世界の底流  
オバマ大統領がマクリスタル司令官を解任
2010年7月17日
北沢洋子
1.マクリスタル司令官の解任

 オバマ大統領は、6月22日に米隔週刊の娯楽雑誌『ローリング・ストーン』に掲載される予定のMatt Hastings記者の記事を事前に手に入れて、激怒したという。そこには、オバマ大統領自身が任命したアフガニスタンの米・NATO軍の最高司令官マクリスタル将軍のインタービュー記事が載っていた。
 このインタービューは4月にパリで行なわれた。記事の中でオバマ大統領のアフガニスタン戦略を批判しているばかりでなく、オバマ大統領やバイデン副大統領を嘲笑していたことが問題になった。
 例えば、09年1月、マクリスタル将軍がアフガニスタンの最高司令官に任命された時の国防総省での会合では、オバマは「軍人たちに囲まれて居心地悪そうに、びくびくしていた」とか、アフガン増派に反対しているバイデン副大統領のことを「バイデンって誰だ」と侮辱した。
4月23日、オバマ大統領は、ただちにマクリスタル司令官をワシントンに召還し、自ら査問した。その1週間後、マクリスタルは解任され、年金生活者の仲間入りをすることになった。

2.マクリスタル司令官の不満

 マクリスタル司令官があえて過激なオバマ政権批判を行なった背景には、アフガニスタンの戦況が泥沼化していることにある。
 昨年12月、マクリスタル司令官の要請を受けて、オバマ大統領は3万人の増派を決定した。増派は今夏までに完了する予定である。しかし「米軍が撤退するために、増派が必要である」というマクリスタル司令官の不思議な論理に賛成するものはいないだろう。
 アフガニスタンの戦況は一向に好転していない。それだけではない。3万人の増派後、今年2月9日、南部ヘルマンド州のマルジャ(人口は主として農民で35,000人)に対して米海兵隊4,000人、英軍4,000人とアフガン軍合わせて1万5、000人の連合軍がタリバンの掃討作戦を開始した。
これは、2001年に米軍がアフガニスタンに攻め込んで以来の大作戦であった。マクリスタル司令官は、この攻撃を、「占領・掃討し、秩序を回復し、アフガン人の自治に任せる」という3段階戦略と呼んだ。
 しかし、マルジャの住民2人に対して1人の米兵という異例の規模で「占領」したが、いまだにタリバンを「掃討」することが出来ずにいる。そればかりか、6月9日、タリバン・ゲリラは米軍のヘリを撃墜した。つまりマクリスタル司令官の戦略は第1段階で頓挫した。マクリスタル戦略の敗北である。
 マルジャ作戦は、同じアフガニスタン南部のタリバンの本拠地カンダハル攻撃のリハーサルであった。マルジャでてこずったマクリスタルは、不満を軍事物資の補給不足のせいにした。
 それは戦争の民営化のせいである。アフガニスタンでは、米軍は直接の戦闘以外をすべて民間に委託している。そのため、補給部隊の防御力が低下し、タリバンの集中攻撃にあうことになった。また、タリバンの攻撃を避けるために軍閥に配った賄賂が、タリバンの資金源になっているという滑稽なこともある。
 また、マクリスタル司令官は、誤爆による住民の反発を抑えるため、都市部での空爆や重火器による攻撃を制限した。その結果、09年の国連の報告では、市民の死者数は3割減少したという。しかし、これによって、タリバンが自由に動き回れるようになった。

3.マクリスタル将軍と「死の部隊」

 マクリスタル将軍をアフガニスタンの最高司令官に任命したのは、オバマ大統領自身であった。
 マクリスタルは、イラク戦争中、超秘密の特殊共同作戦本部(JSOC)の司令官として、バグダッドのNana キャンプでの捕虜虐待スキャンダルにかかわり、さらにプロのフットボールのスター選手でレンジャー部隊員のPat Tillmanの味方に殺害された事件の揉み消しを指揮した男であった。
 さらにマクリスタルは、03年以来5年間にわたり、イラクでの「死の部隊」を統括していた。つまり、マクリスタルは、チェイニー元副大統領直轄の「暗殺部隊」の司令官であった、と同時にラムズフェルド元国防長官にも非常に近かった。
 オバマ大統領は、ブッシュとの違いを明らかにするために、イラクよりむしろアフガニスタンを「テロとの戦い」の舞台に選び、マクリスタル将軍をAf-Pak(アフガニスタンとパキスタン)の米・NATO軍の最高司令官に登用した。「過去を問わない」というオバマの言い訳だったが、「殺人者」の登用であったことは否定できない。

4.アフガニスタンをめぐる内外の不協和音

 マクリスタル将軍の解任は、アフガニスタンからの撤退をめぐるオバマ政権内部の亀裂を明らかにした。マクリスタルが侮辱したバイデン副大統領は、早期撤退、民主支援を主張し、これにジョーンズ大統領補佐官、アフガニスタン担当のホルブルック特使などが加わる。これに対して、ゲーツ国防長官、クリントン国務長官などが、タリバンの完全制圧を主張している。オバマ大統領はこの対立の構造の中で、ふらふらしているが、昨年11月に発表した「2011年7月から米軍の撤退をはじめる」という自身の声明にこだわっているようだ。米世論はアフガニスタン戦争に反対しているのが過半数に達した。
 また、マクリスタルの解任を契機に、同盟国である英国との不協和音も明らかになった。
アフガニスタン駐留の英軍の戦死者が300人を突破した。これは10万人が派兵されて
いる米軍の死者1,026人に比較するとかなり高い。これは英軍には、ヘリなどの補給
が少ないせいであると、現地の英軍司令官は言う。
 当然英国内では、アフガニスタンからの撤退を主張する声が高まった。これに対して、ヘルマンド州の英部隊を米海兵隊と交代させることによって、英国の世論をなだめようとしたのであった。

5.ペトレアス将軍の任命

 米独立記念日の7月4日、オバマ大統領はマクリスタルの後任として、イラク駐留米軍の司令官であったペロレアス将軍を任命した。ペトレアス将軍は、米軍100,000人、英軍9,500人、ドイツ軍4,500人など計142,000人のアフガニスタン駐留軍の司令官になった。
 イラク戦争と異なり、アフガニスタンでは、「テロとの戦い」という名目で、米軍に加えて46カ国にのぼる多国籍の軍隊が駐留している。米軍は、「アフガニスタン駐留米軍(USFOR)」と呼ばれ、28カ国で構成されるNATO軍は「国際治安支援軍(ISAF)」と呼ばれる。
このほかに非公式だが、すでにアフガニスタンに派兵しているか、またはこれから派兵するとしている国は、エジプト、ヨルダン、コロンビアなどある。
 マクリスタル将軍を解任したことにより、たちまち「マクリスタル・スキャンダル」は忘れ去られた。米上院は99対0という全員一致でペトレアスの司令官就任を追認した。こうしてペトレアス将軍は、ベトナム戦争を上回る9年という長期にわたるアフガニスタン戦争を指揮することになった。
 一般に、ペトレアスはイラクで反政府ゲリラに勝利したと信じられている。事実は、全く異なる。イラクのシーア派の反乱分子「サドル派」にある種の居場所を用意してやったにすぎない。しかも、これはペトレアス自身の戦略ではなく、彼の部下の発案であった。
 また、スンニー派部族長などを買収して、「覚醒評議会」という名の民兵組織を作らせた。これはイラクの治安向上に貢献していると言う。しかし、反政府派の攻撃はなくならないばかりか、グリーン・ゾーンに迫撃砲が打ち込まれるなど、相変わらず治安は良くない。 
ペトレアスは、JSOC時代の仲間内だけの少人数で事を決めていたマクリスタルの手法とは異なり、ペトレアスは幅広く相手の言い分をよく聞く。
 オバマの2011年7月にアフガニスタンから撤退を開始するという公約について、ペトレアス新司令官は「撤退は急がない。多分数年にわたり、数万人の米兵が駐留しなければならないだろう」と語った。これは、やがてペトレアス司令官とホワイトハウスの間の軋轢に発展するだろう。いずれにせよ、NATOの同盟軍は撤退を開始するだろう。米国は「多国籍軍」というカバーがなくなることを避けられないだろう。
 ペトレアス司令官の任命後、アフガニスタンの戦況は悪化した。1ヵ月間に、米・NATO軍は102人の戦死者を出した。いずれもタリバンの奇襲攻撃、自爆テロ、道路沿いの地雷、あるいは暗殺などによるものである。これは過去9年にわたるアフガニスタン戦争の中で、最大の損出である。
 そして6月はじめに予定されていたタリバンの本拠地カンダハル攻撃も、地元住民の支持が得られないという理由で、延期になっている。
 たとえば、米軍が占領したはずのマルジャでは、米海兵隊の女性兵士が地元の女性との対話を呼びかけたが、1人も現れなかったとか、NATO軍が灌漑プロジェクトに10,000人の雇用を用意したが、応募したのは1,200人だったという例もある。

6. アフガン和平国民会議の開催

 6月2日、首都カブールで、タリバンなど反政府勢力との和解枠組みを話し合う「和平国民会議(ジルガ)」を開催された。これには閣僚、議員、知事、住民代表、女性、宗教指導者など1,600人が参加した。
 ジルガは、昨年11月に“再選”されたカルザイ大統領にとっては、最大の任務である。なぜなら今年1月、70カ国が参加してロンドンで開かれたアフガニスタン支援国会議でカルザイ大統領が公約したことであった。
 しかし、カルザイ大統領をバックアップしているオバマ政権は、「タリバンに対して、より大きな打撃を与えるまで、和平交渉は時期尚早」だとして、ジルガには乗り気ではない。米国内では、カルザイの腐敗に幻滅しており、6月10日、『ワシントン・ポスト』氏と『ABCテレビ』合同の世論調査では、アフガニスタン戦争を「戦うに値しない」と答えた人は53%に上った。
カルザイとマクリスタルとの間のアフガニスタン戦略についての根本的な違いは、マクリスタルがタリバンの支配地域を軍事的に占領しようとするのに対して、カルザイはタリバンとの交渉による解決を模索しているところになる。
 アフガニスタン国内では、最大民族パシュトゥン人のタリバンが政権に参加することについて、少数民族のタジク、ハザラなどが不満である。またかつてタリバン政権下で権利が抑圧された女性たちも反対である。
 さらに、昨年の大統領選でカルザイの対抗馬であったアブドラ元外相も「我々すら招かれていないので、ジルガと呼べない」と怒りをあらわにした。
 そして、肝心のタリバンも、同じく反政府勢力である「イスラム党(ヘクマチアル派)」
もともにジルガへの出席を拒否した。「アフガニスタンから外国軍が完全に撤退するまで交渉に応じない」というのがタリバンの主張である。ヘクマチアル派も「ジルガは何の効力も持たない」と言うのが参加拒否の口実である。
 そればかりではない。ジルガの初日、会場近くにタリバンのロケット弾が2発も撃ち込まれた。さらに、会場から1キロの住宅街では、タリバンの自爆攻撃が行われ、治安部隊と銃撃戦となった。
 忘れてはならないことは、アフガニスタンに石油パイプラインを敷く交渉でUNICOL(英のエンジニアリング会社)に雇われるまでの1995〜98年、カルザイがタリバン政権の1人であったという事実である。
 ペトレアス将軍がアフガニスタンの司令官に就任して、最初に手がけたのはアフガニスタンに民兵組織をつくることであった。これに対してカルザイ大統領は、政府がこの民兵組織をコントロールできなくなることを恐れて反対した。ペトレアスはカルザイを説得するのに12日の要した。最後に、この民兵を内務省の直轄にするということで妥協が成立した。しかし、内務省は汚職退治に忙殺されており、民兵の管理まで手が回るかどうか疑問視されている。
 この民兵組織は、約1万人の予定で、米軍の守備が届かない遠隔地を防衛するという任務を与えられる。

6.混迷するイラク情勢

 これまでペトレアス将軍が指揮していたイラクでは、米軍撤退がスムーズに運んでいるだろうか。いや、混迷を極めている。
 今年3月7日に行なわれた国民議会選挙からすでに4ヵ月もたっているのに、各派の連立協議が進まず、未だに新政権が樹立されていない。
 1位はアラウイ元首相が率いるスンンニー派の「イラク国民運動」で91議席、2位はマリキ首相のシーア派「法治国家連合」で89議席、3位は過激なサドル派を含むシーア派の「イラク国民同盟」で70議席、4位はタラバニ大統領の「クルド同盟」という結果になっている。いずれも過半数をとっていないので、連立を組み以外にないのだが、指導権争いのために実現していない。
 2位のマリキ氏は3位のイラク国民同盟との連立に合意に成功し、1位のアラウイを出し抜いて首相になる算段であった。しかし同盟側はマリキの首相続投に反対している。イラク国民同盟なかでは、サドル派がジャファリ元移行行政政府首相を、イスラム最高評議会はアブドルマフディ氏を首相候補に推している。これらのことで、イラク国民議会を開催することすら出来ない。
 一方、米軍は8月末には戦闘任務を終了することになっている。その後は、一時期16万人にも達した米軍は、イラク軍や治安警察の訓練のために5万人に縮小されるという日程になっている。
 7月3〜5日、バイデン副大統領はバグダッドを訪問し、上記の各派の代表と会談し、早期に連立に同意するよう圧力をかけた。そして、宗派間の対立の再燃を防ぐため、連立政権にはすべての政治勢力が参加するべきだ」と語った、
 これを並行して、親米のアラブ大国エジプトのムバラク大統領も7月4日、カイロで、クルドのバルザニ大統領、イラク・イスラム最高評議会のアブヅルマフディ副大統領と会談し、新政府について協議した。
 イラクの新政府樹立はもうあまり時間がない。なぜなら、8月中旬からイスラムのラマダン(断食月)がはじまる。この間、政治は動かなくなる。

7.オバマ大統領の苦悩

 オバマ大統領は2012年に再選を迎える。それまでに、イラク戦争を終わらせ、アフガニスタンから撤退を開始しているというシナリオが必要である。
 オバマが2008年の民主党の予備選でクリントンに勝利したのは、「イラク戦争を終わらせる」という公約だった。事実オバマはシカゴの反戦連合の集会で行なった「反戦スピーチ」でもってデビューした。
 オバマがアフガニスタンで勝利しようとすると、反戦グループの票を失うであろう。ライバルの共和党は、すでにアフガニスタンを「オバマの戦争」と命名し、「勝利していない」ことを非難している。