世界の底流  
ギニアの大量殺戮

2010年2月20日

 去る2月15日、ギニアの軍事政権は、6月に予定している民主的な大統領選挙に向けて、軍と野党勢力からなる暫定政権を発足させた。6月の選挙までの間、大統領には軍事政権のNo.2の国防相Sekouba Konate 将軍が指名された。そして野党と市民社会は、人権活動家で野党の1つである「ギニアの進歩のための同盟(UPG))のJean Marie Doreを首相に選んだ。
 反対勢力は、この暫定政権を大統領の「わな」でないかと見ている。軍事政権と虐殺の被害者である野党が連立すれば、国際社会から制裁を免れると考えているのではないか。
Camara大統領は、昨年12月3日、近しい友人のAboubacar Diakite中尉による暗殺にあい、頭に傷を受けた。現在、彼は、モロッコのラバトの病院に入院しており、帰国しないのではないかと思われている。
 ギニアは独立以来、50年間、ギニアは独裁政権下に置かれてきた。はたしてギニアに民主主義が誕生するか、今のところ、見守るほかはない。

 1.2009年9月28日の大量虐殺

 昨年、9月28日、ギニアの首都コナクリの「9月28日スタジアム」で、Mussa Dadis Camara大尉の軍事政権に抗議する野党連合「Forces Vives」による平和的デモに対して、精鋭軍隊が襲いかかり、156人(多分これ以上の数にのぼると見られる)の死者がでた。彼らは警告なしに射殺され、銃剣で刺し殺され、あるいは、殴られて死んだ。逮捕された者は拷問され、109人の女性がレイプされた。さらに兵士たちは、大量殺戮を隠すために、病院の霊安室から死体を盗み、ひそかに埋めたのであった。
 このデモは、2010年1月に予定されていた大統領選挙にCamaraが再び大統領に出馬することに抗議するものであった。集会の場になったコナクリのスタジアムは、1958年9月28日、ギニアのフランスから独立記念日にちなんで命名された。このスタジアムは、悪名高いCamp Boiroに続く大量殺戮と拷問を象徴する暗黒の記念日になってしまった。
 殺戮の責任者は、Camara“自称”大統領をはじめ、内務相のTiegboro Camara大尉、Jean Claude Pivi大統領府警護相などが挙げられる。しかし、Camaraは自分の責任を、兵士や野党のせいにした。「国家元首でさえこのような動きをとめることが出来ない」と記者会見で語った。

 2.クーデターによる政権奪取の歴史

  9ヵ月前の08年12月、Camara大尉は、独裁者Lansana Conte(中尉)大統領の死去後、日を置かずに、無血クーデターによって大統領の座についた。Camaraは、最初のうちは、人々に期待された。それには、彼が若い頃、外国(ドイツ)で軍事訓練を受けていること、そして、前任者Conteのクーデターには係っていないことなどが上げられる。
大統領に就任後、Camaraは、腐敗と闘い、Conte前大統領に近かった将軍たちを退任させ、麻薬の取引を取り締まった。しかし、人びとの希望は3ヵ月と持たなかった。彼が大統領にふさわしくないことが明らかになった。

 3.ギニアに対する制裁

 今回もまた、アフリカ連合(AU)や国連などが、軍事クーデターの首謀者の殺戮行為に対応することが出来なかった。折から開会中の「国連人権理事会」は9月28日の殺戮のニュースが入ってきても、何の手段も講じなかった。人権理事会はセッション最後日にニュースが入っていたので、決議を起草し、調査団を結成するひまがなかった、と弁解している。
 ついで国連は、AUに問題を丸投げした。しかしAUも「暴力を悲しむ」という声明を出しただけで、問題を「西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)」に再度丸投げした。ECOWASは、ブルキナファッソのBlaise Compaore大統領を仲介者に任命した。しかし彼は、コナクリに数日滞在しただけで、公的な報告書を出さなかった。
 こうして国連の人権理事会は、事件そのものを忘れてしまった。
 しかし、国連には事務総長が個別の国に働きかけることが出来るというルールがある。これはダグラス・ハマショールド事務総長時代に導入されえた外交手段である。その結果、フランスのBernard Kouchner外相が国連の調査団をギニアに送ることを提案した。彼は以前、ビアフラ戦争の時、赤十字で働いたことがあるので、アフリカに関心が深い。しかし、国連調査団は現地で600人にインタービュしたのだが、その報告書は、すでにNGOが報告していること以上のものではなかった。報告書は、事件が軍事政権側によって、計画され、組織的に行なわれたものであったことを強調している。
 今のところ、アフリカの賢人を代表者とする国際調査委員会による裁判が予想されている。この「アフリカの賢人」とは誰か。当然、セネガルのAbdoulaye Wade大統領の名が出てくる。しかし、彼は、Camaraを「私の息子」と呼び、リビアのカダフィと並んで、唯一Camara政権を承認している国だ。これでは果たして正義が行なわれるだろうか。
 ギニアは、天然資源に恵まれた国である。EUは、前任者Conte政権に対して援助を止めてきた。しかし、それは、独裁政治に対する外部からの圧力にならなかった。