世界の底流  
イタリアの軍国主義
2009年9月25日

1.憲法改正の動き

 2009年8月11日付けのAP通信によれば、イタリアの有力紙『Corrire della Sera 』は、憲法改正について、去る8月10日にIgnazio La Russa 国防相と、つづいて11日にはFranco Frattili 外相とのインタービュ記事を報じた。
 両大臣ともに、インタービュの中で、アフガニスタンでNATO軍に参加しているイタリア軍の戦闘能力が著しく制限されていることを嘆いて見せた、と言う。 
 この記事はイタリアのベルルスコーニ政権が、第二次世界大戦以来61年間にわたって続いてきた憲法の「戦争放棄」の条項を変え、攻撃的な軍事行動を可能にすることを意味している。
 現憲法は、軍事作戦を遂行することを厳重に禁止している。これに対して、政府は「海外での特別な任務」の遂行のために、新しい「軍事規範(Code )」を導入しようとしている。これは、「平和でもなければ戦争でもない」状況のもとで使おうとする言葉の手品のようなものだ。
 両大臣はともに、「現在、イタリア軍は攻撃されても撃ち返すことを制限されている“軍事的平和規範”に基づいて、2,800人の軍隊をアフガニスタンに派遣しているが、イタリア軍に今より大きい重火器を持たせ、攻撃できるようにするためには、新しい“軍事規範”が必要だ。」と語った。
 Frattini 外相は「アフガニスタンのイタリア軍は、平和をもたらすという任務の達成のために、新しい“規範”が必要だ。これは民間人の活動では達成できず、純粋な軍事行動が必要だ」と語った。

2.半世紀にわたる戦争放棄の条項

 これは、1948年に制定されたイタリア憲法の第11条の文言と精神に違反するものである。第11条には「イタリアは人民の自由を攻撃する手段としての、また国際紛争の解決の方法としての、戦争を放棄する」と書いてある。その翌年、イタリアがNATOに加盟するにあたって、イタリアは主権を規制することに合意した」のであった。
 イタリアとともに第二次世界大戦に敗北したドイツも、1949年連邦憲法では、1990年の東西ドイツの統一の際に、改正、拡大されたのだが、依然として第26条に「侵略戦争を準備するなど国家間の平和的関係を壊そうとするような行為は憲法違反である」と記されている。
 日本も憲法第9条に、戦争放棄の条項がある。
  イタリアは、1949年のNATO結成の創立メンバーである。しかし、朝鮮戦争では、米国、英国、カナダ、フランス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグなどが軍隊を送ったにもかかわらず、イタリアは送らなかった。
 ギリシア、トルコなどは朝鮮戦争に軍隊を派兵し、1952年に、ドイツはやっとNATO加盟を認められた。しかし1955年の加盟後もドイツは軍隊を送っていない。また、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピン、タイなどが、朝鮮戦争に兵を送ったにもかかわらず、日本は送らなかった。
 しかし、ドイツ、イタリア、日本には、米国の軍事基地、特に空軍基地が配備されており、朝鮮戦争からアフガニスタン戦争にいたるまでのすべての軍事作戦に使われている。ここから、米軍の爆撃機の、あるいは軍隊、武器、設備の輸送基地となってきた。
 したがって、旧枢軸3国は、戦争準備の放棄、あるいは禁止する憲法があるにもかかわらず、60年間もの長きにわたって、米国の武力紛争のパートナーになってきたのであった。
1999年はじめ、ドイツとイタリアは、ユーゴスラビアに対するNATOの軍事介入に参加することによって、憲法の戦争放棄の条項を放棄したのであった。ドイツもイタリアも、NATO軍の78日に及ぶ空爆作戦に爆撃機を提供した。またイタリアのAviano にあるNATOの軍事基地からは、米国、英国、カナダ、スペイン、ポルトガルなどの爆撃機が、軍事目標、非軍事施設、民間人を問わず、毎日爆撃をした。
 ドイツもイタリアも、59年前のヒットラーやムソリーニの時代に侵略した国、そして1人も軍隊を国境外に派遣していない国(ユーゴスラビア)に対して、軍事攻撃を仕掛けたのであった。
 ドイツ、イタリア、日本の旧枢軸3国が、はじめて、さまざまな形態でとはいえ、米NATO軍のアフガニスタン戦争に参加したのであった。
 ドイツは連邦議会の許す範囲ぎりぎりの4,500人の軍隊と、NATOのAWACSに300人を送っている。ドイツ軍は、米、英、カナダに次いで、多い。
 イタリアは、アフガニスタンでは6番目に多い3,500人が、イラン国境に近い西部で活動している。ユーゴスラビアでは空軍の参加であったが、アフガニスタンでは最初の地上軍の配備である。これまでのところ、ドイツは38人、イタリアは15人の戦死者を出している。
 去る7月に行われた世論調査では、イタリア人の58%がアフガニスタンからの撤退を要求している。にもかかわらず、2009年7月22日付けの『Defense News』によれば、 ベルルスコーニ首相と外相、国防相たちは、500人の軍隊の増派と無人偵察機、Tornado爆撃機、軍事用ヘリなどの追加派遣を決めた。
 ドイツ軍は、アフガニスタン北部のクンデュス州で、第二次世界大戦以来最大の掃討作戦を展開した。2009年8月8日付けの『Deutsche Presse-Agentur 』紙によると、Franz Josef Jung 国防相は「ドイツ軍のアフガニスタン駐留は、今後10年に及ぶだろう」と語った。
 ドイツ政府も、イタリア政府も、軍隊を国外だけでなく国内向けにも使い始めた。たとえば、去る4月、Kehl で開かれたNATO創立60周年の参加国サミットに抗議するデモに対して、連邦軍が出動した。イタリア政府もまたローマ、ミラノ、ナポリ、トリノなどの移住労働者地域やロマ人コミュニティ、さらに口実に過ぎないのだが、犯罪シンジケートに対して、軍隊を動員した。
 2008年11月27日付けの米軍の『Star and Stripes 』誌に、「NATOが、ナポリのマフィアの金庫に家賃を払っている」というスキャンダル記事が載った。NATOの同盟軍がナポリに駐留することになったのは、2004年であった。
 「ナポリの反マフィア検察チームのfranco Roberti 隊長が、NATO軍と米軍の高官がマフィア所有の家と知りながら借り、月額1,500〜3,000ユーロを支払っている。これは通常の市場価格の2〜3倍も高い」と言っている。