世界の底流  

アラブ世界は燃えている:その5 リビア空爆

2011年6月20日
北沢洋子

1.国連安保理1973号「人道的介入」決議

 今年3月19日、地中海では、リビアに対するかつてない規模での米国・NATOによるトマフォーク・ミサイルで持って、空爆が始まった。
 これは、1月より始まったリビアの反体制デモに対して、カダフィが精鋭治安部隊でもって弾圧を始めた。そして反体制派が占拠していた都市を奪い返し、東部の反体制派の拠点ベンガジに迫っていた。カダフィ大佐は「1人残らず皆殺しにする」と公言した。
 そこで、NATO軍による「市民を守るため」の「人道的介入」を行なうという国連安保理第1973号決議が、3月17日に、採択されたのであった。この安保理決議には、ロシアと中国も棄権という消極的な手段でもって支持した。
 ちなみに国連憲章第7章には、「安保理は、・・・・空、海、陸から封鎖、または作戦できる」と書いてある。また、自国民を保護する能力、意思のない国に対して国際社会が保護する義務を持つという「保護する責任」論という新しい国際法(2006年、安保理1674号決議)も援用された。
 というのもこれに先立って、2月21日、カイロに本拠を置くアラブ連盟のムーサ事務局長が、リビアについて、「カダフィ軍による反体制デモに対する軍事攻撃を非難」し、リビア上空を、NATOによる「飛行禁止地域にすることを支持する」と語った。このアラブ連盟の声明によって、ロシア、中国は、安保理での拒否権の発効を取りやめた、という経緯がある。
 実は、この国連安保理の「人道的介入」決議には、前例がある。1999年3〜6月、
コソボに対するセルビアの虐殺を止めさせるために、NATOによるベオグラード空爆を行なった。
 NATOであれ、米国であれ、国際社会による「人道的介入」で「軍事力を行使できる」という国際法は存在しない。外国勢力による「介入」については内戦の当事国政府による「要請」があった場合に限定されてきた。しかし、1994年、ルアンダで起っていた大量虐殺に対して、国際社会が手を拱いていたという反省から、「人道的介入」が多分にエモーショナルな世論に左右されて行使されている。
 リビアの反体制デモは、今年が初めてではない。2006年、2008年に立て続けに起った。欧米諸国は、この時、何もしなかったばかりか、カダフィに4億8,200万ドルにのぼる武器売却協定を結び、さらに化学・細菌兵器の原料さえ売った。

2.地中海最大の軍事行動
 特筆すべきことは、今回のリビア空爆に米国の超大型航空母艦「ジョージHWブッシュ」号が、ナポリ港を出発した米第6艦隊に加わったことである。この「ショージWHブッシュ」号は、世界最大の軍艦で、5,500人の乗組員を抱え、18,210平米の離陸スペースを持ち、90機のジェット機とヘリを搭載している。この航空母艦は最新式の電子機器を備えており、コストの高さは言うまでもなく、「世界最大の移動米軍基地」と呼ばれる。
 「ジョージWHブッシュ」号にとっては、今回の地中海派遣は処女航海であった。実は、リビアに対する攻撃が始まる1ヵ月前から、この航空母艦の戦闘準備は完了していたといわれる。
 すでに空爆開始以来3ヵ月経ったが、この間、NATOは、約10,000回に呼ぶ空爆を行なった。湾岸戦争以後、イラクに対して行なってきた高い上空からの爆撃という、これまでの「飛行禁止区域」戦略がエスカレートし、あらかじめ定められた目標に対して、ヘリを動員した、低飛行で、地上のカダフィ軍を殲滅するものであった。この際、リビア国内では、「米CIAが協力する」ことになる。一方、2月25日、トリポリの米大使館は、閉鎖になった。
 この戦略は、市民を守るためというよりは、反政府部隊の戦闘部隊、あるいは、予測されているNATOのコマンドを支援するためのものであったと言える。

3.リビアに対するNATOの空爆
 リビアに対する「軍事介入」は、「オデッセイ夜明け作戦」と名づけた米国の空爆で始まった。というのも、セルビアの場合と異なって、リビアに対しては、カダフィの治安部隊をターゲットにしており、したがって、高い上空から爆撃するのは効果がない。あらかじめターゲットを決め、低空で飛行しなければならない。この場合は、敵のレーダー網に入らない無人爆撃機を使わねばならない。そこで、すでにパキスタンやイエメンで、アルカイダに対する無人機よる攻撃を行ってきた米軍にノウハウがある。
 しかし、米国内には、イラク、アフガニスタンという2大戦争を抱えており、これ以上、戦線を拡大することに反対の声が大きい。また戦費も高い。米議会では、民主党と共和党ともに反対派がいる。
 そこで、3月25日、オバマ大統領とキャメロン首相がロンドンで会合した結果、米国は、3月31日、NATOに指揮権を譲ってしまった。同時に、ワシントンでクリントン国務長官とNATO事務局長アシュトン男爵夫人が会合した。
 3月29日、NATO加盟国と関係国、国際機関40カ国が、ロンドンで「リビア会議」を開いている。ここで、クリントン国務長官は「カダフィは国を指導する正当性を失った」と語った。
NATOの参戦国は、米国のほかに、フランス、イギリス、イタリア、スエーデン、ベルギー、ウクライナ、デンマーク、オランダ、スペイン、ノルウエイである。NATOに加えて、ヨルダン、モロッコ、カタール、アラブ首長国の4カ国が参戦している。NATOの空爆の戦費は1日当たり3〜5億ドルにのぼる。
 問題は、空爆によってカダフィ軍を弱体化することは出来ても、殲滅することは出来ない。終局的には、地上での戦闘になる。しかし、反体制派は非武装の市民であり、軍隊ではない。外国から武器援助を受けたとしても、カダフィ大佐の息子の1人が指揮しているといわれる精鋭の治安部隊と対等に戦うことは出来ない。
 現在、リビア情勢は、硬直状態にある。NATOの空爆が始まって以来、すでに3ヵ月以上経っている。現在、反体制派が国の半分を握っており、NATOが首都トリポリを空爆し続けたとしても、カダフィを降伏させることは出来ないだろう。
 国連安保理1973号決議には、「人道的介入」は「市民を守るため」と決められていた。しかし、米国・NATOの空爆が始まると、市民を守ることを逸脱して、「カダフィを抹殺する」に代わっている。

4.カダフィ大佐のプロフィル
 カダフィ大佐は、1969年にクーデターにより、ギリシア訪問中のイドリス王政を倒した。当時彼は29歳、大尉であった。一説によると彼が崇拝するエジプトのナセルが大佐であったので、それを真似したといわれる。
 カダフィは、「革命の指導者」というタイトルがあるが、大統領ではない。しかし、実質的には国家元首である。
 カダフィは、1970〜80年にかけて、反西欧、反イスラエルのテロ組織を支援したばかりでなく、自らもテロ行為を実行したため、欧米などから「テロ国家」に指名され、またパキスタン、イラン、北朝鮮などの援助を受けて、核武装化をはかっているとして、国際的制裁を受けてきた。
 この間、米国、イギリス、フランスはリビアの不安定化をはかった。さらに米国は幾度もリビアの政権交代を画策した。元NATO司令官ウエズレイ・クラーク将軍は、米国防総省が「リビア攻撃の作戦計画を持っていた」と証言している。したがって、今回のNATOの攻撃は新しいものではない。
 2003年、9ヵ月にわたる米・英政府との秘密交渉の結果、リビア側がテロと核武装の放棄を宣言し、2006年、「テロ国家」のレッテルを外され、国際社会に復帰した。
 この時、リビアは賠償金として、18億ドルを米政府に払った。何のためか判らないが、この中の15億ドルは、ニューヨークの米政府の口座に、3億ドルはリビアの口座に払い込まれた。
 そのような過去の事情から、チュニジアのベンアリやイエメンのサレ大統領のように、サウジアラビアに亡命することも出来ない。残る手段はこれまで資金援助をしてきた黒いアフリカであるが、これは非常に不安定である。
 カダフィは、自分は単に「革命の指導者」であって「大統領でない」と言っている。そのため、「国家元首の地位を退け、と言われるいわれはない」と言っている。つまりムバラクのように大統領を辞任することで解決できない。カダフィの死によってしか、解決の道はないだろう。

4.米国とサウジアラビアの密約

 米国・NATOが反体制派を支持して、リビアを空爆しているが、同じ産油国のバーレーンには、反体制派のデモが鎮圧されているにもかかわらず、手を拱いている。
 このダブルスタンダードの背景には、実は米国とサウジアラビアとの間に密約がある。バーレーンは人口30万の小さな島だが、スンニー派のハリファ王政が、多数派のシーア派を支配している。2月14日、反体制派の民主化要求のデモが起った。
 バーレーンは米第6艦隊の基地である。バーレーンは、2004年以来、カタール、クエート、アラブ首長国とともに、「NATOイスタンブール協力イニシアティブ軍事パートナーシップ」のメンバーである。これは、ペルシャ湾での紛争に備えた軍事同盟である。  
 そして、シーア派のイランとはペルシャ湾の向かい側になる。つまり、米国にとっては、バーレーンのハリファ王政を維持しなければならない理由があった。
 サウジアラビアにとっても、油田地帯にはシーア派が住んでいる。バーレーンでシーア派が政権に就くことは、認められないということである。
 そこで、米国とサウジアラビアが密約を結んだ、と言う説がある。実際、バーレーンの王政を支持するために、3月14日、1,500人のサウジアラビア、アラブ首長国、クエート軍がバーレーンに進駐し、デモを鎮圧した。代わりに、リビアに対するNATOの空爆を認めるという内容であった。
 さらに米国はサウジアラビアに600億ドルにのぼる武器売却協定を結んだ。これは米国の武器売却の歴史では最高額である。

5.リビアの反体制勢力
 リビアの反体制デモは2月15日にベンガジで始まった。いずれもベンガジに本拠を置いている。

(1)民族リビア救国戦線(NLSF)
 NLSFは、カダフィ打倒を目的として、イスラエル、米国によって、西・中央アフリカで訓練を受けたリビア人の組織である。この組織については、パリで始めて、『アフリカ・コンフィデンシャル・ニュースレター』誌に、1989年1月5日、紹介記事が載った。その記事では、チャド軍に捕虜となった2,000人のリビア人がチャドとその近隣の国で訓練を受けている、と書いてあった。この組織に資金を出しているのは、米CIAやフランスの情報部のほかにサウジアラビア、エジプト、モロッコ、イラク、イスラエルだったという。
 NLSFは、1984年5月8日、カダフィ暗殺に失敗して、壊滅された。その翌年、米国がエジプトに対して、リビアに攻め込んで、カダフィを抹殺するように頼んだ、という。これを知った、米議会の議員たちがレーガン大統領に「やめる」ように圧力をかけたので、中止になったという。

(2)リビア反対組織国民議会(NCLO)
 2005年、ロンドンで、イギリスの後援の下に、NLSFのイニシアティブで開かれた、リビアの反体制派nおアンブレラ組織である。

(3)リビア・イスラム戦士グループ(LIFG)
 旧ソ連のアフガニスタン侵略に対して戦ったリビア人nおムジャヒディーンによって、1995年、結成された。彼らは、アフガニスタンから帰国して、リビア政府の腐敗に怒った。1996年、LIFGはカダフィ暗殺を企て、失敗した。主として、彼らは山岳地帯に根拠地を置きゲリラ戦を続けてきた。リビア政府は、LIFGにはアルカイダのメンバーがいると言う。イギリスnおM16が支援していると言われる。
 2009年、カダフィの治世40周年を記念して、LIFGは「カダフィ暗殺」計画を放棄し、武器を捨てると宣言した。

(4)リビア国民評議会
 上記の武装勢力とは異なって、カダフィと決別したムスタファ・モハメド・アブドルジャリル前法相が、反カダフィ派の軍人、ビジネスマン、部族長、学者などを集めて、ベンガジで、2011年2月27日、「リビア国民評議会」を結成した。アブドルジャリル代表は、「リビアの正統政府だ」と名乗っている。これまでのところ、フランス、イタリア、スペイン、イギリス、オースリア、ドイツ、カナダ、オーストラリアなどの先進国、それにカタール、クエート、ヨルダン、アラブ首長国などの中東、モルディブ、ガンビア、パナマなどが承認している、

(5)「怒りの日」
 このほか、インターネットを通じてデモを呼びかける「怒りの日」がある。これは、2月17日のデモを成功させた平和的なデモである。