世界の底流  
ペルーの「輝ける道」ゲリラが活動を再開
2009年1月21日

 中東カタールのケーブルテレビ『アルジャジーラ』の2009年1月17日付けインターネット版は、南米ペルーの反政府左翼ゲリラ「輝ける道」の活動が再開されたことを報じている。
 元米海兵隊員のJosh Rushing が、「ペルーのジャングルの奥深く、武装したマオイスト・ゲリラを追跡している」と言う。一方、Matthew Joganovich少佐は、「Ayacucho市内や近郊で行なっている米軍の作戦は一時的な人道活動である」「米軍は武装していない」と語った。これら米軍はCabitos 空軍基地からAyacucho市まで、ヘリで運ばれ、学校建設、診療所活動などを行なっているという。

 このような弁明にもかかわらず、ペルーの首都リマ南東数百キロも離れたアンデス山脈の町に米軍が駐留するということは、かつてここで米軍が行なったコカ栽培絶滅作戦の苦痛の記憶を思い起こさせるものがある。住民たちは、米軍(ヤンキー)帰れと言ってデモをしたし、ゼネストを呼びかけた。ペルー政府は、米軍が人道的活動を行なうのにふさわしい土地として、Ayacucho州を選んだといっている。しかし、Ayacucho 州を選んだ理由は、別のところにあると言われる。なぜならば、ここは「輝ける道(Sendero Lumino)」、つまり80年代、90年代の13年間に及ぶ内戦で3万人もの市民を犠牲にしたマオイスト・ゲリラの発祥地であり、とくに最近、活動を復活させているからである。
 Ayacucho市内のHuamanga大学は60年代から70年代にかけて共産主義者を排出した。この大学のAbimael Guzman哲学教授は「輝ける道」の創設者である。
 「輝ける道」の正式の名は、ペルーで最初に共産党を創設した「Jose Marateguiの輝ける道を歩む」である。しかし、実際にはGuzman の「輝ける道」は中国の毛沢東の路線に近い。Guzman教授は文革時代にたびたび中国を訪問した。そして、彼は「中国で政治運動だけでなく、武装闘争の重要性を学んだ」と語っていた。
 
 1992年、Guzmanはリマ市内のアパートで逮捕された。今年には73歳になるGuzmanは3回にわたって裁判を受けが、終身刑の判決を受け、現在、リマの北にある海軍基地内の厳重に守られた刑務所に収容されている。Guzmanの愛人Elena Iparraguirreも同じく終身刑となった。Guzmanの逮捕は「輝ける道」にとって大きな打撃であった。やがてゲリラは勢力を失っていった。そして、残った200人のゲリラがジャングルの中に消えたと、言われる。

 再び「輝ける道」の活動がニュースになった。
 2007年、「輝ける道」のゲリラがAyacucho市内で政府軍のトラックを襲撃し、銃撃戦で7人の民間人と12人の兵隊を殺した。同年9月にはJuninn 州のVizcatan市で戦闘が起こった。
 2008年10月11日、リマから東南250キロのHuancavallica州で、「輝ける道」のゲリラが、政府軍のトラックを襲撃した。この戦闘が起こった地域は、ペルーで最大のコカの栽培地ApurimacとEne峡谷であった。ペルーはコロンビアについで世界第2位のコカの生産国である。
 「輝ける道」の攻撃に対する報復として、政府軍は、「輝ける道」のゲリラ300人が潜んでいるとされるVizcatan ジャングル地帯で掃討作戦を開始した。