世界の底流  
アラブ世界は燃えている(その4)エジプト革命 III

2011年2月17日
北沢洋子

1.エジプト革命が意味するもの

 アラブ世界は、第4次中東戦争以来、すべて強権政権あるいは王政下にある。そして産油国、非産油国を問わず、貧富の格差が広まっている。さらに、アラブ世界はとりわけ失業率が高い。
 アラブ世界は若い世代が、人口の中で多い。ナセルの時代をアラブ民族主義の第一世代
とすると、ムバラクなどの独裁政権時代を抵抗もせずに許してきた第二世代の大人たちに対して不信の念を抱いている。今回の革命を起こした青年たちは、いわばアラブ世界の第三世代と言えよう。

(1)インターネットなどの情報革命
 教育を受けた青年たちは、フェイスブックやツイターなどインターネットを駆使して、国境を越えて情報を共有している。たとえば、チュニジアで勝利した青年たちは、エジプトの仲間たちにフェイスブックなどを使って、警察の弾圧に対するアドバイスをした。例えば、催涙弾には、顔を覆っているスカーフに酢やたまねぎの汁をつけるといいと、ネットに書いた。
 インターネットはグローバルであり、ある国で、政府がネットを遮断しても、迂回して使うことが出来る。21世紀に入って発達した新しいメディアを活用しているのが特徴である。
また、アルジャジーラ(カタール)、アルアラビーヤ(ドバイ)などの中東のアラビア語の衛星放送が生まれたことも情報の伝達に貢献した。自国の国営テレビでは見ることが出来ないアフガニスタンやイラク戦争の真実を知ることが出来た。とくにアルジャジーラは、アラビア語のほかに英語放送を行なっており、CNNやBBCに対抗できるほどのグローバルな放送力を持っている。

(2)インフレ、食糧危機、青年の失業
  2月8日付けの『朝日新聞』には、中東の政変は「若い世代が急増した、失業・食糧難に不満、インターネットが連帯を生む」ことなどが背景にある。と書いている。たとえば、エジプトでは全人口8,400万中、23歳以下は52%を占めている。
 IMFのストロスカーン専務理事は、中東の政変の背景には「食糧価格の高騰、高い失業率、所得格差」があると語った。
 中東に共通する青年の失業率は高い。世銀の統計では、エジプトの男性15歳〜24歳の失業率は23%、全国平均の9%をはるかに上回っている。チュニジアでは31%に達している。
 またこれに食糧危機が追い討ちをかけた。砂漠の多い中東では、食糧を輸入に頼っている。08年の小麦の輸入額では、エジプトは約25億ドルで世界第三位である。チュニジアは約8億ドルで20位である。08年に食糧価格が暴騰した。02〜03年の約2倍の価格になった。このときエジプトでは食糧暴動が起った。

(3)食糧暴動の連鎖
  これまで、アラブ世界では、事件が波及するという現象がしばしば見られた。エジプトでは1977年、モロッコでは1981年、アルジェリアでは1988年、ヨルダンでは1989年にそれぞれ「食糧暴動」が起っている。いずれも内戦の様相を帯びたものであった。
 かつてチュニジアでは、1984年1月に、食糧価格が100%高騰したため、大規模な暴動が起った。80人の死者が出た。当時のブルギバ大統領は、これに対して、戒厳令を布告して。これはその後30年近く続いた。
 アラブの独裁者が、政治的抑圧を続けるためには、国民に安い食糧を提供することが不文律であった。これが国家財政を圧迫するにもかかわらず、補助金を支出してきた。それよりも、インフレ、そして社会の不安定化を恐れてのことであった。
 たとえば、エジプトでは食糧と燃料に対する補助金に予算の7%を充ててきた。
 しかし、IMFの新自由主義政策が導入されると、真っ先に貧しい人たちの生活必需品への補助金が削減される。これが物価の高騰につながる。したがって、これらの暴動は「IMF暴動」と呼ばれる。

(4)深刻な失業問題
 「アラブ労働機構(ALO)」が、2008年のアラブ世界の失業率を平均14.5%だと発表した。これは世界の平均5.7%をはるかに上回り、世界一である。エジプトは20%、アルジェリアが23%、チュニジアが12.8%、イエメンが45%となっている。青年層の失業率はもっと高い。ちなみにアラブ世界では、30歳以下の人口が圧倒的である。したがって、青年の失業は最も深刻な問題であり、社会の不安定化をもたらす。

(5)産油国の豊かさの終わり
 中東には、産油国と非産油国がある。今回の革命が起ったチュニジア、エジプトや、デモが波及しているヨルダン、イエメン、モロッコなどは、石油の埋蔵がない。しかし、豊かな産油国も安泰ではなくなっている。これまでは豊富な天然資源による不労所得(レント)を国民に分配することで独裁政権を維持してきた「レンティア国家」も、人口増加、高い失業などによって、困難になってきた。
 チュニジア、エジプト革命に触発されて、産油国バーレーンで反政府デモがおこっているのはその典型である。

2.エジプト革命と米国の中東政策

 エジプトは、8,400万人とアラブ世界の中でも大国であり、アラブ世界の要の位置を占めている。また、エジプトは、サダト時代の1978年、カーター大統領の仲介でキャンプ・デービット合意により、イスラエルとの和平を実現したアラブ世界で最初の国であった。エジプトは、1994年にイスラエルと和平協定を結んだヨルダンとともに、イスラエルと国境を接している数少ない国である。
 エジプトが占める地政学的重要性から、歴代の米政府は、ムバラク政権30年間、エジプトに軍事、経済援助をしてきた。エジプトは年間平均15億ドルという多額の軍事援助を米国から受けてきた。これは、イスラエルに次いで、中東では第2位の額である。
米国、イスラエル、ともに、ムバラク大統領の退陣は、大きな打撃であり、今後の動向の不安材料である。
 これまで、30年以上、米国は、中東の強権政権を支持してきた。というよりは、強権政権にイスラエルを守らせ、中東の平和を維持してきた。ところが強権政権は、米国の唱える「民主化」とは相容れない存在である。これは、エジプトのムバラク後の米国の中東政策にとって、大きな矛盾となるだろう。
 イスラエルにとっては、エジプト革命は悪夢の始まりである。すでにヨルダンでは、青年の反政府デモがはじまっており、国王は、内閣を総辞職させた。しかし、青年たちは、首相は、国王に指名されるのではなく、公選によるべきだと主張している。ヨルダン情勢は、非常に流動的である。
 米国、イスラエル、アラブ諸国など中東のすべての政治アクターが忘れていることがある。それは、パレスチナ問題である。米国がムバラクのような強権政権を容認しても、またエジプト・イスラエルの和平協定にもかかわらず、パレスチナ問題が解決していないと言う点である。
 第3次中東戦争後の1967年11月に、国連安保理で採択された決議242号は、いまだに実施されていない。242号には、イスラエルの占領地からの撤退、難民の帰還、東エルサレムをパレスチナ領とすることなどが盛り込まれていた。サダトが、和平協定と引き換えに、イスラエルからシナイ半島を返還してもらったことだけ、実施された事項であろう。