世界の底流  
インドの毛派共産党(マオイスト)の近況
2009年8月28日


 1.インド全土の3分の1で活動

 1967年、西ベンガルのナクサルバリ村で開始して以来40年間、武装闘争を続けてきたインドの毛派共産党(マオイスト)は、ここ数年間でかなりの勢力になり、影響力を強めてきた。それには、これまで分裂していた各マオイスト派閥を単一の「インド共産党(マオイスト)」に統合することに成功したこともある。
 その証拠に、マオイストの活動地域が、2003年はじめには、9州、55地区であったのが、2008年には、マスメディアの報道でも、22州、220地区に上っている。
 その中の3分の1は、人民戦争(武装ゲリラ)地域であり、残りの3分の2は、マオイストの政治的影響下にある。つまり、インド全土の3分の1の地区に、マオイストが存在することになる。
 インドのシン首相は、マオイストを「インドの治安に対する最大の挑戦」と評した。
 マオイストは、インド東部のChattisgar とJharkand地域に「Janathana Darkars」と呼ばれる革命行政機構を設立している。これら行政機構は、文化、教育、保健、金融、森林維持、PR、司法などを担当している。村々には武装した民兵が組織されている。
 これら革命機構は、将来、インドの国家権力に対抗する2重権力の革命根拠地創設の第1歩である。
 西ベンガルの「Adivasis」と呼ばれる先住民地域では、マオイストは、すでに広範な人びとの支持を得て、革命根拠地建設の初期の段階にある。それが、2008年11月、西ベンガルのLalgarhでの先住民の武装蜂起の背景になっている。
 マオイストの長期的目標はインドの社会主義革命の達成とグローバル社会主義社会の創設にある。
 しかし、当面の目標は、インドの半封建制度を倒し、帝国主義権力の支配を追放することにある。これは、マオイストの理論では「新民主主義革命」であり、そのためには、政治的革命根拠地を通じて、人民戦争を展開し、インド国軍を打ち負かし、国家権力を打倒しなければならない。その過程で最も重要なことは、農地改革、すなわち農村における貧困農民の封建的搾取者、その政治的代弁者、抑圧的軍隊にたいする武装蜂起である。

2.Lalgarhの武装蜂起の背景

 2008年11月、西ベンガル州の西Mindapore地区で信じられない事件が起こった。これはいわゆる「Lalgarh蜂起」と呼ばれるものである。
 Largarhは、この蜂起事件前には、現地住民以外には知られていない、眠ったような土地であった。しかしこの西ベンガルの闘争は、「Adibasis」と呼ばれる先住民の貧困と苦しみから起こったのであり、それが全州を揺るがし、インド全土にショックを与えた。
 この反乱が2008年11月はじめに起こったのは事実だが、正しく蜂起を理解するには、いくらか遡らなければならない。
 Lalgarhは西ベンガルのもっとも貧しい地域である。州政府はLalgarhの開発を約束したが、決して実行されなかった。たとえば、ここには、舗装道路があるが、それは警察が住民を弾圧するために使われるのであって、バイクさえ持っていない住民にはほとんど役に立たない。Lalgarhには、安全な水、電気さえ通じていなかった。警察は、しばしば住民を理由もなく留置し、拷問した。
 2007年、Jindal製鉄グループが、鉄鋼生産の「特別経済地区(SEZ)」の権利を獲得した。そして、4,500〜5,000エーカーという広大な工業用地を得た。
 その用地の中の大部分はLalgarhの先住地域であった。インドの法律では、土地改革プログラムによって、先住民の土地は守られていることになっている。しかし、SEZ建設がはじまると、先住民は強制移住させられた。そして、環境が破壊されたため、生計の道が断たれてしまった。

3.蜂起の詳細

 2008年11月2日、西Midnapore地区のShalbaniで、Jindal製鉄グループのSEZの開会式に参加した州首相をはじめとする要人たちが帰る途中、地雷が爆発した。これはマオイストのゲリラが、開会式をターゲットにして、仕掛けたものであった。
 この攻撃に対する報復として、警察は、村人をマオイストの同調者として、テロを働いた。村人たちは、老若男女を問わす、逮捕され、拷問され、レイプされた。たとえば、ある女性は、警察の銃身で殴られ、視力を失った。11人の女性が警察にレイプされた。3人の学生がマオイストの容疑で逮捕された。それは、まるで誘拐に等しい行為だった。
 このような警察の弾圧に対して、何千もの村人が、槍や弓や鉄棒などの伝統的な武器を携えて、これまでの抑圧と戦うべく立ち上がった。さらに村人たちは、警察が村に入れないように、塹壕を掘り、樹木でバリケードを作った。
 一方、村人たちは、警察署に向かい、多くの警察の車を破壊し、電線を切断し、そして、「なぜ、Lalgarhの多くの先住民がこんなひどい扱いを受けるのか」、説明を要求した。
 Lalgarhの闘争は、休みなく1ヵ月以上、続いた。このニュースは、インド中で大きな関心を集めるところとなった。Lalgarhの警察官は住民たちのボイコットの対象になり、
 食糧や日用品を買うことも出来なくなった。
 マオイストの存在とこのような住民によるボイコットのせいで、政府当局は、全くLalgarh地域に入ることが出来なくなった。以来、このLalgarhの闘争は、西Midnapore地区の幾百もの村に野火のように広がり、西ベンガルだけでなく、インドの多くの地域の支持を受けた。

4.PCPAの設立と闘争

 2008年11月8日、Dalipur Chowで「警察の弾圧に対する委員会(PCPA)」が結成された。これは、95カ村から選出された代表の集まりであった。その後、この委員会は拡大した。その結果、これまで政治を牛耳っていた先住民の長老や政党をバイパスするようになった。なぜなら彼らはLalgarhの先住民の訴えを解決することが出来なかったからである。PCPAは、1万人を超えるパブリック集会でもって、重要な決定を行う。そして、13項目の要求と警察と行政に対するボイコットを決めた。
 PCPAは、デモ、道路封鎖、ストなどの闘争を呼びかけた。一方、警察署や政党事務所に対して、比較的に平和的な攻撃を行った。
 その結果、警察は、Lalragh地域から完全に撤退し、村々を訪問して謝罪し、そして13項目の要求を受け入れた。さらに、この地域の開発のために多額の予算が約束された。しかし、これが先住民のために使われることはないだろう。そして、「警察のLargarhの村々での謝罪」という住民の最も重要な要求はまだ実行されていない。
 最初の蜂起以来の1ヵ月間は、警察や政府当局との交渉に明け暮れた。たとえば2009年4月、Lok Sabhaの選挙の数週間前、PCPAは、投票日に警察が村に入るのを拒否した。激しいやり取りの後、警察は、村の外にいるということで妥協した。
 Lalgarh蜂起の中で、とくに注目すべき点は、インド共産党(マルキスト)が果たした役割である。彼らは、資本家と結託して、この地域では大きな人口を占める先住民を搾取してきた。今回の蜂起でも、彼らは、警察と組んで弾圧に回っている。
 2009年6月14日、PCPAとマオイストは、数日間に及ぶ激戦の末に、48カ村を解放した。同時に、インド共産党(マルキスト)のDhrampur事務所を占拠した。6月16日、さらに重要な蜂起が起こった。大勢の先住民が、あちこちの警察署に火をつけ、警察とインド共産党(マルキスト)の党員たちをLalgarh地区から追放した。さらに、先住民から最も憎まれていたインド共産党(マルキスト)のAnuj Pndey議長の豪邸を破壊した。長い間、抑圧の塔として先住民の家を日陰にしてきたものが取り払われ、再び太陽が降り注ぐようになり、雑草のなかに埋もれていた花が咲き誇るという象徴的な出来事であった。
 この蜂起に際して、米国が反乱を鎮圧するための技術をインド政府に提供した。それはBaropelia、Kantapahari、Ramgarh、Kadashol、Pingboni、Goaltore、Dhrapur、Jhitkaでの反乱をモニターできるものである。
 この蜂起によって、それまで半非合法状態に置かれていたマオイストが、公式に非合法化された。その後、直ちに、コルカタで、マスコミにインタービューを受けていたマオイストのGour Chakravarthy党首が逮捕された。さらに、インド政府は、中立の立場で現地入りをした知識人まで逮捕した。その中には、映画監督のAparna Senや10人の社会活動家チームもいた。
 政府が、軍隊までも動員し、米国の援助を受けているにもかかわらず、PCPAとマオイストはゲリラ闘争で、先住民は道路封鎖で、新しく出来た解放区を守っている。
 2009年7月4日、西ベンガル州警察とコブラと呼ばれる政府系民兵が、PingboniとBirbhanpurを奪い返そうとして攻め込んだ。同時に、Kadashole、Salboni、Godamouli、Jhitka、Kantapahari、RonjaなどLalgarh地区の密林地帯で掃討作戦を行った。この中では、PCPAの指導者をマオイストの同調者と見なして、特に攻撃を集中させた。コブラを含む16の政府系民兵グループが作戦に参加した。
 7月8日、マスメディアは、Lalgarhは陥落したと報道した。マオイスト・ゲリラは、ほとんど無傷のまま、BelpaharのPurulia経由でAyodhya丘陵地帯の密林地帯に撤退した。また、多くの村は解放されたままだという。しかし、これらのニュースを実証することは難しい。
 Lalgarh蜂起は、はじめから進歩的な闘争だった、と言える。この運動は有機的な性格を持ち、一時は、何万人もの村びとが腐敗した権力に対して戦った。そして、学生、知識人、人権擁護団体、小商店主、先住民の出稼ぎ労働者など広い層の人びとの支持を集めた。
 闘争が始まってすぐに、PACAが組織された。そして村単位に支部が置かれた。そして、そのリーダーの多くは女性であった。

5.Gram Committeeの設立

 PCPAは民主的な大衆組織である。今年1月ごろから、PCPAに並行して、150カ村で、萌芽的な革命統治機関とも言える「Gram Committee」が生まれた。これは、インド政府の支配の道具となっている「Panchayat」に対するオルターナティブな機関である。各委員会は、男性5人、女性5人の計10人からなり、10カ村単位で設立された上級のGram委員会に各村から2人ずつの代表を送る。このなかで選出された35人の代表がGram Committeeの中央委員会となる。この段階では男女同数ではなくなり、女性代表は12人である。Gram中央委員会の決定は住民大会で承認されなければならない。
 Gram Committeeと並んで、村単位で防衛委員会が組織された。これは、村の住民を守る民兵の任務を持っている。
 PCPAやGram委員会は、政府の役人と交渉する時、役人も同じように縄で織ったマットに座ることを要求した。これは、役人が椅子に座り、村人が地べたに座って交渉するといった従来の慣習からの決別を意味した。これは先住民が、これまでのように従順な子どものような立場から、平等な、かつ尊厳ある人間となったことを示す。
 この闘争のなかで、1つの象徴的な事件が起こった。2年前、Kantapahariで政府が1軒の病院を建てたのだが、一度も使用されてこなかった。PCPAはこの病院を接収し、「人民病院」と改名し、1人の医師と6人のヘルスワーカーで開業した。またPCPAは、この地域では、水が不足しているので、村々に井戸を掘り、運河を掘るなど灌漑施設を整備した。さらに50キロに及ぶ砂利の道路を建設し、多くの貯水池を作った。これらの事業は、すべて、寄付とボランティアによって賄われた。またマオイストの人民戦争の援護がなければ、完成出来なかった。
 女性が果たした役割も大きい。Gram Committeeに代表を男女平等の数で選出したのも、女性の力であった。これは家父長制が強く残っているインドでは、他に見られない現象である。女性だけのPCPAも生まれた。この組織は、警察やインド共産党(マルキスト)の攻撃と戦うばかりでなく、家庭内の抑圧とも戦っている。これら女性の運動の中で特に目覚しかったのは、アルコール類を販売している店を接取したことである。そして、法律を犯して、酒を飲んでいる人をボイコットの対象にした。しかし女性たちは家庭内暴力が飲酒だけにあるとは考えていない。
 Lalgarhの蜂起は正義の闘いである。これは、地域がこれまでで最大であるだけでなく、先住民による闘いであるという点で前例がない。
 この記事は、Amit Bhattacharyyaの『Singur to Lalgarh via Nandigram』を参照にしている。

6.2009年7月27日、20ページにのぼるマオイストの秘密文書がマスメディアに掲載された。

 これは、『選挙以後の状況と我々の任務』という文書で、多分、6月に、密林の中で開かれた党指導部の会議で作成されたと推測される。
 この文書は,先に実施された総選挙の総括と、スリランカの「タミル解放の虎(LTTE)」の壊滅について警告している。
 マオイストの文書は、「政治権力を奪取するために武装闘争を強化し、敵に対してインド全土で大きな損害を与えるべき」だとして、「これはかつての反英独立闘争よりもはるかに長く、厳しいものになる」と述べている。
 そして、「LTTEの敗北の教訓を生かして、戦略を変える必要がある」として「戦術的な反攻をしなければならない」、それは「政府のカーキ色の軍隊とオリーブ色の民兵のテロ攻撃、特別警察部隊(SPOs)、警察のスパイ、反革命分子、人民の敵にたいする詳細な計画を立てなければならない」と述べている。
マオイストは、Dandakaranya、Bihar、Jharkand、Orissa、Andhra Pradesh、West Bengal、Maharashtra、Karnataka州などでの闘争をインド全土に知らせなければならない、と言っている。
 とくに、DandakaranyaはChhattisgarhで豊かな埋蔵のBastar鉱山を擁し、同時に、深い密林のAbujhmar丘陵がある。ここにマオイストの軍事本部とリーダーが潜んでいる、と推察される。
 LTTEの敗北の分析では、LTTEが、敵の戦術と能力の変化の分析をせず、敵を過少評価し、自らの勢力と能力を過大評価したところにある。LTTEの壊滅は、インドの革命運動にとっても、南アジアにとっても、世界にとってもネガティブな影響をあたえている、と言う。
 マオイストは、ゲリラ戦の範囲を拡大し、同時にこれまでの地域では大衆の抵抗運動を高めることによって、敵の勢力をより多くの地域に分散させることが大切だ、として、これまで、敵が、裏切り者、逮捕者、党の情報などのメカニズムを通じて、得てきたことを反省すべきだ、と言っている。
 マオイストは最近、Chhattisgarhやその他の地域で、警察や政府系民兵に対する攻撃を強めている。