世界の底流  
ウルグアイ元ゲリラが大統領に

2010年1月21日

1.大統領選挙でムヒカ候補が勝利

 昨年11月29日(日曜日)、南米のウルグアイで行なわれた大統領選挙の決勝戦で、右派のルイス・アルベルト・ラカジェ国民党候補を破って、与党の「拡大戦線(FA)」のホセ・ムヒカ候補が52%の票をとって勝利した。大統領の任期は5年、再選はない。
 大統領選挙は、かつてない激しい雨が降り続き、洪水のために6,000人が家を失うという自然災害の最中に行なわれた。ウルグアイでは選挙は義務制であるのだが、それでも、人びとは雨の中を投票所に赴いた。
 ウルグアイでは、20世紀初頭以来、軍事政権時代の一時期を除いて、政権を握ってきた親米右派のコロラド党を破って、2005年、「拡大戦線」のタバレ・バスケス政権が誕生したのであった。バスケスは「拡大戦線」のなかの社会主義党のリーダーであった。
 「拡大戦線」は、1971年、都市ゲリラ「ツパマロス民族解放運動(MLN-Y)」が攻勢を強めていた時期に、コロラド党の左派が党を脱退して、左翼勢力、民族主義者などを結集した幅広い統一戦線政党である。長い歴史を持ち、新米右派のコロラド党と対決してきた。都市ゲリラのツパマロス民族解放戦線も、早くも72年には「拡大戦線」支持を打ち出していた。
 そして100年ぶりに誕生したバスケス政権は、中道左派の路線を取り、経済の安定化や貧困根絶に力を注いだ。その結果、前政権時代の04年には30%だった貧困率を、20%にまでに引き下げたのであった。そして、絶対的貧困率に関しては、4%から1.5%に好転させた。失業率については、02年には21%であったのが、今日では8%に下がっている。
 このほかに、「Plan Ceibal」の成功がある。これは、ウルグアイの小学校の生徒すべてにラップトップのコンピュータを持たせるというプロジェクトである。これを中学校に広げようとしている。
 また政府の成功例の1つに「税の改革」がある。これは中流と上流層に税負担を重くして、収入の再分配を狙ったものである。
 ムヒカ候補に投票した人びとは上記のような「拡大戦線」の政策を支援している。
 ムヒカ政権も、これまでの「拡大戦線」政権の政策を引きついでいくことになる。ムヒカ政権が実際に誕生するのは今年3月1日である。ムヒカ政権はバスケス政権の政策を継承するといっているが、とくに社会正義に重点を置き、20万人雇用創設を目指している。

2.ホセ・ムヒカとは

  今回大統領選に勝利したムヒカは、これまで25年間、上院議員をつとめ、バスケス政権では農業大臣であった。しかし彼は与党「拡大戦線」の中でも極左派に属していた。
ムヒカは、1960年代から70年代にかけて、ウルグアイに吹き荒れた南米最強といわれた都市ゲリラ「ツパマロス民族解放運動」の若いリーダーの1人であった。
 そして、1973年軍事クーデタが起ると逮捕され、以後軍事政権が崩壊する1985年までの13年間、獄中にあった。
 85年、民主主義が回復し、自由の身となったムヒカは、その後の25年間国会議員という政治家生活を送ってきた。そして、「拡大戦線」の中で、極左政治勢力の強化に努めてきた。
 ムヒカ大統領は、豊富なボキャボラリーを駆使した大胆な発言、カデュアルなスポーツ・ジャケットを好んでいる。これは温厚な紳士肌のバスケス前大統領と対象的である。
 投票が終わった日曜日の夜、ムヒカは、コロンビア・ホテルの前に設えられた演壇に立って、雨と風の中を集まった群衆に向かって、「私は、かつて戦士であったので、激しい言葉を使うこともあるだろうが、許して欲しい。そして皆とともに明日から行進しよう」と語った。
 一方、彼自身は、首都モンテビデオの郊外に小農園を持ち、花を栽培している。大統領になってもこの農園に住むといっている。彼は、大統領の給料でもって、農業学校を建てる計画だと語った。
 ムヒカ大統領は隣国アルゼンチンのキチナー元大統領夫妻となかが良かった。そしてベネズエラのチャベス、ボリビアのモラレスなど左派の大統領とも親しい。しかし、彼は繰り返し、「ブラジルの中道左派ルラ政権がモデル」といっている。