世界の底流  
2011年世界社会フォーラムについての情報

2010年8月14日
北沢洋子

1.『ウィキリークス』のリーク文書

 7月25日(日曜日)午後5時、インターネット系組織『WikiLeaks.org』は、92,000件にのぼる米国防総省の機密文書を「アフガニスタン戦争日誌」のタイトルでインターネットのウェッブサイトに掲載した。それには、ブッシュ政権からオバマ政権までの2004年1月から2009年12月までの6年間、アフガニスタンで米軍とNATO軍が何千人もの民間人を殺し、タリバンの戦闘能力がいかに高まっているか、またパキスタンがタリバンを支援している様子など、これまでマスメディアで報道されることがなかった情報が日誌風に載った。この文書のほとんどは、一つの軍事行動が終わった直後に、兵士自身によって、あるいは書き書きしたものである。
 これは米軍事史上、最大の機密のリークとなった。

  この文書は、国防総省のデスク・スタッフや戦地の米軍がアフガニスタン戦争について報告した知られざる内部機密事情や事件が含まれていた。一口にいって、これはすでに9年目に入った米軍やNATO軍のアフガニスタンでの戦闘の日誌である。この間、米兵1,000人、英兵320人が命を落とした。

同ウエッブサイトの創設者であり、編集長でもあるジュリアン・アサンジュ(Julian Assange)は、7月26日、ロンドンで記者会見を行い、機密文書の公表は、「政府の反倫理的な行為を暴露することにあり、これまで、米軍やメディアが報道してきたことよりも、現実ははるかにひどいものであることが明らかになる」と述べた。

  今回の「ウィキリークス」の暴露文書は、巨額の戦費と米兵の命を「オバマのベトナム」と呼ばれる泥沼化したアフガニスタン戦争に対する人びとの疑問を、確信に近いものにすることにつながったと言えよう。そして、また米国とNATO同盟軍にとって、今後、アフガニスタン戦争について政府のブリーフィングや議会での公聴会がどれほど困難になるか、予想もつかない。
  これは、1971年、ベトナム戦争の政策決定過程や戦況分析をまとめた47巻の機密報告書『ペンタゴン・ペーパーズ』が、ダニエル・エルスバーグ元国防総省分析官によって『ニューヨークタイムズ』紙に暴露された事件に匹敵する。この「ペーパー」の暴露は、米軍のベトナム撤退のきっかけとなった。
  2004年9月6日、エルスバーグは仲間とともに、「Truth Telling Coalition」という組織を設立し、政府の役人に対して、真実をリークするよう呼びかけていた。エルスバーグは、今回の「ウィキリークス」の行為を賞賛している。
   「アフガニスタン戦争日誌」は、『ウィキリークス』のウェッブサイトに掲載されると同時に、その中の1部は『ニューヨークタイムズ』紙、英『ガーディアン』紙、それにドイツの週刊誌『シュピーゲル』の3つのメディアに掲載された。『ニューヨークタイムズ』紙は、7月26日、6ページにわたって掲載した。
 これは、ブッシュ大統領がイラク侵略を決めたとき、どのように情報を操作したかを明らかにした、5年前の英国のリーク文書「Downing Street Memo」を米メディアがボツにしたという苦い経験があったので、安全のため、複数の国の複数のメディアに同時発表したのであった。
  アセンジュによれば、ロンドンで、これら3メディアの協力でもって、この文書を数週間にわたって検証し、本物と確信したので、公表したと言う。オバマ政権も、「これが本物でない」ということを慎重に避けている。そして「何も新しい情報は入っていない」と言いながら、一方では、このリークは、「米軍を危険に晒す」と言っている。
 『ニューヨークタイムズ』紙は、記事掲載に先立って、情報の正確さを確かめるために、独自に現地で取材したと言っている。後に述べる「Combat Outpost Keating」の記事は、『ニューヨークタイムズ』の国際版である『International Herald Tribune 』紙が7月28日に報道したものである。
 『ウィキリークス』は、このような機密情報の公開は、これが「公共の利益になると判断したときに限られる」と言っている。そして、文書のなかで「機密」と書かれているものでも、兵士の命や対テロ作戦に危険を及ぼさない比較的低度の機密事項の公開に限った。長い時間をかけて、インターネットの専門家たちが、文書に載っている個人名、とくにアフガニスタン人の協力者の名前を、彼らの身の安全を守るために消去作業を行なった。同じ理由から、さらに15,000件の文書を公開しないことにした。『ウィキリークス』は、この15,000件を含めて、「アフガニスタン戦争日誌」のノーカット版を、将来、危険がなくなった段階で発表する、と言っている。
  なぜこんなに慎重であるのかと言うと、『ウィキリークス』を批判する人たちが、「アフガニスタンでの作戦を失敗させたり、米兵、NATO軍、アフガニスタン人協力者を危険に晒すことになる」と批判しているからだ。また、「米国科学者連盟」の「政府機密文書プロジェクト」のSteven Aftergood代表は、ブログに、「WikiLeaks」はプライバシイの保護や公共の利益を無視した「情報バンダリズム(野蛮)」だと批判しているからだ。

2.アフガニスタン戦争の実態

  『ウィキリークス』の情報は、米国が、9年もの間、3,300億ドルを使って遂行してきたにもかかわらず、タリバンの勢力が戦争前よりも強くなっているのはなぜかという疑問を明らかにした。与党民主党のマクバガン下院議員(マサチュセッツ州選出)は、情報暴露によって「パズルが出来上がったら、そこには美しい絵はなかった」、そして「アフガニスタンはひどく醜いことになっている」と語り、「ホワイトハウスは米国内の反戦感情を過小評価している」と批判した。
  世論の支持を得られない戦争への苛立ちは、現地の米軍の中にも蔓延している。これが今回の情報流出につながったという見方もある。またマクリスタル前司令官が『ローリングストーン』誌に語ったオバマ批判もその一連の事件ではないか。
  オバマ大統領は、2011年7月にアフガニスタンから米軍撤退を始めると公約している。そして新しく任命された米・NATO軍のペトラウス最高司令官も戦況を変えようと努力している。しかし、アフガニスタン政府、警察、軍隊ともにとうてい頼れない。それにパキスタン軍が非協力であるばかりか、タリバンを支援しているのではないか、疑わしい。
  『ウィキリークス』の暴露文書は、最近まで、アフガニスタン戦争は二流の戦争であり、資金、軍隊、関心ともに多く、イラクに向けられていたことを物語っている。
文書はしばしば、口述筆記の形をとっているのだが、米軍はいくら熱心にアフガニスタン軍を訓練しても報われないと嘆いている。
  これまで隠されていたアフガニスタン戦争の主な実態は以下の通り。

 @タリバンは、ポータブルの高性能赤外線誘導対空ミサイルStingerを備えている。
これはいままで公表されていなかった事実である。そして、これは、1980年代、ムジャヒディーンがソ連軍を敗退させた武器であった。

 A米軍は「Task Force 373」のような秘密コマンド部隊をしきりに使っている。
これは特別な作戦に使う「死の部隊」で、「ジャッカルの落とし穴」などといった派手な名前の作戦を行なってきた。これまでに、約70人のタリバンの司令官を、裁判にかけることなく捕虜、または殺害したと発表している。しかし、これらの作戦で成功したものは少なく、多くは民間人を殺してしまい、アフガニスタン人の反感を呼んだ。

 B米軍は、敵軍の偵察とターゲットの攻撃に、ますます無人飛行機に頼っている。
これは米本国のネバダ州の基地から遠隔操作している。しかし、米軍の報道とは違い、成果が上がっていない。タリバンに撃墜されたり、互いに衝突したりしている。また無人飛行機に搭乗してある武器をタリバンが押さえる前に、米軍は危険な残骸の回収作戦を強いられている。このような事件はすでに144件にのぼる。

 CCIAは、現地の民兵組織を使った作戦を拡大させている。
その内容は、奇襲攻撃、空爆、夜襲などである。そのため、CIAは、2001年〜2008年の間、アフガニスタンの情報機関の予算をまかない、事実上下部組織のように扱ってきた。

 D誤って民間人を殺した例では、2008年フランス軍が大勢の子どもを乗せたバスを襲撃し、8人を殺してしまったこと。
また、米軍も同じようなバスを銃撃して、15人の死者を出した。2007年8月16日、ポーランド軍が、道路脇に仕掛けられた電磁パルス(TED)爆弾で被害を出したことの報復の目的で、村を砲撃し、結婚式の参列者を殺してしまった。その中には、妊婦もいた。これは、「ポーランド軍のミライ(1968年ベトナム戦争で米軍がMy Lai村人をみな殺しをした事件)」と呼ばれる。

英軍の例もある。カブール市街で、2007年10月、11月のわずか1ヵ月間に4回
も銃を乱射した。犠牲者の中に、アフガニスタン将軍の息子もいた。米軍当局は、「英軍が捜査しているので、米軍は手を出すことが出来ない」と報告している。

  『シュピーゲル』誌に掲載された記事によると、2007年6月17日、米軍の特殊部隊が、アルカイダのリーダーが隠れているというコーラン学校にロケット弾5発も打ち込んだ。ほこりが収まった後で調べたところ、アルカイダの死体はなく、6人の子どもの死体が瓦礫の中で見つかった。

 E 「アフガニスタン戦争日誌」の中で、最も衝撃的なリークは、パキスタンの軍情報部(ISI)がタリバンの共犯者である、という点である。
情報部はタリバンの司令官たちがパキスタン領内で軍事評議会を開いたときに同席しているし、2008年8月、カルザイ大統領の暗殺未遂事件など、多くの暗殺計画に関与した。Hamid Gul 前ISI司令官は、タリバン援助に決定的な役割をはたしたと言われる。そればかりでなく、彼は「タリバンの司令官の1人」とも言われている。Gul 将軍は、自爆テロを命令し、そのための武器を供給した。

このようなISIとタリバンの関係が暴露されると、これまで米国がパキスタンに何十億ドルもの援助をしてきたことの是非が問われるであろう。

 F戦争の初期、米軍がアフガニスタン戦争の見通しと人心の掌握を、あまりにも楽観的、無邪気に考えていたことがわかる。
全体として、米政府と米軍は、これまで情報をかなり操作してきたことが判る。例えば、同じ情報でも、タリバンが米軍のヘリを撃ち落とした時に使った対空ミサイルを、通常兵器の迫撃砲と言ったりした。これは情報のねぎ曲げたと批判されたが、ホワイトハウスは、「オバマ政権が情報をミスリーディングしてきた」という非難に対して、強く反発した。

また『ウィキリークス』の情報は、残念ながら30,000人の増派と新しい対ゲリラ戦略が採択された2010年の日誌をカバーしていない。

3.「アフガニスタン戦争日誌」の中の一例

 『ウィキリークス』の「アフガニスタン戦争日誌」は、人びとが抱いていた戦争の実態がいかに誤っていたかを生々しく伝えている。
 一例を挙げると、「Combat Outpost Keating」と名づけられた小さな米軍基地のフィールド調査を例にとって見よう。この基地は、2006年、パキスタンとの国境に近いヌリスタン州の深い森、高い山、急な渓谷に囲まれたKamdesh地区に設営された。
 ここの住民はよそ者に対する警戒心が強いことで知られる。米軍は、@地域の住民の中にカブールの中央政府の同調者になる人を見つけ出すこと、A国境での不穏な人の動きを阻止し、B反政府ゲリラを鎮圧する、という任務を与えられた。このような小さな基地は、とくにパキスタンとの国境沿いに多く点在していた。
 しかし、少人数のために、基地の防衛と地域のパトロールを同時に行なうことが出来ない。ましてや、反政府ゲリラを鎮圧することなどに手が回らない。
 しかし、最初の頃の2006年12月には、威勢のいい報告をしていた。「子どもたちに、鉛筆、ノート、消しゴム、鉛筆削り、そして礼拝に使うじゅうたんや冬用手袋などを配ったので、住民との話し合いはスムーズに行なわれた」と報告している。
 しかし、2007年2月17日、『ウィキリークス』の報告書によれば、アフガン兵の制服を着たゲリラが、基地への補給トラック3台を襲撃した。アフガン人運転手はケガをしたが、耳を切り落とされただけで、殺されなかった。
 そして同年4月29日には、「Mujahedeen」と名乗る男たちが、モスクに夜中、一通の手書きの手紙を投げ込んだ。それには、米軍基地の同調者の名前が記載したあった。翌日、村の評議会メンバーの一行が並んで渓谷の道路を走っていた時、その中のFazal Ahad 議長の乗用車を止めさせた。残りの人びとは車で逃げたが、その時、背後で銃声を聞いたという。後に、Fazal Ahadの死体が発見された。
 これらの小規模基地は、山の中腹にあり、山頂からの攻撃にさらされやすい。基地の出入りは待ち伏せ攻撃に弱い。そこで米兵の移動や基地への補給をヘリに依存しなければならないが、これも地上からのスナイパーの餌食になりやすい。それに、アフガニスタンでは運搬用ヘリは圧倒的に不足している。
 2009年10月3日、この基地に対して、少なくとも175人の反政府ゲリラが、ロケット砲、迫撃砲、重機関銃などで一斉攻撃を加えた。40分後に、やっと、F−15戦闘機、攻撃用ヘリや援軍の兵士が到着し、この基地の壊滅を免れることが出来た。
 この事件は、まさにアフガニスタンでの米軍の苛立ちと失敗を象徴することになった。それは、米軍兵士の士気低下、アフガン人の非協力、それに加えて、反政府ゲリラの戦闘意志、そしてそれを支える戦闘能力の向上を示しているからである。「Combat Outpost Keating」は、他の同じような小規模基地群とともに閉鎖された。

4.『ウィキリークス』とは

 『WikiLeaks.org』は、2006年、ジュリアン・アサンジュと欧米のジャーナリストや中国の反体制派などと立ち上げたウェッブサイトである。これは、匿名で政府や企業にかんする機密情報を公開している。ウェブサイトは無料である。
  これまでに米軍のグアンタナモ収容所の運用マニアル、米大統領選挙での共和党の副大統領候補だったサラ・ペイリンのメール、未公開映画の台本など政治、経済、文化にまたがる幅広い情報が『ウィキリークス』のウェッブサイトに掲載されてきた。これまでに提供された秘密の文書や映像は100万件以上にのぼる。
  アサンジュは、「世界の人口100万以上の国で、何らかのリーク情報がもたらされている」と語った。彼はヨーロッパの数カ国にまたがって活動している。彼は、今年7月27日、ロンドンでの記者会見で、「米政府がスパイの共同謀議として起訴すると脅かしている」と語った。この場合、1917年の「スパイ法」違反ということになる。これは極めて重罪である。しかし、法律家の間では、「外国に住んでいる外国人」にスパイ法は適用されないという説と、1985年のケースでは「適応される」という説がある。
  現在、アサンジュの弁護士たちは、彼に米国に入国しないようにというアドバイスしている。
これまですでに『ウィキリークス』はいくつかの決定的に重要な情報を暴露してきた。 例えば「アフガニスタン戦争日誌」暴露の3ヵ月前に、米軍のアパッチ型攻撃ヘリが、2007年に、バグダッドで民間人を攻撃した模様を写したビデオを公開した。『ウィキリークス』は、「付帯殺人」と名づけたこのヘリ攻撃のビデオ17分に編集したのだった。このヘリ攻撃では、ロイターの記者とカメラマン2人を含めて12人の民間人が死亡した。この事件は、『ウィキリークス』の名を世界中に知らしめた。
 この件では、イラク派遣の米軍情報分析官Bradley E.Manning上等兵が逮捕された。彼はイラクの米軍基地でコンピュータから情報をダウンロードし、それを『ウィキリークス』に送ったと疑われている。さらに彼はは、15万通にのぼるイラク戦争の外交機密通信をリークした疑いでも逮捕された。
 『ウィキリークス』は情報の出所については明らかにしていないが、Manningの裁判費用を支援すると言っている。今回の「アフガニスタン戦争日誌」をリークしたのも彼が関与しているのではないか、と疑われている。
 彼は、現在、バージニア州の米軍基地に監禁されている。もし有罪となれば、52年の刑が言い渡されるかも知れない。ホワイトハウスはManing を裁くより、ヘリ攻撃した者を、「戦争犯罪者」として裁くべきだ。
 これ以前にも、『ウィキリークス』は「Reykjavik13」と呼ばれるアイルランドの金融危機を暴露した通信を掲載した。
 『ウィキリークス』に大量のリーク情報が集まるのは、複雑な暗号技術を導入して、提供者の身元がばれないようにしているからだ。データを保有するサーバーは世界中20ヵ所以上にあり、ウェッブサイトの住所に当たる「ドメイン」も100以上用意されている。1つのサイトが攻撃されたり、閉鎖に追い込まれたりしても、新しいサイトがすぐに立ち上がる。このため、中国政府などの厳しい検閲などもすり抜けられる。
 いったんリーク情報が持ち込まれると、調査報道にたけたジャーナリストたちと協力して内容を吟味し、本物と確信できたものを公開する。
 創設者のアサンジュは、オーストラリア生まれで、39歳、少年時代からコンピューターに夢中になり、政府や企業のネットワークに侵入する「天才ハッカー」になった。
 20歳の時、20件の不正アクセスの容疑で裁判にかけられた。そのときの検察官は彼のことを「あらゆる人がすべての情報にアクセス出来るべきだ、という信念を持っている」と語った。
 『ウィキリークス』を創設する前、アサンジュはカルフォルニアのシリコン・バレーの会社に勤めており、パロアルトのプール付の家に住んでいた。アサンジュは、なぜこのような贅沢な生活をあきらめたかということについて、「人生は1つしかない。それだからこそ、生きている時間を有意義に使いたいからだ」、そして「私はこの仕事を楽しんでいる」と語っている。
『ウィキリークス』の資金の大半は寄付でまかなわれている。事務所は持たず、活動はアサンジュほか数人の常勤者、約1,200人の世界中のボランティアで運営している。

5.アフガニスタン戦争の行方

 『ウィキリークス』のウェッブサイトには、「政治の透明化をはかることが、汚職を減らし、健全な政治とより強い民主主義をもたらす」と設立の理由が記されている。
 米軍の30,000人増派がほぼ終わりつつある今日、タリバーンの攻勢は激しさを増している。その結果、米兵の月間死者数は6月、7月(66人)と2ヵ月連続で過去最大を更新している。また自殺者の数も昨年は、過去最大になった。そして、9年に及ぶアフガニスタン戦争を支持する世論は、最近のロイター通信の調査によれば、30%台に下落している。
 そして、アフガニスタン戦争が低迷している時、また米兵の戦死者増加している時に、『ウィキリークス』の「アフガニスタン戦争日誌」の暴露によって、フガニスタンに米軍が駐留することについてのあらゆるレベルでの論議が早まってしまった。ホワイトハウスでは、個人的にだが、アフガニスタン政策に疑問を投げかけるスタッフが増えている。
 米議会では、今年7月27日、『ウィキリークス』の暴露によって民主党議員の中に戦争反対の票が増える前に、そそくさとイラク、アフガニスタンの2つの戦争の追加予算330億ドルを308票対114票の圧倒的多数で可決してしまった。(すでに、今年5月に、1,593億ドルの軍事予算を可決している)これには、160人という多くの共和党議員が賛成に回り、102人の民主党議員が反対に回った。明らかに、彼らは『ウィキリークス』に影響されたと言えよう。、
 上院では、同じ7月27日、オバマ大統領がイラクとアフガニスタンでの総司令官に任命したJames N. Mattis将軍についての公聴会を、そそくさと開催して、承認した。
オバマ大統領にとって、彼のアフガニスタン戦争戦略について、少なくとも今年末まで、世論と議会の支持を取り付けたいところであった。しかし、これは『ウィキリークス』によって、困難になった。
 そして、オバマ政権もまた、ブッシュ政権と同じ論理を唱え始めた。ホワイトハウスのギッブス報道官は、7月26日の記者会見で「9.11はこの国で起こった。したがって、アフガニスタンを再びテロリストの天国にしてはならない」と語った。
 『ウィキリークス』のリーク情報は、NATO同盟諸国にも影響を与えた。英国とドイツの議会は、戦争についての調査を加速することを要求した。9,500人の軍隊を派遣している英国では、2015年までに撤退することになっている。
 4,500人を派遣しているドイツでは野党の「左の党」が即時撤退を主張している。とくに『ウィキリークス』の中で、タリバン司令官たちを暗殺するための米軍の「タスクフォース373」とドイツ軍の精鋭部隊「タスクフォース47」とが協力関係にあるという記述が、議会で問題になった。ドイツ議会は、アフガニスタンの安定を壊すような作戦には参加できないことになっている。『ウィキリークス』では、米軍の「タースクフォース373」は、ドイツ軍が駐留している「Masari-i-Sharifキャンプ」に 駐屯している、と書いてある。これはドイツ軍に認められた権限を大きく逸脱している。
 アフガニスタン政府は、カルザイ大統領の談話として、『ウィキリークス』に載っているアフガニスタン人の協力者の名前があることについて、「無責任な行動で許すことは出来ない」と非難した。
 アサンジュは、エルスバーグの「ペンタゴン・ペーパーズ」時代と決定的に異なるのは、
インターネットである、と言っている。インターネットは、瞬時に、大量の文書を、世界中の人びとに伝えることが出来るという利点がある、と言っている。しかし、今回、『ニューヨークタイムズ』紙などのマスメディアを使ったのは、最大限に『ウィキリークス』を宣伝するためだった、とも言う。

「ウィキリークス」のウェッブサイトは;
http//leakmirror.wikileaks.org/file/straw-glass-and-bottle/afg-war-diary.htm.7z