世界の底流  
G20サミットとは何であったのか?
2009年1月12日


 昨年11月15日、ワシントンに、G20国の首脳が「グローバルな金融危機に対処するため」に集まった。これはEUの議長国であったフランスのサルコジ大統領がワシントンに乗り込んで、EUの要請だとしてブッシュ大統領を説得し、開催させたといういきさつがある。
 このサミットで、金融危機に対する処方箋を提示したのは主としてEU側であった。EUは、事前にG20サミットに向けた具体的な提案を出した。11月5日、ブルッセルでEU蔵相会議を開いて金融危機の処方箋を決めた。
それには、(1)多国籍金融会社に対する独立した国際規制機関の設置、(2)IMFにリスク・コントロール機能を追加、(3)リスキーな金融産業に対する行動規範の設置、(4)格付け会社の規制の強化、(5)銀行の自己資本比率規定の統一化(Basel II)などが入っていた。
 これは、フランスが提案し、EU加盟国の同意を得たのだが、ただし、シティの反発を恐れた英国が留保したといういきさつがある。
ワシントンのサミットは、本来のG8に加えて、EU、オ−ストラリア、トルコ、中国、インド、インドネシア、韓国、サウジアラビア、メキシコ、ブラジル、アルゼンチン、南アフリカの11カ国・1地域が招待され、G20となった。
 11月9日、ワシントンのG20サミットの前に、ブラジリアで、G20の蔵相会議が開かれた。ここでは、G8以外の蔵相たちは、「議論に参加出来たのはコーヒーブレークの時だけだった」(08年11月10日付け『ファイナンシャルタイムズ』紙)とぼやいていたように、米国とEUの間の議論に終始した。
 ワシントンのG20サミットでは、上記のEU案に対して、もっぱら米国がブレーキをかけたのであった。米国は、EU案に対して、さまざまな「挿入句」や「条件」を加えることによって、限りなく弱め、実行性の乏しいコミュニケとなった。せいぜい、これまでの金融のあり方に反省を促すことにとどまった。
 議論のたたき台になったEU原案に沿って検討してみよう。

(1)「多国籍金融会社に対する独立した国際規制機関の設置」については、多国籍金融会社は「30〜40社」という少数に絞られてしまい、EUが主張していた「独立した国際規制機関」ではなく、関係各国の担当者による「監督グループ」を設け、「定期的に銀行と協議する」だけのことになった。
 金融危機の原因が、返済不能になる恐れのあるサブプライムローンを証券化して、他の債券に混ぜて、国際的に売りまくり、これに格付け会社が3Aをつけたことによって起こったことを考えると、このような権限も明らかでない「監督グループ」が、しかも銀行と協議するのでは、解決できるとは考えられない。
 EUは、「独立した」「国際規制機関」が設けられることによって、国レベルでの金融機関の規制が容易になると主張した。これにはIMFは全く役に立たない。十分な権限を持ち、プロフェッショナルなスタッフがいる国際規制機関でなければならない。とくに政治家やロビイストの圧力を受けないことが大事である。しかし、この2点については全く米国が受け入れないところであった。
 G20コミュニケの目玉となったのは、「すべての金融市場、商品、参加者に適切に規制・監督する」という合意点である。これまでヘッジファンドなどは、規制の対象外であったし、キャピタル・ゲイン(投資の儲け分)には無税、あるいは極度に低い所得税しかかけられていない。これを規制・監督の対象に加えたのだが、この場合も「適切に」という挿入句が入っていることによって、実効性を持たないものになった。

(2)IMFの機能に関しては、EUと米国は一致したようだ。IMFの改革と言っても、今回G8以外に招待された新興国の発言権と代表権を増やすことにとどまる。これまでのIMFは「最後の貸し手」としての機能だけしかもっていなかったが、今後は、IMFに早期警戒の機能を持たせることになった。しかし、IMFが加盟国すべての金融部門を含めた監視、マクロ政策に助言を与えることなど到底出来ない。97年のアジア通貨危機に際に、IMFが救済融資の条件として提出した処方箋が、どのような災厄をもたらしたか、記憶に新しい。
 日本はIMFに新たに1,000億ドルを融資すると発表した。

(3)リスキーな金融会社に対する行動規範の設置については、「行動規範(Code of Conduct)」自体に反対する米国の意向で、コミュニケから消えてしまった。これまで、規制の対象から外れていたヘッジファンドなの金融機関、商品、市場に対して「規制」をすることになった。しかし、これは法的な規制ではない。
 たとえば、米国の大手保険会社AIGが破綻した原因の「クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)」は、デリバティブ(金融派生商品)の一種だが、これまで取引所を経由せず、投資家どうしが直接売買していた。したがって、規制対象とならず、取引内容も明らかでなかった。これに対して、米国ではCDSの売買を仲介する「清算機関」を設置する方針を立てた。はたして、これによって、透明性が確保され、AIGの破綻が免れることになるかどうか、疑問である。
 これまでAIGは、多国籍企業であるにもかかわらず、州の監督下に置かれていた。これを連邦取引所の利用を「促進」していくことになった。なぜ「利用の促進」なのか。これは義務ではなく、違反行為にならない。
 金融機関のリスク管理についても、強化、健全化していくように政府は指導していく、となっている。これは単なる「行政指導」であって、これに罰則はない。
ウォール街やシティの報酬が億ドル単位の巨額なものであったことが取りざたされた。これについては、「過度に短期的な利益の追求にならないよう自主努力や規制を行なう」ことになった。「過度に」という挿入句や「自主努力」という意味のない表現によって、政府が果たすべき役割を放棄している。

(4)格付け会社の規制強化について。金融危機の引き金となったサブプライムローンを証券化した債券に3Aという高い格付けをした米スタンダード・アンド・プアーズ、ムーディーズ、Fitchなど「格付け会社」については、EU案では、「規制の強化」であったが、米国の反対により、「登録制」にすることにとどまった。
問題は、格付け会社が民間企業であり、金融機関から依頼され、報酬を貰って格付けを行なうという「利益相反」のジレンマにあるという点である。EUの「規制の強化」というレベルの問題ではない。はたして金融機関から独立した格付け会社が存在できるだろうか。

(5)内需拡大の財政政策について。これはG20が合意事項として、華々しく宣伝している点である。しかし、ここにも、「状況に応じて」という挿入句が入っており、国際的に協調する行動とはならない。G20以後、EU内で内需拡大に関する財政の出動について、きしみが出ている。

(6)G20コミュニケでは、「ドーハ・ラウンドを08年中に合意する」ことが謳われていた。これは全く無責任な文章である。G20以後、ジュネーブのWTO本部では、早々と「ドーハ・ラウンドの崩壊」を発表した。

(7)金融安定化フォーラムに新興国を加入させる案。
 このフォーラムは、アジア通貨危機以後、99年のドイツでのG7蔵相会議で設立された。メンバーはG7の蔵相、中央銀行総裁である。事務局がスイスのバーゼルにある国際決済銀行(BIS)である。
フォーラムは、あくまでも情報交換、国際協調を目的としており、実効性のある決定を行なうところではない。G20の新興国を参加させることによって、何らかの意味が生じるものではない。
 G20サミットは、09年3月末までに合意内容の肉付け作業を終え、4月に第2回のサミットを開催することを決めた。この間に米国ではオバマ政権が誕生する。これを待たなければ、何も決まらない、というのが現実だ。