世界の底流  
アフガニスタンのマルジャ掃討作戦
2010年3月5日

1.マルジャ掃討作戦の開始

  今年2月9日、アフガニスタン南部ヘルマンド州のマルジャに対して米海兵隊4,000人、英軍4,000人とアフガン軍合わせて1万5、000人の連合軍がタリバンの掃討作戦を開始した。アフガン軍は7,000人、約半数を占めた。
 ペンタゴンは、2月25日、戦闘がはじまって以来はじめて、マルジャにAbdul Zahir Aryan町長が行政府の樹立を祝って、アフガン国旗を掲揚した。
  これは「ムシュタラク(パシュトン語で「共同」の意味)作戦」と名づけられた。
  このマルジャ攻撃は、オバマ大統領が、昨年12月、3万人の増派を決定して以来の大規模作戦となった。多分、2001年、米軍がアフガニスタンに攻め込んで以来、はじめての大作戦であっただろう。
  マルジャ攻撃が始まるかなり前から、ペンタゴンはアフガン軍との共同作戦であることを、大々的に報道した。「アフガン軍の戦闘能力が高まった」ことを証明する、という。そして、この戦闘は、3万人を増派したオバマ大統領の「出口戦略」であることも宣伝した。
 人口50,000人、面積155平方マイルのマルジャは、アフガニスタン駐留のNATO連合軍司令官マクリスタル将軍によると、「タリバンの最後の拠点」だという。タリバンは、マルジャから、ヘルマンド州の州都ラシュカガに対してゲリラ攻撃をしていた、と同司令官はいう。また、マルジャはけしの産地でもあった。これがタリバンの資金源になっている、と言われる。
ワシントンのシンクタンク「治安と開発国際評議会」によると、タリバンはアフガニスタン全土の97%で活動している、と報告している。したがって、マルジャがタリバンの最後の拠点というのはおかしい。
 また、マルジャの10倍の人口を擁する南部のカンダハルは、タリバン発祥の地でもあり、米軍の大規模作戦の対象としてはよりふさわしい。マクリステル司令官は、マルジャにアフガン人の行政府が出来、そこに権限を委譲すれば、その次の攻撃目標は、カンダハルだといっている。その時期は、今年の夏以降だとも言っている。

2.非人道的な作戦

  「ムシュタラク作戦」の主力部隊は米軍の第1と第3連隊に属する海兵隊3個大隊であった。これまでの無人爆撃機やロケット砲によるハイテク戦争とは異なり、酷寒の中を、重武装した海兵隊が泥の地雷原を歩き、家から家へと掃討作戦を行なうという伝統的な歩兵戦であった。マルジャには多数の運河と灌漑の側溝があり、巨大な対地雷用タンクや装甲車は使えないからである。マルジャ攻撃では、アフガン兵よりもはるかに米海兵隊の死傷者の数は多かった。米軍がもっぱら危険なパトロール活動を行なったからである。アフガン軍は、情報収集、兵站の能力をつける必要がある。
  2010年2月16日付けの『ワシントンポスト』紙には、第1連隊の第6大隊の海兵隊Bravo中隊の戦闘日誌が載っている。それによると、2月15日、無人偵察機に搭乗した白黒ビデオが、ある家屋の中に十数人のタリバンがいることが判明した。しかし、その中に民間人がいないという保証はない。そこで、Bravo海兵中隊は空爆を止めるよう命令を下した。なぜなら、その前日、米軍の空爆で12人の民間人が死んだという前例があり、カルザイ政権に謝らねばならなかった。
  マクリスタル司令官によると、米軍はタリバンが支配している地域を大量の海兵隊で掃討し、しばらく軍を駐留させて復興作業に従事させた後、アフガニスタンの行政に町の支配を手渡すという戦略であった。
  米軍情報部は、マルジャでのタリバンの兵力を400〜1,000人、それに100人のアルカイダがいた、と言っていた。アルカイダにはチェチェン、パキスタン、ウズベック人が参加しているという。一方、タリバン側のスポークスマンは、2,000人の戦闘員がいる、と発表していた。しかしタリバンは、抵抗らしい抵抗をせずに、米軍の配備が手薄な西方のWasher、Farah、Nimroz州に避難した。
  マルジャでは、「ヒットエンドラン戦術」で米軍を悩ました。海兵隊Bravo中隊は、防弾チョッキを身につけている。しかし、首、腕など防護されていない箇所を狙い撃ちしてくる。それはAK47銃、しばしばプロペラ付きのロケット弾である。タリバンは優秀な射撃手を抱えているようだ。
  2010年3月3日付けの『IPS』通信によると、マルジャ攻撃の第1の目的は「軍事戦略というよりも、むしろ米国民の世論を操作するため」であったという。第2の目的は「米軍が住民をタリバンから守っている」ということを誇示することにあった。
  しかし、真の理由は、マルジャが戦略的に要衝であるということではなく、作戦が早くに軍事的、政治的勝利を生み出すということをアフガニスタン住民に知らせることになった、という。マクリスタル司令官によると、マルジャ攻撃は、「12ヵ月から18ヵ月と予測される戦闘の第1歩である」という。
  米海兵隊によるマルジャ攻撃は、2003年11月、イラクでの米海兵隊のファルージャ攻撃に似ている。イラクでは、市民を巻き込んだ攻撃によって、それまで、米軍をフセイン政権の独裁からの解放と捉えていた市民たちが、宗派の対立を超えて、ファルージャの義勇軍に参加した。ファルージャはイラク戦争の道義性を問う天下分け目の戦いであった。マルジャも同じようにならないという保証はない。

3.Little America

  マルジャはヘルマンド峡谷に位置する。昔は人が住んでいない、荒地であった。1950年代の王政時代、米政府が、当時の貨幣で1億ドルという資金援助を行い、この峡谷を開拓した。ヘルマンド川に沿って、運河や掘られ、灌漑設備が設けられた。
  開拓工事が完成したのは、1954年であった。約40万エーカーの農地が生まれ、綿花、小麦、とうもろこし、コメなどを栽培した。ヘルマンド峡谷の中心にあるマルジャは、「Little America」と呼ばれ、モデル地区となった、という歴史がある。
  今回、アフガニスタン戦争開始以来最大規模の攻撃がマルジャでおこなわれたのは皮肉なことである。