世界の底流  
イランの大統領選挙について
2009年7月11日


1.イラン大統領選挙で現職のアフマディネジャド大統領が63%の票を獲得し、対立候補ムサビ元首相(34%)に圧勝した。投票率は85%という高率であった。
 その勝因は、次のような3つの理由が挙げられる。
 第1に、アフマディネジャド大統領はこれまで任期の4年間、国中をくまなく回り、「分配の公平」をスローガンの下に、農村部や都市部の貧しい人びとに石油収入のカネを直接ばら撒いてきたため人気があった。
 イランは都市化率では世界も最も進んだ国の1つだが、それでも全人口7,200万人中、40%が農村に住んでおり、圧倒的に貧しい人びとである。彼らは、アフマディネジャド大統領が、核武装化路線を突っ走って国際的に孤立していようが、外交にはあまり関心を持っていない。
 第2に、90年代、イラン・イラク戦争後に大統領に就任したラフサンジャニ師やその後任のハタミ師が新自由主義政策を採った結果、「イラン革命」の「公正」理念を逸脱し、貧富の格差が増大した。例えば、現在ラフサンジャニ師はイラン最大の金持ちである。また政治の腐敗が起った。前回も今回もアフマディネジャド候補に票を入れたには、このようなテヘラン政治から疎外された貧しい人びとであった。
 ラフサンジャニ師、ハタミ師ともに今回は立候補しなかったが、代わりにムサビ候補を応援した。アフマディネジャドは、選挙キャンペーン中、ムサビ候補の後ろ盾であるラフサンジャニ師一族の腐敗を攻撃した。これが功を奏したと言える。この点アフマネディジャド大統領には、クリーンな政治家というイメージを持っている。
 第3に、イランでは、ラフサンジャニ師ら革命の第1世代が西側に協調しようとし始めている。これに対して、アフマディネジャド大統領は、イラン・イラク戦争で前線に立って戦った革命の第2世代に属している。
 また彼は、革命防衛隊の出身である。これは、イラン国王を国外追放にした1979年の「イスラム革命」後、旧王制に仕えていた国軍を監視するために設けられたもので、最高指導者直属の軍事組織である。その数は国軍の3分の1、十数万人にのぼる。現在、イスラムの最高指導者であるハメネイ師がで、アフマディネジャド大統領を支持している。
 また革命防衛隊のほかにイラン・イラク戦争中に生まれたバシジ(志願民兵)が、地域、職場ごとに組織されている。これら2つの非正規軍は100万人に上ると言われる。彼らは、アフマディネジャド大統領を支えている。このことから、今回の選挙が「アフマディネジャド大統領のクーデター」と非難される所以である。

2.選挙は「いんちき」であったか?
 ムサビ対立候補とその支持者が選挙は「いんちき」だとして、79年のイスラム革命以来はじめてという大規模な抗議デモが起こった。
 選挙前の予想では、ムサビ候補が勝利すると信じられていた。ムサビは、対外的には融和政策、国内的には改革(民主化)路線をとる候補として、都市部のエリート層に人気が高かった。選挙間ペーン中、ムサビ支持者たちは、テヘランの目抜き通りを10キロにわたって、「人間の鎖」で埋め尽くしたほど勢いがあった。
 彼らはムサビ氏の敗北を受け入れず、「選挙のやり直し」を求めて、6月15日、十数万人がデモをした。ムサビ氏もこのデモの先頭に立った。この抗議デモは1週間続いた。
 このデモではインターネットがフルに活用された。外国人ジャーナリストが追放され、ブログやウエッブサイトが使えなくなると、人びとはE−メールで隠し撮りをした動画を海外に送った。
 その中で、最も有名になったビデオ画像がある。デモの中にいた25歳の女性Neda Agha Soltanが撃たれて死んだときのビデオで、これは外国のメディアによって、イラン政府の虐殺のシンボルになった。政府はこれをCIA、あるいはデモ隊の仕業だと言ったが、これを信じる者はいない。
 かつて89年6月、北京の天安門事件では、外国人ジャーナリストが追放されると、北京で起こっていることが外国では完全なブラックホールになって、中国当局と人民解放軍がデモの弾圧をほしいままにした。
 今回のイラン当局は、これに懲りて、国軍による無差別の発砲はなかった。代わりに、1,000万人と言われる革命防衛隊や志願民兵が弾圧を行なった。

3.たしかに、今回の選挙は異常な違反が多く見られた。しかし、この違反事件は、選挙の結果を左右するほどのものであったとは言えないだろう。
 ただし選挙のやり直しを行なえば、多分、アフマディネジャドは過半数を取れかっただろう。そうすると、大統領選挙のルールに従って、アフマディネジャドとムサビの一騎打ちになる。そうなれば、ムサビ勝利の可能性もあったかもしれない。
 イランの選挙は民主的な選挙ではない。そもそも大統領選挙の立候補者は475人もいた。これを、憲法評議会が「イスラムの原則」によって選別した結果、最後に4人が残った。このことからすでに選挙が公平であったと言えない。
なぜなら、憲法評議会は民主的に選出されたものではないからである。これは、12人のイスラム法学者によって構成される。イスラムの最高指導者であるハメネイ師が半分の6人を指名し、残りの6人は最高指導者が任命した裁判官によって指名される。
 ただし、最高指導者は、専門家会議(Assembly of Experts)によって選ばれる。専門家会議とは、各地のイスラム教の導師たちの集まりで、8年毎に国民による選挙で選ばれる。
 このようにイランでは、最高権力者はイスラム法学者であり、憲法評議会が大統領選挙の候補者から議会の立法にも拒否権を持っている。
 これは、イランがイスラム教のシーア派であることから来ている。シーア派は、イスラム信徒の救世主である「イマーム」が現れるまで、イスラム法学者が統治すると考えている。つまりイスラム法学者が大統領や議会の上に立つ政治の最高権力者である。これは、1979年、イスラム革命を指導したホメイニ師の考えであった。

 大統領選挙は、ルール違反が多くあった。
 ムサビ候補の支持地域とみなされたところでは、投票用紙が届かない、投票中なのにもかかわらず、早々とアフマディネジャド候補の勝利が発表されたりした。
 イラン政府も認めるところだが、50の都市で、投票者数が登録人口より多かった。
 また開票時に、ムサビやその他の対立候補が立ち会うことを拒否された。
ムサビ支持者たちの抗議を受けて、護憲評議会は、「10%のサンプルを抜き打ちに検査する」という対策を発表した。しかし、この作業の進行中に、6月19日、最高指導者ハメネイ師は「選挙の公正性」を認め、アフマディネジャドの当選を決めたのであった。
 イスラム革命のリーダーであったホメイニ師にはカリスマ性があったが、その後を継いだハメネイ師にはない。この間の騒動で、最高指導者としてのハメネイ師の権威が失墜した。これはイランのイスラム革命にとって打撃である。
 ムサビ氏は左翼なのか、あるいはネオ・リベラルなのか。彼の経済政策や政治テーマは明確でない。とにかく、彼は、憲法評議会の審査をパスした候補である。80年代、ホメイニ師のもとでムサビ氏が首相であった当時、左翼は残虐な弾圧を受けた。とくにイランのツデー党(共産党)は根こそぎ逮捕され、処刑された。勿論これは内務省や治安警察の仕業である。しかしムサビ首相は黙殺したのだ。
 ネオ・リベラルに関しては、ムサビもアフマディネジャドも、民営化を推進する。
選挙期間中、ムサビ候補は、個人的な自由、とくに女性の権利に対する規制の緩和を唱えた。しかし、ムサビ候補は、革命防衛隊や志願民兵のテロ行為を止めさせることを、訴えたのではない。
 この点が、ムサビ氏とデモ隊とのギャプである。最初は選挙の「いんちき」に抗議するものであったが、日を経るについで、平等と自由を求める要求に発展していった。これはムサビ・ハタミ・ラフサンジャニの思惑を超えるものである。
ではアフマディネジャド大統領はどうか。
 ある人びとは、彼が「反米」であるので、自動的に進歩的であり、反帝国主義であるという。これは馬鹿げた考えだ。
 彼の挑発的な態度、彼の「ホロコースト」論や「反ユダヤ主義」などは、ネオコンやイスラエルを喜ばすだけだ。
 今回のイランの選挙の結果は、今後国際社会にどのような影響を及ぼすか?
 間違いなく、アフマディネジャド大統領は、「核武装化」を進行させるだろう。国際的な孤立を招く。イランの核武装化を最も恐れているのはイスラエルである。昨年頃から、マスメディアは、米軍に代わって「イスラエルがイランの核施設を空爆する」という危険を盛んに報道してきた。たしかに、イスラエルはサダム・フセイン時代、イラクの原子炉を爆撃したという「実績」がある。
 しかし、イランの核施設は各地の散らばっており、砂漠や山岳地帯に隠されているという。イスラエルが同時多発で一挙にすべての各施設を破壊することは困難である。
 軍事力ではない手段で、イランの核武装化を放棄させるには、外交面での交渉を続けなければならない。これまでのところ、安保理常任理事国5カ国にドイツを加えた6カ国がイランとの交渉の窓口になっている。オバマ政権は、粘り強い、長期にわたる外交交渉を続ける以外に解決の道はない。
 イスラム教国としてのイランは、世界では少数派のシーア派である。これまでイランは、レバノンのシーア派勢力ヒズボラや、シーア派ではないがパレスチナ・ガザのハマスを軍事力や資金面で支援してきた。また人口の50%を占めるイラクのシーア派にも影響力を増やしている。
 一方、イランは、アフガニスタンの反政府勢力であるタリバンとは敵対関係にある。オバマ大統領は、イラクから軍事力を撤退させ、テロと麻薬の温床であるアフガニスタンの対タリバン戦争に集中したい。そのため、米国はイランやシリアとの国交回復を図ろうとしている。
 日本はイランから1日当り49.9万バレルもの原油と、それに少量の液化天然ガスを輸入している。日本にとって、イランはサウジアラビア、アラブ首長連邦に次ぐ、第3位の原油輸入先である。これは20万トン級の巨大タンカーが毎日、2隻以上もホルムズ海峡とマラッカ海峡を通過して、イランから日本に運ばれていることになる。
 これは、米国が1995年以来、対イラン経済制裁措置を採り貿易を禁止しているにも係らず、日本の原油輸入が続いているのは、珍しい。
日本は、イラン、イスラエルを含めた中東の非核化にもっと関心と勢力を注ぐべきだ。