世界の底流  
アマゾンの先住民にたいするペルー政府の弾圧
2009年6月28日
1.憲法違反の「ジャングル法」

 さる4月9日、ペルーのアマゾン熱帯雨林地帯に住む先住民たちは「無期限スト」を訴えて立ち上がった。
 これはペルー政府を驚かすものだった。槍で武装した先住民たちは油田事務所を占拠し、川をブロックし、ハイウエイをピケした。これでアマゾンへの入り口は完全にブロックされた。先住民たちは熱帯雨林と先住民社会を脅かすとして政府の10件の法案を廃案にすることを要求した。
 これは正当な要求であった。なぜなら、ペルー議会の超党派の憲法審査会までもが、問題となっている10件の中の1つ「森林と野生動植物法」をすでに憲法違反であると宣言しているからである。しかし、正式に法案が廃棄にするには、議会で十分な討議と採決を経なければならないという問題がある。
 また先住民たちが要求している残りの9つの法案についても、08年12月、同じく超党派の憲法審査会が「憲法違反」であると、宣言している。
 しかし、ガルシア大統領の党APRAからの締め付けと、投獄されているフジモリが率いる右翼政治家たちのサポートもあって議会では憲法審査会の決議を議論できないでいる。
 議員たちのなかでは、先住民の闘いを支持する選挙区の声に押されて、法案に反対している。

2.先住民AIDESEPの闘い

 この先住民の闘いを率いているのは「ペルーの熱帯雨林開発協会(AIDESEP)」のアルベルト・ピザンゴ代表である。彼はペルーのアマゾンに住む35万人、1,350の村の長老たちから選出された「apu (首長)」である。AIDESEPは30年前に設立された。

 彼は「要求のすべては受け入れられるまで、続ける」と語った。
ピザンゴ代表は、「政府にまず望みたいことは、5月9日にアマゾン5地域に発令した非常事態法(とくに午後3時から翌朝の6時までを外出禁止にした)を廃止することである」という。彼はまた「議会は憲法違反の悪法を廃止し、先住民とともにアマゾンの開発について、時間を掛けてじっくりと議論すべきだ」という。
 実は、ペルー議会は、07年末に、アマゾンの開発に関して例外的な権限を大統領府に与えたのであった。その結果、ガルシア大統領は、2006年に米国との間に締結された「自由貿易協定(「FTA」」(ラテンアメリカでFTAを受け入れたのは、3カ国でしかない)に沿って、ペルーのアマゾン地域の開発のフリーハンドを獲得したのであった。

 これは、2008年10月に、リークされたビデオによって明らかになった。ビデオはガルシア政権の高官と多国籍石油会社のロビイストたちが先住民の領土で開発することについて交渉している内容であった。
 ペルーに投資した多国籍企業は、年間50%というとほうもない利潤を得ている。
 その結果、ペルー政府は、08年半ば、すでにアマゾン開発に関する99件の法案を策定した。その中の10件が、石油、鉱山、森林伐採、ガス、バイオ燃料などの資源開発のために、熱帯雨林を危機に陥れることになるものであった。例えば、ペルー政府のプランでは石油と天然ガスの開発区域だけで、ペルーのアマゾン地域の72%をカバーする。
 これらは総称して「ジャングル法」と呼ばれる。

 ピザンゴ代表は、これらの法律は、ペルー政府が国際労働機構(ILO)と交わした先住民の土地と文化の権利の尊重を決めた協定第169条に違反すると言っている。これはペルー政府自らも署名したものであった。
 5月27日、首都リマでAIDESEPのピザンゴ代表とペルー政府のシモン首相との間で話し合いが行なわれた。シモン首相は左派で、元政治犯であった。先住民たちが話し合いを公開にすべきだと言う要求にもかかわらず、この交渉は秘密裏に行なわれた。
 シモン首相は、「ガルシア大統領の非」を認め、「過去1世紀に亘ってペルー政府には先住民に対する政策がなかった」と述べた。
 一方、政府はマスメディアを使って先住民に対する汚い人種差別的発言(「野蛮だの、動物的だ」という)を繰り返した。
 ついに6月5日、ピザンゴ代表はついに全面的な反乱を呼びかけた。「我々は充分忍耐してきた。しかし、もう沢山だ」と言った。
 現在、石油を運ぶ川のルートは完全にブロックされ、ノール・ペルー石油パイプラインも流れが止まっている。ペルーの国営石油会社PLUS`ETROLもストのため操業が停止していることを認めた。

3.「悪魔のカーブ」虐殺事件

 先住民たちのストは一転して流血の惨事となったのは、6月5日、金曜日のことであった。ペルーのアマゾン北部を走っているハイウエイの「悪魔のカーブ」と呼ばれる地点(Bgua市に近い)で、頭を鳥の毛で飾り、槍を持ってハイウエイをピケしていた先住民たちに向かって特別機動隊が実弾を発射した。現場近くの町でも警察の銃弾の発射音が聞こえた。多くの犠牲者が生じたことは言うまでもない。その中には、4歳の子どももいた。死者の数は40人と言われるが、明確ではない。逮捕者は150人以上に上るといわれる。
 警察が怪我をした人びとを強制的にエルミラルグロの軍事基地に運んだという証言もある。また、警察が袋詰めにした死体をUtcubamba川に投げ込むのを見たと現地のジャーナリストがラジオで語った。
 ピザンゴをはじめとするAIDESEPのリーダーたちは逮捕状が発行されたので、地下に潜った。ピザンゴ代表は、「悪魔のカーブ」虐殺は、先住民に対する20年来の事件だと、言った。
 1986年6月、今と同じくガルシア大統領時代、彼はリマ市内の刑務所で待遇改善を要求した政治犯に対して、軍隊を差し向けた。大砲や小銃で最低400人の政治犯を虐殺した。この虐殺事件は、ガルシア大統領がリマで開かれた「社会主義インター」の会議のホストを務めていた最中であった。この会議に出席していたヨーロッパの社会民主主義政党の代表たちは大いにばつが悪かった。
ガルシア大統領は「アマゾンの反乱を収めるためにやむをえず採った手段であった」と弁解した。
 一方先住民たちは、「悪魔のカーブ」の虐殺にたいして反撃にでた。その日のうちに政府の官庁やガルシア大統領の与党APRA党のビルが打ち壊された。
「悪魔のカーブ」での虐殺ははじめてのことはない。ガルシア大統領はナポ川をブロックしていた先住民に対して海軍を派遣し、弾圧をしたことがある。

4.ペルー先住民の闘いに対する支援

 ペルーの先住民に対する「悪魔のカーブ」での虐殺事件は、ペルー政府に対する国際的な非難の的になった。「アマゾンを守ることは、ペルーの先住民だけでなく、全人類のためである」というのが共通のスローガンである。45の国際的な人権擁護団体が共同で声明をだした。世界中で11の都市でペルーの先住民虐殺に抗議するデモが行なわれた。
 ペルー国内でも、労働組合総同盟、農民組合、市民組織が、6月11日を先住民に連帯する日として、大規模なデモを呼びかけた。
同時に多くの非先住民のボランティアが現場に赴いた。6月5日の「悪魔のカーブ」での流血事件の最中でも、非常事態宣言の中を、怪我人を運んだり、飲み水を届けたりした。
 広範な市民社会の運動のなかに先住民たちの闘いを支援する「いのちと主権を守る共同体戦線」が設立された。
 現在のところペルーの先住民の闘いはどうなるか予測できない。先住民はガルシア大統領の辞任と全「ジャングル法」の廃止を要求している。ガルシア派ではない野党、マスメディア、労組などはガルシア大統領が何人かの閣僚、とくにシモン首相と内相を辞任させろと要求している。警官の労働組合は「警官とインディアン兄弟たちの死を悼み、それをガルシア大統領のせい」だと言っている。
「悪魔のカーブ」虐殺事件から6日経った6月11日、ペルー議会は、先住民と交渉するために、「ジャングル法」に中の「森林と野生動植物法」である第1090号と第1064号議案を59対49票という僅差で、90日間停止させることを決めた。
 勿論、AIDESEPは「ジャングル法」の10法案のすべてを廃止することを要求している。

5.先住民の国際会議

 今年の5月29日から始まる1週間、ペルー高地のプノ市で、第4回Abya Yala先住民サミットが開催された。Abya Yala とはパナマのクナ先住民が使っている言葉で、「アメリカ」の意味である。
 これにはラテンアメリカの先住民の代表が5,000人集まった。これは、今年の最も重要な出来事である、と言われる。なぜなら、彼らが議論した内容は、資本が最も過酷な形で地球の生存を脅かしていることを明らかにしたのであった。
 第1回先住民国際会議は2000年にメキシコで開かれた。そして、エクアドル、グアテマラと続いた。2007年のグアテマラでの先住民国際会議の際、先住民の女性たちが、抑圧されていることを克服するために、自身の会議を開こうということになった。そこで、今年のプナでの第4回会議の際に、5月27日、2,000人の女性たちが会議を開いた。会議が始まる前、先住民の女性たちが、広場から会場となったAltiplano国立大学に向かってデモをした。最初は少人数であったが、途中から大勢が参加して、最後は大規模なデモになった。