世界の底流  
コペンハーゲンCOP15を終えて(その7)

 

第3回「森林Day」について

 折からコペンハーゲンで開催中の国連気候変動枠組み条約(UNFCC)締約国会議(COP15)に並行して、2009年12月13日、同じ会場で第3回「森林の日」の議論が行なわれた。国連には、86年以来、日本の横浜に本部を置く「国際熱帯木材機関(ITTO)」が存在する。
 「森林の日」会議は、デンマーク政府、インドネシアに本部を置く「国際森林研究センター(CIFOR)」、それに2000年に設立された森林に関連する14の国際組織による「森林に関する協調パートナーシップ(CPF)」の3者が共同で開催した。
 これには、「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」のRajendra Pachauri議長、デンマーク、英国、ベトナムなどの閣僚、多くの政府代表、ブラジルのアマゾン州知事、NGO、先住民組織、企業など約1,600人が出席した。
 わずか1日間だったが、森林の「緩和」「適応」「劣化」についての3つの分科会に分かれて討論された。最後に、それぞれの分科会の結論をデブアUNFCC事務局長に提出して終わった。

「森林の日」の歴史
 2007年、パリで発表されたIPCCの第4次評価報告書では、CO2の排出量の中の25%は地球のエコシステムによって吸収されているにもかかわれず、1990年の10年間に、森林破壊、土地利用の変化によって、排出されたCO2は、これまでの人類史上総排出量の20%に上ったと述べた。
 森林は、あらゆる災害から人類を守ってくれる。とくに温室効果ガスを吸収し、生物多様性を守り、水の循環を保全する。森林破壊と劣化を減らし、森林を改善するのは、気候変動に対する「緩和」と、「適応」にとって最も重要なことである。
 UNFCCCでは、森林はCO2排出を吸収するものとして、加盟国政府は、自国のCO2排出量を測り、同時に土地利用の変化と森林の状況を報告しなければならない。京都議定書では、議定書締約国はそれぞれの排出削減の目標を定め、土地利用の変化、森林活動を報告することが義務づけられている。過去50年間森林でなかった土地に植林、また森林破壊によるCO2排出量などを報告する義務がある。
 京都議定書に盛り込まれた「クリーン開発メカニズム(CDM)」では、日本、ヨーロッパなど議定書締約国は、途上国で行なった森林破壊阻止や森林再生プロジェクトを削減に加算してもよいことになっている。勿論、すべてを削減値に加えることは出来ない。
 2005年8月、カナダのモントリオールで開かれたCOP11では、パプアニューギニア、コスタリカその他8カ国の提案により、途上国の森林破壊による排出の削減問題がUNFCCC新しい議題に加わった。2006年7月ローマで、それに翌2007年3月、オーストラリアのケアンズでそれぞれワークショップが開かれた。さらにバリ島で開かれたCOP13では、COP13の「バリ行動計画」の中に、「途上国における森林破壊と森林劣化によるCO2排出の削減策」と「森林保護、持続可能な管理」、それに「森林がCO2をより効率よく吸収するために、積極的な措置をとる」ことが盛り込まれた。
 このバリ島のCOP13で平行して開かれたのが第1回「森林の日」であった。以来「途上国における森林破壊と森林劣化によるCO2排出の削減策」を略して「REDD」と呼ぶ。
 その後の交渉では、途上国の森林の回復、CO2吸収の効率化の努力を補償する資金的メカニズムについての議論が続いた。
 第2回「森林の日」はポーランドのポズナンで開かれたCOP14に並行して開かれた。
コペンハーゲンの第3回「森林の日」には、クリントン元大統領がビデオメッセージを送ってきた。その中で、クリントンは、森林政策が森に住む先住民の生命を脅かすことにならないよう、警告した。

 COP15の交渉では、すでに第1週目に、森林破壊について、他の問題に比べて、比較的スムースに交渉がまとまった。多分、コペンハーゲンで唯一、また具体的なテーマであっただろう。この場合、森林、特に熱帯雨林に加えて、CO2を吸収するものとして、ピートモス地帯、沼地、湿地、草原地帯も付け加えられた。
 環境保護運動は長い間、森林、説くに熱帯林がCO2のすぐれた吸収源であるので、森林破壊に対して補償金を払うべきだというキャンペーンを続けてきた。熱帯雨林の破壊によるCO2の排出は、グローバルな全排出量の20%に達している。
 以後は、@ 森に住む先住民の権利の保障、A どのように森林を規定するのか、などといった残された問題について交渉がある。
 先進国がREDDのために拠出する資金は貧しい国にとって、環境回復に使うことが出来る。京都議定書の段階では先進国が企業によるCO2排出をどのように削減するかという問題であった。今回、森林問題が加わったことは、1つの前進であったといえよう。