世界の底流  
海賊の国ソマリアはどうなっているのか
2009年2月1日


 1月28日、麻生首相は、アフリカ東部ソマリア沖の海賊対策に海上自衛隊の護衛艦の派遣を決定した。これは、憲法に照らすまでもなく、自衛隊の任務を規定している現行の自衛隊法3条にも違反している。防衛省でさえ、出動を渋っていたくらいである。(09年1月24日付け『朝日新聞』参照)
 そこで、麻生首相は、「これは、当面の応急措置」なので、3月に新法案を国会に提出すると言っている。憲法違反であることは、イラクへの自衛隊派兵と同様だ。しかし、今回は、「海賊」という国に準ずる組織とはとうてい言えない「犯罪者」の犯行に対して、自衛隊が出動し、戦闘をするというのだから、全く違法である。犯罪対策であるなら、海上保安庁という警察力で十分である。

1.米ソ冷戦下のアフリカの角

 「海賊」の本国はソマリアである。
 このソマリアは1991年1月、独裁者バレ大統領が政権の座を追われて以来、無政府状態の「失敗国家」が続いている。
 ソマリアは、「アフリカの角」と言われる地域にあり、紅海からインド洋への出口にあり、地政学的に重要な地である。
 地図を見ると、ソマリアは、隣国エチオピアの海への出口を囲むように塞いでいる。エチオピアは古代キリスト教国であり、ソマリアはイスラム教国である。エチオピアは、ソマリア人が多く住むオガデン地域を領有している。このようなさまざまな理由から、ソマリアはエチオピアと対立してきた。
 冷戦時代、米ソは、この「アフリカの角」をめぐって覇権争いを続けてきた。1963年、エチオピアのハイレセラシ皇帝が「アフリカ統一機構(AIU)」を設立したときは、米国が軍事・経済援助していた。ところが、1974年、クーデターで皇帝が打倒されると、ソ連がエチオピアを援助し始めた。かわりに、隣国ソマリアのバレ政権が、ソ連寄りから米国寄りの舵を切り替えた。
 しかし、1990年、社会主義のソ連が崩壊し、冷戦が終わると、米国もロシアも「アフリカの角」に対する興味を失った。地下資源もない貧しいソマリアは、大国の後見人を失って、「失敗国家」に転落した。ソマリアは、中央政府が消滅し、代わってさまざまな軍閥が分割支配した。

2.「イスラム法廷連合」の台頭

 米国は、ソマリアへの軍事介入では、手痛い失敗の経験がある。クリントン政権時代の93年10月、米軍が、軍閥の1人のアィディード将軍が根拠地としていた首都モガディシオに対して軍事介入を行なった。しかし最新鋭ヘリ「ブラックホール」が撃墜されて、米兵19人が戦死した。その中の米兵1人の死体が町中を引きずりまわされた。これが全米にテレビ放送され、1大センセーションをまき起こした。
 01年9.11以後、米国がアフガニスタン、イラク戦争に忙殺されている間に、ソマリアでは、イスラム師、氏族長、ビジネスマン、民兵、市民の有力者などが集まり、一種の法の秩序を確立する動きが出てきた。これは「イスラム法廷」と呼ばれ、各地に出現した。
 「イスラム法廷」は、イスラム法の「シャリア」にもとづき、よく組織され、規律が厳しく、能率がよいものであったため、ギャングの犯罪に苦しめられていた市民の評判が良かった。そして、05年、各地の法廷が集まって「イスラム法廷連合」が結成された。
 一方、04年、国連の名の下に、ケニアのナイロビで、ソマリア暫定政府が設立された。
 しかし、首都モガディシオに入ることが出来ず、西南部のバイドアに本拠を置いた。モガディシオの軍閥に近いAbdullahi Yusuf が大統領に就任した。
 「イスラム法廷連合」勢力の台頭に危機感を持ったCIAは、06年はじめ、「平和回復とテロ対策のための同盟(ARPCT)」の名で、暫定政府に武器と資金を供与した。CIAの口実は、ソマリアに隠れているという98年のケニアとタンザニアの米大使館爆破事件の犯人の捜査にあった。しかし、この作戦は惨めな失敗に終わった。被害を受けた市民たちは、「イスラム法廷連合」に保護を求めた。
 06年6月、「イスラム法廷連合」は、モガディシオを制圧した。そして6カ月の間に、ソマリアに法の秩序を回復し、基本的な社会サービスを提供した。これは、バレ政権崩壊後、15年以来のことであった。ソマリアにつかの間の平和が訪れた。

3.エチオピア軍の侵攻と撤退

 米国は、93年の失敗に懲りて、今回は、エチオピア軍を代理人に仕立てた。06年12月、エチオピア軍がソマリアに侵攻し、07年1月には、モガディシオを占領した。そして、ユスフ暫定政権を復権させた。「イスラム法廷連合」は、市民の中に潜り込み、エチオピア軍に対してゲリラ活動を開始した。当初、ゲリラは、道路上の地雷、ヒット・エンド・ラン攻撃、政府要人の暗殺などを行なっていたが、やがて、エチオピア軍と直接対峙するようになった。
 一方、エチオピア軍は、ゲリラの一掃をめざして、人口密な地区に対して、砲撃した。彼らには市民とゲリラの区別はなかった。しばしば、エチオピア軍の略奪、強姦、拷問、殺害などの残虐行為が報告された。『アムネスティ・インターナショナル』の報告によれば、エチオピア軍が侵攻してから、すでに1万人の市民が殺され、100万人以上が難民となった、という。
 ソマリアは、全人口の半分に当たる325万人が食糧援助を必要としている。ソマリアは、現在、アフリカ大陸で最大の恐るべき人道的危機にある。
 「イスラム法廷連合」のゲリラ勢力は、ソマリアの南部、中央部のほとんどを制圧した。
 暫定政府は、首都モガディシオと議会があるバイドアを残すだけになってしまった。

4.「イスラム法廷連合」の復活と「海賊」対策

 暫定政府のフセイン首相と、エチオピア軍は、「イスラム法廷連合」と交渉をはじめた。
 そして、 08年12月末、エチオピア軍はソアリアから撤退した。それに伴って、「イスラム法廷連合」は、権力の空白を埋めるために、モガディシオの警察署3ヵ所を押さえた。「連合」のスポークスマンAbdirahimu Issa Adowは、「市民を暴力から守るための措置」である。と語った。
 後ろ盾を失った暫定政府は、大統領と首相が対立していたが、08年12月30日、ユスフ大統領が辞任した。
 09年2月1日付けの『朝日新聞』は、「ソマリアの暫定政府の国会がシャリフ・アフメド師を大統領に選出した」と報じた。アフメド師は、06年、約半年にわたって首都モガディシオを支配した「イスラム法廷連合」の指導者である。彼は、「すべての武装勢力が我々(イスラム法廷連合)に合流するよう手をさしのべる」と語った。
 日本政府は、米国の動向だけを窺って、ソマリア沖に海上自衛隊を派遣することを決めた。「海賊」の本国で何が起こっているかについて、政府もマスメディアも無関心である。
 しかし、以上、ざっと見たように、ソマリアでは、やっと統一政府と平和が訪れている。
 それが、ブッシュ前政権によって刻印された「テロ組織」である。
 勿論、「海賊」が本拠としているエイル(Eyl)港は、これまで、モガディシオ政府の権力が届かないアデン湾に面した北部である。とくに、東北部のプントランドは、1998年、「独立」を宣言している。
(これについては、07年1月の「なぜエチオピアはソマリアを侵略したのか」を参照)
 しかし、サウジアラビアの巨大タンカーが海賊に乗っ取られたとき、「イスラム法廷連合」が出動して、救出したという例がある。
 国際社会は、今後、ソマリア新政権とどのように協力するか、問われているところである。