の締結

  1992年リオデジャネイロの「国連地球サミット」で採択された「国連気候変動枠組み条約(UNFCCC)」は、1997年、「京都議定書(KP)」を採択した。これは、それまで二酸化炭素(CO2)を排出してきた先進国40カ国(Annex 1Countries)間で削減義務を法的に決めた議定書であった。今日までに39カ国が批准した。これで、地球温暖化を防止する有効な取り組みが始まると見られた。
 しかし、2001年1月に誕生したブッシュ政権が石油ロビイの圧力により、京都議定書から脱退してしまった。2004年11月にもう1つの排出大国であるロシアの批准をもって、2006年2月、議定書は発効した。現在、議定書の批准国は191カ国にのぼる。
 しかし、20.9%という世界最大の二酸化炭素排出国である米国の脱退はUNFCCCにとっては大きな打撃であった。さらに、京都では、1990年レベル比で6%の削減を公約した日本が、逆に2005年段階で7.1%増を記録した。一方EUは、8%の削減公約に対して、削減は4%にとどまった。
 京都議定書は2008年から始まり、2012年に期限切れになるので、それ以前に新たな「ポスト京都」の議定書の締結が必要であった。同時に京都議定書の延長が必須事項であった。なぜなら、京都議定書の期限が切れる12年から新しい議定書が発効するまでの期間、空白が生じてしまうからである。

2.中国などの新興国のCO2排出

 1997年、京都議定書が締結された時代に比較すると、今日、CO2排出をめぐる状況は大きく変化した。なかでも途上国は、異なった2つの方向に大きく変化した。途上国間の格差が、考えられないほど拡大した。
 第1に、ブラジル、南アフリカ、インド、中国などBASICと呼ばれる新興国の経済成長が爆発的に進み、大量のCO2を排出するようになった。中でも、中国は、米国に次ぐCO2の排出大国となった。これらの国を含めた国際的に法的に拘束力を持つ新しい議定書の締結が必要になった。
 しかし、新興国は、CO2削減の枠組みを課せられることは経済発展を阻害すると言って、法的な拘束力を持つ議定書の作成に反対した。中国を先頭に、これらの国ぐには、主権が侵害される、内政干渉になるといって、米国の国際監視制度の設立提案に強く反対した。
 第2に、小島嶼国同盟(AOSIS)やアフリカなど貧困国(LDCs)が、すでに海水の侵入、旱魃、洪水などの気候変動による大規模な被害を蒙っている。さらにヘッジファンドなどが先物市場で投機を行なったため、石油や食糧などの価格が暴騰した。これら貧困国は、気候変動に対処するには、これまでの開発援助(ODA)のほかに、多額の資金と技術援助が必要だ、と主張した。
 これについて、先進国側は、08年のリーマン危機以来、自国の銀行を救済するために大量の公的資金を拠出したため、国家財政が逼迫しており、貧困国の新たな環境悪化に対処する資金援助は出来ないと主張した。代わりに、ODAなどで途上国のCO2削減に貢献した場合、先進国自身のCO2削減に勘定するという、「CO2取引(マーケット・メカニズム)」方式の導入を主張した。
 カンクンCOP16に課題は、@ 2012年に期限を迎える京都議定書の延長、A 中国など新興国を含めたCO2削減の法的に拘束力を持つ新たな協定の締結、B 途上国の温暖化に対処するための資金と技術援助、C 各国の協定の実施をモニターする国際監視制度の設置、などであった。

3.日本の爆弾宣言

 2009年9月、民主党政権の誕生直後、鳩山首相はニューヨークの国連総会に出席して、「日本は、1990年レベル比で、2020年までに、CO2排出を25%削減する」と発言して、その積極的姿勢を高く評価された。しかし、これには、「他の国が同調するならば」という条件が付いていた。一方、EUは、2020年までに20%を、単独で削減すると言っている。この点、日本とEUの発言は異なっている。(EUは、他の国ぐにが同意すれば、30%を削減すると言っている)
 ところが、1年後に開かれたカンクンCOP16では、初日、日本代表団は、「京都議定書の延長に断固として反対する」という爆弾発言を行なった。その理由は、京都議定書締結当時は、CO2排出国は先進国に限定されていたのだが、その後、中国などのBASICsなどが新たな排出国として登場してきたため、先進国だけを縛る京都議定書は廃棄されるべきだというのが、その理由である。
 このような日本政府の態度の豹変は、政府代表団よりも多い人数の経団連代表が政府代表団に加わり、連日、京都議定書延長反対のセミナーを開いて、政府に圧力を掛けた結果であった。カンクンで、鉄鋼、電気、自動車、石油、製紙、化学など産業界9団体の連名で、「延長断固反対」、「会議の決裂を恐れることはない」、そして「日本は拒否権を行使せよ」などと、勇ましい発言を行なった。
 この日本の爆弾発言は、カンクン会議を驚かした。日本は、京都議定書を達成できなかったばかりか、逆に1990年の6%も増加させているのを棚上げして、京都議定書を廃棄しようとしていると、理解された。日本に同調したのは、カナダとロシアの2カ国だったが、彼らは1回だけ反対を表明したが、その後は黙ってしまったので日本だけが悪者になってしまった。
 京都議定書の延長を主張してきた途上国は、猛反発した。さらにカンクンでのNGOは、2回にわたって日本に「化石賞」という不名誉な賞状を授与した。
 日本代表団が頑なな反対の態度をとり続けている間に、暗礁に乗り上げていた会議は、南北の妥協もあって、進展した。
 まず、国際監視制度をめぐって対立していた米中間をインドが取り持って、妥協が見られた。中国は、前回のコペンハーゲンCOP15でこの問題について反対を貫いため、孤立したという誤りを修正したのだろう。
 米国も、中国、インドなどの新興国も、2012年後のポスト京都に空白が生じないために、それぞれ削減に応じた。しかし、途上国は、先進国には京都議定書による削減を義務づける一方、自分たちは、新しい枠組みのもとで、開発を妨げることがないよう自主的に削減していく、と主張した。この新しい枠組みの中には、京都議定書も含まれる。京都議定書の延長には、EUは賛成した。日本は京都議定書を延長しないで、新興国を含めた新しい枠組みを作ることを、最後まで主張した。明らかに、カンクンでは日本は孤立した。

4.カンクン会議の成果

  最大の成果は、京都議定書から離脱していた米国がUNFCCCに復帰したことである。しかし、オバマ政権は、2020年までに、2005年比で、17%削減する、という低い数値を提示した。これを、1990年比にすると、わずか3〜4%削減でしかない。
 中国は、2020年までに、2005年比で、40〜45%、インドは、同じく2005年比で20〜25%削減すると発表した。
 カンクンで各国が発表した削減目標は、産業革命以前の時点から気温上昇を1.5〜2度に抑えるという目標にはほど遠い。CO2の排出量から言えば、2020年までに440億トンに抑えなければならない。しかし、カンクンで各国が約束した削減では総排出量は1,200億トンになる。これは、埋めるには大きすぎるギャップである。
 京都議定書の延長問題は、日本の頑固な反対によって、次回のCOP17に先送りとなってしまった。一方、会議で採択された「カンクン合意」は、先進国が削減数値目標を発表したが、途上国は経済成長に影響を与えない範囲での削減計画を発表するだけにとどまった。
 温暖化の被害を蒙る貧困国に対する、あるいは途上国のグリーン・エネルギーの開発の資金や技術援助については、先進国は、2012年までは年間300億ドル、2020年までに年間1,000億ドルの資金供出に同意した。日本と英国はこれを贈与ではなく、融資にすることを主張した。
 問題は、この「グリーン気候基金」が世銀に委ねられることにある。NGOは、これまで、ダムや火力発電所の建設プロジェクトを推進して途上国の環境を破壊してきた世銀の中に設けることに反対している。世銀の化石燃料プロジェクトに対する融資は、現在のゼーリック総裁が就任した2007年には年間16億ドルであったものが、今日年間36億ドルに急増している。世銀の温暖化政策は変わっていない。 
 カンクンでは、新たに「森林破壊と劣化による排出削減(REDD+)」という制度が導入されたことである。これは、先に名古屋で開かれた国連の生物多様性条約の締約国会議(COP10)」でも取り上げられたテーマであった。REDD+を推進したのは、FAO、UNDP、UNEPなどの努力によるものであった。先進国は、これに対して、年間50億ドルの資金拠出を約束した。
 1年前のコペンハーゲンのCOP15で問題となった会議の透明性と非包括性については、議長を務めたメキシコのエスピノザ外相の能力と努力もあって、かなり改善された。この問題については、コペンハーゲンでは、米国と中国、インド、南アフリカ、ブラジルの間で、秘密裏の取引に終始した、と非難された。
 「カンクン合意」は、拘束力を持たない国連文書である。すべての決定事項は、温暖化を阻止することを保障するものでない。この点、カンクン合意」にはボリビアが反対投票をした。ボリビア代表団のPablo Solon大使は、「カンクン合意は、法的に拘束力を持つものがない。ボリビアが一貫して反対してきたマーケット・メカニズムの文言は合意書の中に入っている。それにグリーン基金の資金の出所も書いていない」と記者会見で語った。
 しかし、CO2の排出をとめるものではないが、将来、拘束力をもった合意ができると言う可能性を残したという点ではプラスであった。
 すべては、次回南アフリカのダーバンで開かれるCOP17に先送りされた。現在、UNFCCCの事務局はボンに置かれ、コスタリカの環境相であったクリスチァーナ・フィゲレスが事務局長である。