世界の底流  
ドイツの左の党について
2009年8月28日


 1.「我々は資本主義を打倒する」

 2007年、ドイツに「左の党」が結成された。正確には、DIE LINKE、すなわち「左の人びと」と訳すべきだろう。緑の党が「緑の人びと」であるのと同様である。
 左の党は、東ドイツ時代に与党(1949〜1989)の1つであったPDSが改名した「DIE LINKSPARTEI」と、旧西ドイツの社会民主党(SPD)や労組から脱退組の「労働・社会正義−議会内オルタナティブ(WAGS)」によって、2007年6月16日、設立された。連邦議会612議席中左の党は53席を持ち、第4党である。ヨーロッパ議会では、左翼グループの中では最大勢力である。
 左の党の存在は、ドイツの政治の全般的な左傾化や、メルケル首相が共産主義時代のいくらかの政策を採り入れはじめていることと無縁ではない。
 今年5月18日付けの『シュピーゲル』誌は、来る9月に行われる総選挙に向けて、左の党のオスカル・ラフォンテーヌ議長に対するインタービュー記事を掲載した。以下はその抄訳である。

 S誌 ドイツでは階級闘争が起こっていると言えますか?
 OL  米国の億万長者Warren Buffetは、左の党よりもっとはっきりと「これは階級闘争だ。いままでは私の階級が勝ってきた」と言いました。私はこれに「長い間、我々の階級は負けていたが、今再び立ち上がっている」と付け加えます。 
 S誌 左の党の選挙向け綱領には「支配階級は貪欲、強欲、自己中心、無責任だ。金持ちはすでに沢山カネを持っているのに、より多くのカネを得ようとする」など、まるでマルクスやエンゲルスのようですね。このような過激な言葉は選挙民に受け入れられますか? 
 選挙向けの党綱領の最初の草案は、非常に穏健なものでした。左派から「まるで社民党バージョンだ」と非難されました。今でも穏健派は発言力を持っていますか?
 OL たしかに草案はより強い言葉になりました。問題をより明確化したのです。左の党内には、多くの意見があります。私の40年の政治では良くあることでした。
 S誌 綱領には「民主社会主義」と書かれていますが。
 OL 党の執行部は、向こう4年間で社会を変えることが出来ると考えるほどナイーブではありません。そして「社会民主主義」は社民党(SPD)の綱領でもあります。左の党が言ってはいけないといえますか?
 S誌 左の党のSahra Wagenknechtは資本主義の修正ではなく、打倒する、といっていますが?
 OL 左の党全体がそう考えています。我々は資本主義を打倒したいのです。
 S誌 どのようにして実現しますか?
 OL 経済秩序の変革です。それには、まず、国際金融市場を規制することから始めます。これを議題の第1に据えます。我々の相手は、未だに金融資本主義に赤じゅうたんを引こうとしていますが、成功しません。金融資本主義は失敗したのです。経済を民主化し、労働者がより大きい発言力を持つべきです。
 S誌 資本主義を打倒した後はどうなりますか?
 OL それは、すべての人が、自由を満喫できる社会です。
 S誌 今のドイツ社会に自由がないと思いますか?
 OL この社会には、働き口のない人が大勢います。2003年、社民党と緑の党の連立政権時代に、「アジェンダ2010」と呼ばれる構造改革の一部として、長期の失業者に対する福祉手当てを削減しました。これが「Hartz IV」です。また教育制度も社会的不平等をもたらしています。こんな社会に自由がありますか?
 S誌 ベルリン市政府の財政の専門家として知られるCarl Wechselbergが、左の党が左傾しすぎた、といって脱退しました。
 OL 左の党の綱領は、多数派に支持されています。穏健派は党が左傾しすぎていると言い、左派は右傾化しているといいます。
 S誌 左の党の綱領には、Hartz IVの廃止、年金を受け取る年齢を現行の67歳から65歳に引き下げる、最低賃金を1時間10ユーロ(約1,230円)、年間の公共投資を1,000億ユーロ、ドイツ軍のアフガニスタンから撤退、などを要求しています。これでは、他の党との連立は無理ではないですか?
 OL 我々は原則を明確にします。しかしHartz IVにていては、SPDと緑の党は方針を変えはじめています。年金と最低賃金についても同様です。しかし、アフガニスタンからの撤退については、オバマ大統領がアフガニスタンの戦争では勝つことが出来ないことを理解し、米軍の撤退を始めるまで、彼らの意見は変わらないでしょう。
 S誌 最高所得者の収入を80%課税すると言っていますが、支持する人はいますか?
 OL それは綱領に含まれていません。しかし、私の予てからの主張です。課税されるのは、平均収入の20倍の収入がある人です。20倍の収入の人が、20倍の生産力を持っていると誰も信じないでしょう。
 S誌 左の党は、設立時には世論の支持率は結構ありました。しかし、1929年以来の大不況がはじまると、支持率は下がりました。これはどう解釈しますか?
 OL 過去の例からして、危機の下では、保守党の支持率が上がります。たとえば自由民主党(FDP)の支持率は上がっています。しかし、キリスト教民主同盟(CDU)とSPDの大連立の支持率は落ちています。
 S誌 ベルリンの壁が崩壊してから20年経ちました。東ドイツ時代についてどう考えていますか。聞くところによると、左の党内では議論は片付いていないようですが?
 OL 東ドイツの社会主義統一党(SED)はPDSとCDUの連合です。左の党に参加しているPDSは、過去の東ドイツ時代について、幾度も会議を開き、また機関紙にも書いてきました。CDUだけがまだ取り上げていません。
 S誌 では質問を変えます。東ドイツは法の支配のない独裁国だったと思いますか?
 OL 正確に言えば、東ドイツは、法の支配のない国家だったというべきです。
 S誌 最後に、貴方自身がザァールランド州の知事に立候補していますが、最近の世論調査では支持率を5%減らし、18%になっています。これで選挙に勝てますか?
 OL さまざまな世論調査があります。私は20+%を取れると思っています。

2.連邦議会での左の党と議会外の社会運動との関係

 『新社会運動調査ジャーナル』誌2009年第1号(3月発効)に「左の党と社会運動の連絡事務所について」という論文が載った。
 2005年、連邦議会に左の党(DIE LINKE)が出現した際、社会運動、労働組合、それに議会外のNGOは、ドイツ連邦議会の歴史上はじめて、左の党事務所内にではなく、独自の「社会運動連絡事務所」を開設した。この事務所の目的は、議会内の左の党と議会外の社会運動との意見交換を保証するためであった。
 ドイツの左翼にとって、連邦議会内に連絡事務所を設けることによって、新しい活動の分野が広がった。勿論、以前にも、緑の党が社会運動と良好な関係にあったばかりでなく、その中から議員が生まれた。また社民党(SPD)もその地盤である労組と緊密な関係にあった。しかし、緑の党もSPDも、議会内に連絡事務所を設けることはなかった。議会内連絡事務所は、議会外の社会運動と議会内の左翼政党との関係というこれまでの難しい問題を解決する試金石と見られている。

3.連絡事務所の設立まで

 これまで、左翼政党と社会運動の関係は、多くの紛争と失望の連続だった。その原因は、政党側が制度化しようとする一方、社会運動側が政党との協力を拒否するところにある。 
 西ドイツ時代、左翼社会運動は、SPDと連合を組んだ緑の党に、苦い経験をしている。
 したがって、左の党の結成過程を見ると、社会運動は慎重にWait-and-Seeの態度を採りながら、一方ではなみなみならず好奇心を燃やしていることが分かる。
 ドイツ社会運動は、すでにSPDと緑の党連合時代に、ダイナミックな社会環境が生まれていた。たとえば、90年代末、大規模な反グローバリゼーション運動が起こり、これが「グローバル左翼」の誕生と見られた。イタリア、そして少し後でギリシアで、新しい政治同盟が誕生した。
 一方政府は、新自由主義政策の結果、大量の貧困と疎外が生まれているのに、社会サービスや公共インフラを削減した。これは「社会正義」を唱える大規模な抗議行動という「新しい社会運動」を生み出すことになった。
 「アジェンダ2010」に対する闘い、新自由主義によるグローバリゼーション、それに「社会フォーラム」などが、社会運動や左翼政党を、一時的にだが、活性化させた。
 PDSやWASGなどが新党結成を模索し、それにSPDや緑の党からも脱走するもが生まれた。社会運動が連邦議会の中に連絡事務所を設立したのは、社会改革は議会を通じて生まれるものではない、確信したからであった。
 しかし、政党と社会運動とは文化が根本的に異なっている。これは、緊密な協力を妨げる。政党が、党員によってなるのに反した、社会運動はさまざまなアクターから成っている。政党が中央集権指導制であるのに反して、社会運動は草の根自らのイニシアティブで活動している。

4.連絡事務所の活動

 社会運動が抱えているテーマは実に多様である。それをすべて連絡事務所の活動にすることは出来ない。では、どれに焦点を絞るのか。
 連絡事務所の活動には、労組と新社会運動という2つの異なった分野がある。そして、この2つは互いにことなった組織的ロジックで行動している。したがって、それぞれ異なった問題を異なった手段で取り上げることになる。
 しかし、重要なことは、連絡事務所が問題の優先順位を決めることである。
 連絡事務所は、社会変革、正義、解放をめざす社会運動にとって、重要なアクセス・ポイントである。社会運動は、重要な政治問題を取り上げ、それを連絡事務所に伝え、事務所は、議会内で公聴会を組織したり、専門家パネルを設けたりして、議員や関係官庁に問題提起すし、必要ならば、専門部会の設置を要求する。
 事務所側は、議員たちに助言を行う。一方、事務所は、議会外の社会運動の集会を開き、議会での議論とその後のフォローアップを報告し、議論してもらう。