世界の底流  
タイの赤シャツ派のデモと戒厳令
2010年4月

 連日のように世界中のマスメディアがタイのバンコクでの反政府デモを報道している。
 今日、バンコク市内を埋め尽くしているのは「赤シャツ派」のデモである。正式の組織名は「反独裁・民主統一戦線(UDD)」である。
 赤シャツ派は、農民、労働者、スラム住民など貧しい人びとで構成されている。彼らはアブシット首相率いる現政権(民主党)の退陣と総選挙、そして民主主義の回復を求めている。彼らは、直接にではないが、国外に亡命している前タクシン首相を支持している。
 これに対して、昨年11月、バンコク空港や首相府を占拠して、ASEAN首脳会議をキャンセルさせた「黄色シャツ派」がいる。この正式な名は「民主市民同盟(PAD)」である。「黄シャツ派」のデモは、06年にタクシン政権を打倒した軍のクーデター以後に、総選挙で、第一党になった「国民の力」のサマック政権に対する異議申し立てであった。「黄シャツ派」はこれを亡命タクシン前首相のカイライだと見たのであった。その結果、08年、サマック政権は退陣し、現在の民主党によるアブシット政権が誕生した。「黄シャツ」の支持者は、官僚、実業界、そして中産階級、学者、インテリ、一部のNGOであり、国王支持である。
 「赤シャツ」と「黄シャツ」の間には、一方は労働者、農民など貧しい層であり、他方はンンン中産階級・インテリなど、階層の違いはある。しかし、両方とも、
 もう一つ、タイ社会の特徴には、国王の存在である。現在のバンコク王朝は、1782年に権力を握って以来、今日まで続いている。国王の支配は、伝説や迷信、そして軍の暴力に頼っている。
 タイは立憲君主制をとっており、国王は国会の最大勢力を首班指名する。国王は、政府、軍隊、市民社会などタイ社会に絶大な影響力を持っている。

タイ全国人権委員会の声明

  タイ全国人権委員会のコミッショナーのDr.Tajing Siripanit 氏が、4月4日、NBTテレビに出て、以下のような発言を行なった。
 軍隊に守られた政府は、「赤シャツ派(UDD)のデモ隊がバンコク市内のショピングセンターを封鎖しているため、力ずくで排除しなければならない、と言ったが、事実は、赤シャツ派のデモは平和的であり、歩行者がショッピングセンターに行くのを阻んでいない」と述べた。
これまで全国人権委員会は、06年の軍事クーデターの際にも、また、黄シャツ派のデモ隊が、08年、空港を封鎖したときも、沈黙してきた。また、政府が反対派に対して不敬罪法を適用したときも、メディアに対する検閲についても、沈黙してきた。なぜなら、全国人権委員会のメンバーには、「PAD」支持者がいるということもあった。しかし、今回は明確に、反政府・UDD支持の立場を打ち出した。
 赤シャツ派のデモは、「中立であるべき仲裁パネルがすべて軍によって任命されている」と主張している。
 全国人権委員会は、現在の危機を解決するために、直ちに総選挙をすべきだと考える。また軍事政権下で制定された憲法も直ちに廃止すべきだと訴える。
 ついにアビシット政権(民主党)は、4月10日、赤シャツのデモ隊が国会に乱入しようとしたという口実でもって、戒厳令を敷いた。そし軍隊がデモ隊に対して発砲し、死者15人、負傷者678人を出した。死者の中には、ロイター通信の日本人カメラマンがいた。
 タイでは、これまでの40年間、民衆のデモに対して治安部隊が発砲して弾圧するのは、これで5回目である。今回も、政府・治安部隊は、報道規制を敷いているので、「汚い手」を使っても大丈夫だと考えていたようだが、メディアに対する検閲も失敗に終わった。最初、政府はすべてのインターネット、衛星放送、ウエッブサイトを規制しようとした。これも失敗に終わった。
 「赤シャツ派」のデモはすでに1ヵ月以上に及んでいる。その多くは地方から集まってきた人びとであるが、市内にテントを設け、寝泊りしている。
 やがてタイの「赤シャツ派」の反乱は地方に飛び火し始めた。4月20日、最も貧困地帯である東北部(イーサン)のコーンケンでは数千人がデモをはじめた。